The point of view
by Rintaro.S


白石さんの事が気になり始めてまだまだ数週間。でも確実に俺の気持ちは大きくなって行った。女の子として意識しているのを自覚してしまえば、一気に恋心は肥大するのだ。…って、なにかの映画で見た気がする。

そして相変わらず彼女は俺の事を避けようとしているようだった。
時折俺を訪ねてやってくる宮兄弟には普通に接しているのに、俺が居る時だけは白々しく何かを思い出したような素振りでどこかへ消えて行く。侑はそんな白石さんを見て違和感は感じていないようだけど、これは気付かれるのも時間の問題かな。なんせ治のほうは白石さんの異変を感じ取っているような気がするから。


「雨かあ…」


昼頃まではからっと晴れていたのに、部活の開始と同時にだんだん雨が降り始めた。
体育館内にも響き渡る雨音からすると、かなり強い雨に違いない。電車が遅延する可能性を考慮して練習が30分ほど早く切り上げられ、双子は着替えながら外の様子を伺っていた。


「傘持ってきて良かったー」
「おかんバリ当てるやん」


宮家の母親は今朝、「今日雨降りそやで」と二人に傘を持たせていたらしい。あまり天気予報を気にしない彼らなので、母親の忠告が無ければびしょ濡れだっただろう。


「角名、傘あんの?」
「置き傘。あーでも教室だ」
「教室に置き傘?」
「折り畳みだから」
「女子か」
「結構大きいやつだよ」


その大きめの折り畳み傘を教室に置いてきたのだった、部活前はまだ雨が降っていなかったから。取りに行くのが面倒だけど濡れるのは御免なので、仕方なく教室へ戻る事にした。


「俺、傘取ってから行く。先帰っといて」
「おお」
「また明日ー」


元々帰る方角は全く同じでは無いけれども、いつも宮兄弟とは途中まで一緒に帰っているのだ。今日は先に帰ってもらい、嫌々ながらも教室に戻る。

部活が早めに終わったとはいえこの大雨だし誰も居ないだろうな、と教室のドアを開けた時だ。目の前に女の子の姿が現れたのは。


「わっ!?」
「うわっ」


俺たちは互いにびっくりして仰け反った。当然だけど彼女のほうが驚いたと思う、自分より30センチほど大柄な男が急に現れたんだから。しかもそれが彼女にとってあまり会いたくないであろう角名倫太郎だったのだから、まあ無理もない。


「白石さん、こんな時間までどうしたの」


しかし俺だって驚いたのは同じである。もう夕方だし、白石さんはいつも早くに帰って家の手伝いをしていると聞く。こんな時間まで残っているのは珍しいはずだ。


「や…忘れ物したから取りに来ててん、辞書」
「ああ…家近いと便利だね」
「う、うん」


白石さんは帰りたそうだ。それなのに帰れない理由は俺が入口に立って、道を塞いでいるから。俺がすんなり帰すわけがない。放課後の教室で偶然会ってふたりきり、こんなに好都合な事は無い。何か無いか、引き止める策は?


「角名くんこそ、どうしたん?」


そのように聞かれて思い出した。俺は傘を取りに来たのだと。そして同時に思いついた。


「白石さん、傘持ってる?」
「え…うん」
「俺、忘れてきちゃって」


俺がこう言った瞬間の彼女の顔、ムービーに納めておきたいくらいだった。傘を忘れた、と伝えただけで俺の言いたい事を分かってしまったあの顔。雨なのにこんなにラッキーだと思ったのは生まれて初めてだ。

ロッカーに眠る折り畳み傘は今日は使わないでおくとして、無理やり白石さんの傘に入れてもらう事になった。


「傘、小さいけど…」
「大丈夫。俺持つよ」
「え、ええよそんなん」
「ていうか、白石さんが持ってたら俺の頭にぶつかっちゃうし」
「…そっか」


白石さんの傘は彼女の言う通りあまり大きくはなかった。すぐ近所の家から学校までの往復だし、こんなハプニングは予想していなかっただろうし。

俺の行動が白石さんを多少なりとも困らせる事になるのは分かっていたので(それでも理性は負けてしまったが)、せめて傘は俺が持つことにした。


「急に降って来たからびっくりしたね」


ざあざあ降りの雨の中、水たまりが跳ねないように注意深く歩いていく。話しかけてみても白石さんはちらりと俺を見るだけで、うん、と頷いたかと思えばすぐに前を向いてしまった。


「濡れてない?」
「あっ、うん」


なるべく白石さんが濡れないように傘を持っているけど、雨が斜めに降ってしまうと護りきるのは難しい。傘の向きを調節してみたが、今度は自分が濡れてきた。


「…角名くんこそ大丈夫?めっちゃ濡れとうけど」


そして、それを白石さんにも気付かれた。確かに濡れているし冷たいけど、女の子と相合傘をして男の肩が濡れるなんて勲章である。


「平気だよ。白石さんと会わなかったら全身濡れる予定だったから」
「そっか…」


まあ、本当は傘、教室に置いてあったんだけど。なんて言ったら嫌われてしまうだろうか。無理やり相合傘をしたなんて知られたら。


「白石さん、いつからお店の手伝いしてるの?」


空気を和らげるためには、白石さんの好きなパンの話を振ってみるしかない。
そう思ってお店のことを聞いてみると、白石さんは迷いながらも答えてくれた。


「…小学校から」
「え。早くない?」
「手伝いちゅうか、店ん中で立ってただけやねんけどな…近所ではちょっと有名やってん、騒がしい子が看板娘してるって」
「へー、騒がしかったんだ」
「みたいやわ」


