20180127


高校生にもなれば一度くらい、誰かを好きになったり付き合ったりする事もあるんだろうかと夢見ていた。
けれども高校1年の時には甘酸っぱい恋を味わう機会は無く、これは残りの2年間もきっと無理だろうと諦めモードで迎えたクラス替え。「恋したい」と思っていた時には全くその気配を見せなかった胸の高鳴り。
高校2年生の春、となりの席になった男の子に向けてはじまりの鐘が打ち鳴らされた。


「数学だるーい」
「分かる。宿題全然わかんねえ」


私はじぶんの気配を消して会話を聞いた。
花巻くんを好きになったきっかけなど些細な事であった。「この人、いつも明るいな」という興味から花巻貴大を目で追うようになり、気づけば好きになっていたのだ。


「わたし5限目寝ちゃうかも」
「俺もー」
「確かに、あの声眠くなるよなあ」


花巻くんはふたりの男女に賛同したが、いくら「眠い」と口にしても花巻くんは決して授業中に居眠りをしない。
仲の良い他の誰かが「次寝る」などと言っていても、花巻くんは「怒られても知らないよ」と笑って過ごし、自分はしっかり起きているのだ。もしかしたら眠くないだけなのかも知れないけど。

とにかく何が言いたいのかと言うと、彼はいつだって他の誰かを嫌な気分にさせないように過ごしている。男女問わず好かれる性格で、誰に対しても態度を変えず、裏表のない明るい性格。
「好き」っていうより「憧れ」って感じのほうが近いかも。私のような暗い人間にも変わらず接してくれるもんだから、嬉しくて嬉しくて。ただ、照れくさくて、恥ずかしい。

朝のすれ違いざまに「おはよ」と挨拶してくれても、真っすぐ目を見る事が出来ずに「おはよう」と返す程度の事しかできなかった。


「花巻、誕生日いつ?」
「1月27日〜」
「遠っ」
「メモっといて」


1学期のはじめに聞こえてきた会話のおかげで、運よく知る事のできた花巻くんの誕生日。「覚えてたら祝ってやるよ」なんてクラスの子が言っていた。
花巻くん、1月生まれなんだ。あんなに暖かくて眩しい人でも冬生まれかあ。


「1月27日…」


私は無意識に思ったのだ。どこかに書き留めておかなければと。
その時手元にはちょうどいいメモ用紙も無く、予定などは携帯電話に登録してしまうのでスケジュール帳なども持っていない。

何かに書かなきゃと思った時、世界史の教科書が目に入った。とりあえずこの裏表紙に書いておこう。『1/27花巻くんの誕生日』と。

しかし、それから彼と親しくなる機会なんて訪れずに1学期・2学期を終えてしまい、花巻くんへの気持ちだけはどんどん肥大してしまったのだ。いつしか彼の誕生日をどこにメモしたかなんて事も忘れてしまった。





「皆ノート持ってきて〜」


3学期のある日、花巻くんは日直だったらしくノートの回収に回っていた。
私はまだ世界史のノートをまとめている途中だったのですぐに渡す事が出来ず、急いで黒板の内容を書き写す。先生の話している事をじっと聞いてから教科書の内容をゆっくり読む、というマルチタスク機能の備わっていない私は動作が遅いのだった。


「白石さん、ノートいい?」


そしてついに花巻くんが私に話しかけた。ドッキン!と心臓が悲鳴みたいな鼓動を鳴らす。かろうじて黒板の内容は書き写したものの、さっき先生が話していた豆知識を忘れないうちに書いておきたい。あと少しだけ時間が欲しい。


「えと、あとちょっと…」
「ん。いいよー」


私がのろまである事を花巻くんが責める事は無い、それは分かっていた。だから「いいよ」と返事をして、少しだけ待ってくれる事までは予測できていた。
ところが突然予想外の出来事。花巻くんが私の前の席の椅子を引き、そこに座ってしまったのだ。


「終わるまで待ってるね」


おまけに私がノートをまとめ終えるまで、そこに待機しておくと言う。
花巻くんと近い距離に居られるのは嬉しい。でも、文字を書いているところなんて恥ずかしくて見られたくない。しかも目の前で。
緊張して手が震えてしまい、赤いボールペンの文字がミミズみたいに震え始める。花巻くんはそれを見てぎょっとした。


