The point of view
by Rintaro.S全く訪れたことのない土地でも住めば都とはよく言ったもので、1年も過ぎればどこに何があるのか大体把握できてきた。
毎朝の通学中にはコンビニが何カ所かあり、そのうちどのコンビニに何を置いていて、種類が豊富であるかを頭に入れる事が出来た。
「いらっしゃいませー」
朝のコンビニエンスストアはとても慌ただしい。特に電車を降りた駅前すぐの場所は、何故そうも急ぐのかと聞きたくなる人ばかり。レジのスタッフが少し手こずるだけで客は苛立ち、舌打ち、貧乏ゆすり、まったくもってナンセンスである。そんなに急ぐなら余裕をもって家を出ればいいのだ。
真後ろに並ぶ関係ない俺まで気分が悪くなる、と思いながらふと横の陳列棚に目をやると、ちょうどお菓子のコーナーであった。
目の前に並んでいるのはいくつかのチョコレート菓子で、これから気温は上昇する一方だというのに品ぞろえが良い。OLや女子高生が買っていくんだろうな。
そういえば白石さんもチョコレートが好きだと言っていたっけ。
「次の方どうぞ」
その時ちょうど俺が呼ばれた。
いつもならそのまま進んでレジに商品を置くだけなのだが、今日はなんとなく、目に入ったチョコレートを手に取ってからレジに差し出した。このあいだ白石さんにパンをふたつも貰ってしまったし、ひとまず今日これを彼女にあげようか。
◇
朝練を終えてから教室へ入った時には、すぐにホームルームが始まってしまい渡すタイミングを掴めなかった。
いつでもお菓子をホイホイと渡せるわけではない。学校へは菓子類の持ち込みが禁止されているのだ。俺は一応バレー部で無事にレギュラー入りをしているし、ほんの小さな問題も起こすわけには行かないのだった。
そんなわけで、結局チャンスが訪れたのは昼休憩になってから。
白石さんはいつもの通り友人と一緒に机を合わせ、家から持ってきたパンを頬張っていた。口元にマヨネーズついてるよ、なんて女友達に指摘されて慌てて指で取っている。ほんとうに食べるのが好きなようだ。
「白石さん」
友達がトイレかなにかに立った時、ひとりになった白石さんへ話し掛けた。昼ごはんの包みを片付けていた彼女は顔を上げ、俺と目が合うと首をかしげた。
「どうしたん?」
「こっち」
俺は小さく手招きをして、教室の外へ出るよう促す。白石さんは頭にはてなマークを浮かべていたが、ゆっくりと立ち上がって後ろを付いてきた。
「なに?どしたんどしたん」
「しー。先生に見つかったらいけないから」
2年の教室がある階の一番端に、使われていない教室がある。時々そこはカップルたちがひっそり過ごしているけれど、さっき覗いたら誰も居なかった。
その教室まで白石さんを誘導しドアを開け、俺たち二人とも入った後で鍵をかけた。鍵をかける必要は無かったかも知れないけど、なんとなく。
「角名くん…?ここって」
「これ、あげる」
「えっ」
ついさっきまで鞄に入れていたから、溶けてはいないはずだ。隠し持っていたチョコレートを差し出すと、白石さんはきょとんとしていた。
「先週、俺たちハイエナみたいに集っちゃったし…」
「ハイエナて!ええのにそんなん」
ええのにと言われても、その言葉に甘えて俺たちは大量のパンをタダで貰ってしまった。本当は俺だけがふたつ貰いたかったんだけど、侑も治も大食いだから仕方ない。
練習とは言え白石さんが手間をかけて作ったものを貰いまくったんだから、チョコレートくらい安いもんだ。
「いいから。今朝ちょうど見つけただけだから」
「…ほんまに?じゃあ貰とこかな。実はこれめっちゃ気になってたやつやねん!」
「へー…」
受け取りながら、へにゃりと笑う白石さんはとても幸せそうだ。
食べることが好きな女の子って可愛いなと初めて感じた。ペットに餌付けしている気分。って、白石さんは人間だっつうの。
「ちょうどええから今いっこ食べてもいい?小腹すいてんねん」
「もちろん」
「やった」
白石さんは頬をピンクに染めて喜ぶと、箱をぺりぺりと開け始めた。
さらに中の個包装されたビニール袋を破り、ちいさなチョコレートを口の中へ入れる。と、すぐに「ん!」と白石さんが目を輝かせた。
「おいしー!」
「そ?」
