滅多に雪の降らない兵庫県、の瀬戸内海寄りの地区。
今朝は珍しく雪が積もってなんだかうきうきしてしまう。自転車通学のわたしは愛車にまたがって、通学路をいつもより少しだけゆっくりと進んだ。積もってはいるけれど今はふわふわ粉雪程度で、傘は必要ない。見慣れた道が雪化粧に覆われているのを眺めながら学校に向かった。

が、ここでいつもと違う事がもうひとつ。間もなく学校に到着しようかと言うころ、前方に宮兄弟を発見したのだ。彼らはいつも部活の朝練でもっと早いはずなのに、何故こんな時間に?


「おはよー、朝練は?」
「早朝の電車止まっててん。中止」


近くの生徒からはこんな会話が聞こえてきた。なるほど、電車が動かずバレー部をはじめいろんな部活が朝練中止になったらしい。

そんな事よりわたしがこっそり思いを馳せている治くん、彼が道路沿いを歩いている。自転車をこぐ私は治くんの横をすり抜けなければならない。
治くん、追い越す時に私の事に気付くかな?と、意識してもらえたらいいなという淡い期待で胸が躍った。通学時に自転車で追い越すほんの一瞬のことなのに。


「あれ」


しかし幸か不幸か、それは一瞬のことではなくなった。
追い越す瞬間に治くんの顔をなるべく見ないようにして(でも気付いて!という念は送った)自転車をこぐと、つるんと言う嫌な感覚。漕いだペダルの感触が弱い。


「あ」


あっ、滑った。と頭が理解したときには視界が横になり、身体も倒れて行くのを感じる。こんな通学路の真ん中で、同じ学校の生徒が沢山登校している中で自転車で転ぶなんて、ああ神様。

けれど神様への祈りは届かず、がしゃん!と大きな音をたてて私は自転車ごとすっ転んだ。


「う、げほっ、うぇ」


転んだ時に自転車のハンドルが喉にぶち当たって、軽くえづいてしまった。苦しいし恥ずかしいし消えたい今日学校行きたくない。もうすぐそこが校門だけど。


「…ダイジョーブ?」


そこへ声をかけてきたのは、わたしがさっき追い越そうとした治くんであった。


「おさ、っだ、大丈夫」
「派手に転んだなあ」


治くんと、一緒に居た侑くんがわたしの自転車を起こしてくれた。
なんという幸運、しかし周りの目が痛い。あの女わざと宮兄弟の前で転びやがった、と思われたらどうしよう。


「怪我してないん?」
「うん…アリガト、もう行くわ」
「ほんまに大丈夫?」


頼むからこんな失態を見せたわたしを今すぐ立ち去らせてほしいのに。治くんは「ほんまに大丈夫?」と声をかけてくれた。ただのクラスメートのわたしに。なんて優しいんだ、格好いいだけじゃなくて優しいなんて。


「大丈夫やで、ありがとう」
「いや、パンツまる見えやで」
「え」


転んだ拍子にめくれ上がった制服のスカート、冬用の厚い生地のくせに軟弱な。自転車にスカートが引っかかって見事にパンツを披露してしまっていた。好きな人に。





宮治くんは同じクラスの男の子で、学校内だけでなくこの周辺では有名人だ。バレー部の宮ツインズといったら時々テレビでも取り上げられている。

そんな凄い人と偶然同じクラスになって、それまでは興味が無かったのに、治くんのボンヤリした感じとかに惹かれてしまった。
おまけに顔も格好よくて背も高くて、同じクラスになって彼を好きにならない理由なんてどこにもないのだ。
それなのに、それなのに。


「………」


登校し、教室に入って席に着くと大きなため息を吐いた。
ついさっき校門のすぐ前で自転車ごと転び、盛大にスカートがめくれ上がってしまった。年頃の女子高生としては相当ショックである。本当はあのまま帰りたかったけどそんなの出来ないから、嫌々ながらに教室まで来た。

おはよう、とクラスの子たちに挨拶をする。どうしよう、心の中で「こいつパンツ晒しよったな」と笑われていたら。見られていたら。


「誰も見てへんと思うよ」
「えっ!」


頭の上から聞こえて来た声に驚いて顔を上げる。と、ちょうど教室に入って来た治くんが立っていた。


「見てないとは、な、なにを」
「パンツ」


好きな男の子の口から「パンツ」という単語を聞く日が来ようとは思わなかったので、思考回路は一時停止を余儀なくされる。
転んだだけでも相当恥ずかしいのに、治くんにパンツを見られていた。そしてそれを指摘された。さらに今また追い打ちを掛けられた。