「どどどどうしたの?」
「な、なんでも、」
「あ。もしかして寒い?今日大寒波だもんなあ。おい誰か暖房上げてくんねー?」


私の手が震えているのを、寒さのせいだと勘違いした花巻くんがクラスの誰かに声を掛けた。申し訳ない、今は厚着をしているからそこまで寒くないのに。
でも花巻くんがやっぱり誰にでも優しくて気取らない人なのだと再認識し、嬉しくて頬が染まってしまった。


「白石さん、ノート綺麗だなあ」
「そうかな…」
「俺なんか黒板写して終了だし!見返しても時々分かんねえもん」
「そうなんだ」


そうなんだ、じゃなくて。花巻くんがせっかく話しかけてくれてるのに、何故もっと明るい返事が出来ないのだ。こんなんじゃ「つまんない奴」と思われて今後は話しかけてくれないかも知れない。でもノートを仕上げなきゃいけない。私はどっちに集中すればいいのやら。


「あ、ごめん話しかけて。全然気にせず書いちゃっていいから」
「いや…」
「白石さんの字って綺麗だから、観察してたら俺も綺麗になんないかなーってね」
「え!?」


がたんと机が鳴った。驚いた私が思わず机の脚を蹴ってしまったのだ。何に驚いたってそれは花巻くんがわたしの書く字を褒めてくれた事とか、そんなふうに思いながら私の手元を見てたのかっていう戸惑いとか、その他もろもろ。


「ぜ、ぜんぜん、綺麗じゃっない、っすよ!」
「どうしたどうした」
「な、なんでもない」
「ふーん」


花巻くんが私の事、褒めた!しかも今、私たちの距離はとても近い。机ひとつ挟んだだけのところに花巻くんの顔があって、私のノートをじっと見ている。
だめだ、集中してちゃんと書けない。黒板は全て写したし、あとは教科書を読んで勉強すればいいか。そう思ってノートと教科書をぱたんと閉じて、私はノートを花巻くんへ差し出した。


「ごめん、お待たせ」
「うん……ん。」
「ん?」
「んん…?」
「…ん?」


花巻くんがノートではなくて、別の場所をじいっと見ている。何度か瞬きを繰り返して、眉間にしわを寄せ、凝視している先はたった今閉じた世界史の教科書。の、裏表紙。


「この花巻くんって俺?」


その裏表紙のある場所を、花巻くんが指さした。つられてそこに目をやると、紛れもない私の字で『1/27花巻くんの誕生日』と裏表紙の端っこに書かれている。
そういえば今年の4月、花巻くんの誕生日を知った時、とっさにここにメモしたのだった!


「う!?わっ、え!?や」
「ちょちょちょ落ち着いて」
「なっなんでもない!なんでもないから」
「静かに静かに」


慌てて教科書の表紙を上に向けて、ばしんと机の上に叩き付ける。これで裏表紙は見えない。大丈夫。今のは無かった事にできる。なんでもなかった事に。


「今のは…ち、違う!ので」
「え、俺じゃないんだ」
「いや、」
「明日が誕生日の花巻くんって他に知らないんだけど」
「………」


しかし、なかった事になんて出来るわけはない。花巻くんはたった今見た文字について言及してきた。
どうしよう嫌われてしまう。クラスメートの誕生日を勝手にメモしてるなんて気味悪いよね、しかも直接教えてもらったわけじゃなくて、偶然聞いただけの誕生日を。


「…ごめんなさい…」
「ええっ、なんで謝んの」
「か、勝手に花巻くんの誕生日をこんなところに書き出してしまって」
「それは別に謝る事じゃないっしょ」


なんという寛大さなのだろうと思ったが、いくら誰にでも優しい花巻くんだって、気持ち悪いと思ったに違いない。今私の目の前で、花巻くんはきょとんとした顔で私を見ているけど。いっそのこと「引くわー」とでも笑ってくれた方がすっきりするのに、どうしよう。
とりあえず弁解をしなくては。何故こんなところに誕生日をメモしてしまったのか。