「めっちゃ美味しいで。角名くん食べる?って私が聞くんおかしいけど」
「いや、俺は大丈夫」
そんなに喜んで貰えるなら全部食べてもらいたい。俺は特にチョコレートが好きというわけでは無いし。
白石さんは相当気に入ってくれたらしく、ふたつめの袋を開け始めた。俺があげたお菓子をここまで喜んで食べてくれる、という事実に少しだけ鼻が高くなる。女の子にこういう事をするのは初めてだから、ちょっとくすぐったい気分。
「おいしー!」
「そんなに美味しいの?」
「うん」
「さっきお昼食べたばっかじゃん」
「はは、私食いしん坊やねん」
照れくさそうにしつつも食欲には勝てないようで、白石さんはチョコレートの箱に目を落とした。あ、まだ食べたいんだな。
「最後にもう一個食べよかな、」
予想どおり白石さんはもうひとつ、チョコレートを取り出した。
ビニール袋をぺりっと破り、口に運ぼうとする直前。俺は無意識に掴んでいた。白石さんの手首を。
「…角名くん?」
「やっぱり俺もちょうだい」
そして、ここから先も俺は全くの無意識で動いた。
掴んだ白石さんの手首を俺自身の口元へやり、彼女の細い指が持つチョコレートをぱくりと食べる。途端に口の中には、甘いチョコレートの味が広がった。
「ほんとだ。美味しい」
「……す…っ!?」
当然ながら 白石さんは目を大きく見開いたまま、自分の手元と俺の顔とを交互に見た。言葉も出ないらしい、口をぱくぱくさせて何が起きたのかを必死に整理しようとしてる。
俺も少々驚いた。気付いたらこんな行為に及んでいたのだから。
「角名く、な…なに」
「…ごめん。びっくりした?」
「な、」
白石さんの瞳が戸惑いで揺れている。とりあえず謝ってみたものの、白石さんはずるずると後ずさり。教室から出ようとドアに手をかけても、がたがたと音が鳴るだけで開かない。俺がさっき鍵をかけたからだ。白石さんはこの世の終わりみたいな顔をしてドアの鍵を開け、去り際に俺の顔をちらりと見た。
「ごめんね」
思わずやってしまったんだから、俺はもう謝るしかない。
でも白石さんは何も言わず、教室から足早に出てしまった。…というか、逃げられたんだよな、これ。
◇
あの後白石さんは教室に逃げ去ってしまい、それからは会話をしていない。出来るわけは無かった。白石さんは俺のほうを見ようともしなかったし、俺もどのように話しかけたらいいか分からなくて。
ただ分かってしまったのは、俺が白石さんを女の子として意識し始めているという事。
「そういや、白石さんにお返ししといたほうがええやんなあ」
そう言ったのは宮侑、ここはバレー部の部室である。「白石さん」と聞いて俺はもちろん反応した。
「……なんの?」
「何のってお前、角名がパン食い散らかしたお詫びとお礼や」
「ふたりとも同じだけ食べたじゃん」
「まあ確かに」
侑もさすがに沢山パンを貰ったことについて、悪いと感じているらしい。
でも侑や治まで白石さんにお礼をするのは嫌だった。あの顔は俺だけが知っておけばいい。お菓子を与えられて、緊張感も警戒心もない柔らかい笑顔をしてみせるところ。たった一粒のチョコレートで頬が落ちそうになるところ。
「だいじょぶだよ。俺、今日渡してきたから」
そのように言うと、ふたりとも顔を上げた。侑は「へ?」と声を出し、治は無言だけれど視線だけをこちらに向けている。
「なにを?」
「彼女の好物」
果たして侑は白石さんの好物が何なのか、記憶しているだろうか。先週パンをもらった時にさらりと放った一言だから、たぶん覚えていないだろう。その証拠に侑は何度も首を捻っていた。
「白石さん、好物とか言うてたっけ」
「言ってたよ」
「チョコが好きやゆうてたな」
ところが驚き、治のほうが白石さんの好きなものを言い当てた。てっきり他人の好物なんて興味が無いと思っていたのに。
「当たり、よく覚えてたね」
「…まあ。そら」
「……ふうん」
バレーボールをしている誰もが鋭い洞察力を持っている、というわけじゃない。俺が偶然他よりも抜きん出た勘と身体能力を持っているのだ。
だから俺はぴんときた。何か決定的な事があった訳では無いし確約は出来ないけれど、でも、ぴんと来てしまったのだ。
治がもしかして、白石さんの事を好きなんじゃないかと。
Candy , and Guilty