「…治くんも…見えてた、やんね」
「そりゃ真横でおっぴろげられたら」
「好きでおっぴろげた訳ちゃうよ」
「そらぁな」


治くんは鼻で笑った。あ、これって馬鹿にされたんだろうか。運動神経皆無のどんくさい女が転んだ挙句にパンツを晒した事を馬鹿にしているのか。
百歩譲って転んだことを笑うのは良いとしよう(雪のせいだけど)、が、パンツについてはひとつ言いたい事がある。


「あんな、あれはパンツ違うねん。毛糸のパンツやねん」
「パンツやん。」
「ちが、パンツの上から履いてるねん!」
「パンツやろ?」
「…忘れてください」
「努力したるわ」


どうしてもあれをパンツだと認識したいらしい治くんに負けてしまい、もうこの話は金輪際やめてくれるように願うしかなくなった。
わたしもわたしで、好きな人に向かって何回も「パンツ」と発してしまうなんて。これじゃあ恋愛フラグなんか立たないじゃん、人気者の治くんと結ばれるなんて夢のまた夢なんだけどさ。


「あと、これ」
「え?」


治くんがごそごそとスクールバッグの中を漁り始めた。奥のほうから出て来たぐしゃぐしゃの箱を手に取って、中から出したものをわたしに差し出す。わたしはそれを見て目を丸くした。


「…なにこれ?」
「バンソーコー」
「なんで」


続けて聞き返すと、治くんがわたしの脚を指差した。さっき転んだ瞬間は気付かなかったけど、膝をすりむいていたのだ。
じわりと滲んだ血は、既に止まっているのかどうか微妙なところ。


「…知ってたん?」
「いま見えて知った」


なんということだ。「格好良くて素敵な治くん」は「パンツパンツと連呼するちょっと変な人」にランクダウンしかけていたのに、また素敵な彼に逆戻りである。
口をあんぐり開けたままのわたしに、治くんは再び絆創膏をつきだした。


「ん。」
「…ありがと…」
「礼はもう一発パンチラでええよ」
「な!」
「嘘やって」


治くんは今度はけらけらと笑ってみせた。やっぱりちょっとデリカシーに欠けているというか、よくもまあ女子に向かってパンツがどうとか言えるな。全然嫌いにはならないけど。むしろこうしていじられるの、ちょっと嬉しいんだけどさ。

そんな事を考えながら受け取った絆創膏の包みをぺりっと開けて、あわれな膝小僧にペタリと貼った。それを見ていた治くんがぽつりと一言。


「オンナノコは身体大事にせんとなあ」
「え……」


オンナノコって。いやわたし、オンナノコで合ってるけども。身体を大事にってそれ何、まるで彼女か奥さんにでも言うかのような言葉、今のわたしに向けて言ったの?
動揺して言葉を返せないわたしに、治くんはけろりと続けた。


「…って昨日テレビで言うてたわ」
「なんや」
「優しくされると嬉しいんやろ?オンナノコって」


なんだ。テレビで放送していた内容を、わたしで試していただけなのか。


「…そりゃまあ…嬉しいで。普通に」
「ならよかった」


優しくされたら嬉しいに決まっている。だってわたしは治くんが好きなんだから。
好きな人から(例えスカートの中身を見られた後であっても)優しくされればもっと好きになるに決まっている。しかも治くんにいただいた絆創膏は結構いいやつだったみたいで、貼っても痛みは感じなかった。


「ありがと。」
「ええよ。気になるコには優しくしろってテレビで言うてたからな」
「ふうん…ん」


また何かテレビの内容か、とスルーしかけていた時のこと。今なんか言ってたような。誰に優しくしろって?気になるコ?「気になる」の定義とは。


「ん?」


顔をしかめまくっているわたしを見て、治くんが首を傾げた。悪戯っぽくにっこり笑って。え、ちょっと。


「お、治く」
「そろそろホームルーム始まるなあ」


きんこんかんこん、ちょうど予鈴が鳴ったおかげで治くんは自分の席へと行ってしまった。
うそだうそだ。そんな曖昧な台詞残して行ってしまうなんてひどいじゃん。いくら何でも色々勘ぐってしまうじゃん。でもまさか人気者の彼がわたしを「気になるコ」なんて何かの間違いだろう、ただ真横で転んだから怪我の心配をしてくれているだけだ。

いまになって膝の傷が再び痛み始めた。どっくんどっくん、血の巡りが速くなってしまったせいか、貰った絆創膏は早くも血で滲んでいる。
治くんのせいだ。治くんがわたしをどきどきさせるから、絆創膏が役目を果たさない。あとで新しいのちょうだいって言いにいこう、かな。

バッドエンド・モーニング
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