高校2年生になった白石さんはあまり騒がしい印象は無いけれど。昔はお転婆だったりしたのかな。勝手にお店のパンを食べて怒られたりして。そんなことを考えて微笑ましくなってしまった。


「なんか意外、白石さんって結構大人しいイメージだけどね」
「大人しい?そうかなあ」
「静かってわけじゃないけど…なんていうんだろ。下品ではないよね」
「なにそれ、はずいわあ」


今日初めて、久しぶりに白石さんが俺の前で笑った。最近ずっと気まずそうな表情を崩さなかったのに。その原因は俺なんだけど、今、ふと笑ってみせたのだ。


「緊張、ほぐれた?」
「……えっ…」


隣を歩く白石さんの顔を覗き込んでみると、ばっちり目が合った。
慌てて逸らした白石さんは反対方向へ寄って行き、危うく傘から出てしまいそうになる。それでは相合傘の意味が無いので俺も白石さんのほうへ寄っていく。が、やっぱり彼女が離れていく。だから俺は近づいていく、それを繰り返すとついに白石さんが音を上げた。


「ちょ、近い…ねん、けど」
「白石さんが逃げるから近づいてってるんだけど」
「あかん、来んとって」
「近づかなきゃ濡れちゃうよ」


そう言うと、やっと白石さんは理解してくれたらしい。ゆっくりと頷いて傘の中に収まるよう、離れていた身体を少しだけ内に寄せた。


「…角名くん、こないだから何なん…?私の事からかってるやろ」


身体は近づけてくれたけど、顔は外を向いたまま白石さんが言った。


「からかってるように見えるのか」
「見える」
「…ショックだね。それ」
「何でよ?」


からかっているつもりは無い。正真正銘、白石さんの事が好きだからこのような行動に至っているのだ。それなのにこの気持ち、この行為はマイナス要素で捉えられているなんて。
なんと説明すればいいのか考え込んでいると、やがて白石さんの家に到着してしまった。


「…家、ここやから」


知っている。何度も通った事のある場所だ。
そしてまだ雨は降っている。ここから俺の家まで走る事も可能な距離だけど、一度学校に戻って折りたたみ傘を取ってこようか。

俺が無言で考えるのを、白石さんは違う意味で受け取っていたのかもしれない。ため息とともにこう言った。


「…もう今日はええよ。これ、貸してあげるから明日学校持って来てな」


白石さんは傘を俺のほうに押してくれたあと、自分は傘から出て家に帰ろうとした。
「ありがとう」と彼女の背中に向かって言うのが普通なのだろうけど。あいにく俺は普通の人間ではない。


「白石さん」


呼び止めただけでなく、俺は傘を出ようとした白石さんの腕を掴んで引き止めた。


「…何?」


白石さんの頭に雨が降りかかる。俺はもう一度傘を彼女のほうへと寄せた。風邪を引かせたいわけじゃないのだ。ただ分かって欲しいだけ。


「俺、今日ほんとは傘持ってたって言ったらどうする?」


回りくどい言い方であると、自分でも感じる。でもこのように伝えた時の白石さんの反応を知りたくて、こんな台詞を選んでしまった。


「…傘、持ってんの?」
「今は教室に置いてる」
「どういう意味…」
「白石さんと同じ傘に入れるかなって思ったから。置いてきた」


俺に腕を掴まれたまま、逃げられない彼女は眉をひそめた。そしてすぐに全てを理解したように、確信したかのように目を見開く。それでもまだ認められないらしく、俺に質問をした。


「…何で?」
「理由、答えていいの?」


その答えを聞いて、やっぱり間違いないのだと分かってしまったらしい。


「…あ…あかん」


白石さんは首を振って、俺の手を振り払い逃げようとした。でも、いくら毎日パンを捏ねているその腕だって、男の俺に適うはずはない。
俺はさらに強く白石さんの手を掴んで、傘の外へ逃げようとする彼女を引っ張りこんだ。


「やっ」
「ちゃんと聞いてね」
「あかんって、」
「白石さん」


白石さんが反対の手で俺を押し返す、その反動で俺は傘を取り落とした。
ばしゃっと音を立てて地面に落ちる傘、まだまだ止まない大粒の雨は直接俺たち二人に降り注ぐ。せっかくさっきまで白石さんが濡れないように努めていたのに、なんて事はもう頭から消えた。


「俺、白石さんの事すきだから」


危うく雨の音気かき消されそうだった。もしかしたら届いていなかったかも、と思えた。でも白石さんの顔が驚きに満ちて俺を見上げてくれたから、きちんと聞こえたのだと理解した。


「……なん、それ…」
「辻褄あった?」


雨がふたりの頭をぐしょぐしょに濡らして、いつもふわふわしている白石さんの髪もすっかり水が滴っている。俺も額から雨が流れてきた。白石さんは何も言わずに雨に打たれるのみで、このままだと風邪を引いてしまうかも知れない。


「傘ありがと。明日絶対返すから」


そう言って、俺は落っこちた傘を拾った。
突っ立ったままの白石さんへ家の中に入るよう促すが、動かない。俺がここにいる限り彼女はきっと動けないのだろう。


「嘘ついてごめんね」


傘を持っていないと偽ってしまったことを最後に詫びて、俺はその場を後にした。なるべく白石さんの目から、俺の姿が早く消えるように駆け足で。
水たまりの雨水が制服に跳ねてしまった事なんて、後から親戚のおばさんに謝ればいい。

Candy , and Guilty