「…1学期のときに、偶然聞いて…そのとき、ただちょっと…書いただけで…」
「教科書の裏表紙に?」
「他に書くところが無くて」
「ぶはは」


引かれるどころか爆笑された。そんなに変な事を言ったっけ?それとも笑うほかに手段がないほどドン引きされたのか。

私はこの恋、「叶ってほしい」なんて我儘を言った事は一度もない。
ただ平和に、花巻くんの姿を同じクラスで眺められていればそれだけで良かったのに。明日、登校した時に「誕生日おめでとう」と念を送ろうと思っていただけなのに。

私は花巻くんに好かれるどころかドン引きされて、恋の幕引きとなったのだ。
その証拠に彼はまだ、原因不明の笑顔で私の前に座っている。


「じゃ、当然明日はオメデトウって言ってくれるわけだ」


引かれた。嫌われた。と思っていたのに、花巻くんはこんな事を言った。
ここから消えてなくなりたいと思っていた私も思わず顔を上げた。おめでとうって、言っても良いの?念を送るだけじゃなくて?


「……そ…それは…」
「駄目なんかーい」
「ちが、違う!言います、言う」
「いいっていいって、気が向いたらでいいよ」


私の気が向いたら、花巻くんにお祝いの言葉を言っても良いのか。そんなの、1月27日の午前0時を迎えた瞬間から私の気持ちは花巻くんのお祝いムード一色になるに違いない。
でもさすがにそんな事言えなくて、「わかった」と返すだけで精一杯だった。


「白石さんは誕生日いつ?」
「え?」


そこで会話は終わったと思ってたのに、花巻くんが私の誕生日を聞いてきた。私なんかに興味があるのかな、この人。そんなわけないか。きっと社交辞令だ。


「…2月22日」
「来月じゃん」
「う、うん」


私も花巻くんと同じく早生まれで、来月誕生日を迎える予定。でも30人以上いるクラスメートの、私みたいな地味子の誕生日なんてすぐ忘れるに決まっている。だからなんの期待もせずに過ごそうと思っていたのだが。


「ペン貸して?」
「へっ?はい」


花巻くんが私の筆箱を指さした。何に使うんだろうと思いつつも中から黒のボールペンを取り出して、花巻くんへ手渡す。
すると彼はこれまで回収したノートの中から1冊を取り出した。表紙には『花巻貴大』と書かれている。花巻くんの世界史のノートだ。


「どこが良いかな」


彼が何のことを言っているかはさっぱりだった。花巻くんは彼自身のノートをぺらぺらめくり、丁度いいところが見当たらなかったのか、最終的にはノートを閉じた。
そして結局、ノートの裏表紙へとペンを走らせた。『2/22白石さんの誕生日』と。


「……え。」
「忘れたらいけないから」
「ええっ、」


どこから突っ込めばいいのか分からない。まずは授業で使うノート(しかも今から提出するノート)の裏表紙に、授業とは関係の無い内容を書いた事。その内容が私の誕生日である事。

そして、私の誕生日を「忘れたらいけないから」と彼が言ったこと。覚えておかなきゃ、と思ってくれてるって事?当日花巻くんは、私に祝いの言葉を言ってくれるつもりって事?


「じゃ、ノート貰ってくわ」
「えええっ」


しかし何故そんなところに誕生日をメモしたのか聞く前に、花巻くんはクラス分のノートを持って立ち上がった。
そのまま教室の出入口へ向かい、一番上に私のノートを乗せて、足で器用に教室のドアを開ける。通りがかりのクラスメートに「閉めといて〜」と言って、花巻くんの姿はとうとう見えなくなった。

明日は花巻くんの誕生日。そんなの当然覚えていた。ただ、教科書の裏表紙にメモした事なんてすっかり忘れていた。でも見られた。好きな人に。花巻くん本人に。そして、花巻くんも私の誕生日を彼のノートの裏表紙へ。

先ほど花巻くんが「暖房上げて」と誰かに頼んだせいで、私の頬はとっても熱い。
仕方なく自分で操作して温度を下げてみたけど、全然熱が治まらなかった。おかしい。きっと教室の暖房、故障してるんだ。

Happy Birthday 0127