06


今朝は学校に到着して早々、とんでもない騒ぎだった。
いつものように体育館の鍵を開けようと何名かの部員で向かっていると、そこかしこに色々なものが散乱している。何に使うのか分からないような、おそらく廃棄寸前の物もあったかもしれないが、とにかく地面に物が散らばっていたのだ。


「…なんやこれ」
「野良犬でも入ったんと違う?」
「犬なあ…」


時々、犬が迷い込んでくる事も確かにある。しかしこんなに荒らされた事は無いように思う。少なくとも俺が入学してからはそうだ。
不思議に思っていると部員の誰かが立ち止まり、ある場所を指さした。


「…あそこ、開いてたっけ?」


体育館の近くにある倉庫の扉が空いている。鍵は体育教員室に置いてあるはずだが、近くに行ってみると見事に壊されていた。泥棒だろうか。
しかしこの倉庫には、体育の授業や部活で使う道具しか入っておらず、貴重品は特に無いはず。

盗られたとしてもそんなに支障ないのではないか、と思った時に大事な事を思い出した。ここに大切なものを保管している女子生徒が居る事を。
そして彼女がそれをいつも置いている場所に、あるべきものが無い。


「……あかん」
「へ?」
「誰か先生呼んでこさして」
「お、おお」


尾白は近くに居る足の速い後輩を走らせた。
俺は恥ずかしながらこの倉庫に、いつも何が仕舞われているのかは詳しくない。でも、あれだけは知っていた。白石さんが父親から譲り受けた天体望遠鏡。もう古くて買い替え時だというのに、大切に使っていたものだ。

やがて先生が到着して110番し、警察が来る事になった。そのあいだに着替えを終えた部員たちがぞろぞろと集まりはじめ、倉庫の近くに溜まっている俺たちを珍しそうにしている。


「すっごい騒ぎ、どしたんです?」


比較的、誰に対しても物怖じしない角名が挨拶がてら言った。うしろには宮兄弟も連れ添っている。広めてもいい事なんだろうか。でももう隠しきれないか、間もなく警察もやって来る。


「泥棒」
「ドロ!?」
「何盗まれたんです」
「今それを調べてるとこみたいやけど…」


いや、先生たちも調べたいのは山々だろうが警察から「何も触るな、誰も入れるな」と言われたのか、今は倉庫前に待機しているようだった。一番に発見した俺たちバレー部の何人かだけが中を見ている。そして俺だけが、何が無くなったのかを知っている。


「望遠鏡なくなってんねん」
「…白石さんの?」
「ん」
「盗られたゆう事ですか」
「多分…」


双子は互いに顔を見合わせた。そしてそれを白石さんに伝えるべきなのか、俺の指示を待っているようだ。けれども俺から言うべきことなのかは分からない。


「お前らはあの子に何も言いなや、警察と先生に全部任しとけ」


恐らくそれが一番無難だ。侑と治もそれを理解してくれたようで、頷いて体育館へ入って行った。今日の朝練は全員、集中するのが難しいかもしれない。





1時間が経過した頃、だんだんと生徒が登校してきた。
校門に停められた警察の自転車を見て何事かと騒ぐ生徒、「なんや泥棒か」とあまり気にしない生徒。大抵の生徒にとっては、あまり使われていない体育倉庫への泥棒なんて大した問題ではないのだ。

そんな中、今回の泥棒騒ぎに関わる被害者がいる。朝練が終わるころには、白石さんも知らせを受けたのか倉庫の前に立って先生と話していた。


「…おはよう」
「あ」


先生や警察との話が終わったのを見計らって挨拶すると、白石さんが振り向いた。その時の一瞬の表情だけで落ち込みようは見て取れる。


「盗まれてもうたみたいです」


白石さんは力なく笑った。笑えるような気分じゃないくせに、と思っても俺からはどんな声をかけるのが正しいのか分からない。言葉の見つからない俺の代わりに白石さんは話を続けた。


「他は荒らされただけで、あんまり盗られてないらしいです。警察の人は、望遠鏡が唯一お金になりそうやったから持って行かれたんかもって」


確かに古びた体育倉庫の中には、金目のものなんて何一つ無い。運動部が練習で使用するものや、体育祭でしか使わないような埃を被ったものばかり。
その中で一番綺麗に保管されていたのが白石さんの天体望遠鏡だった。素人の俺でも分かる、この倉庫の中でもしも盗むとしたらコレだと。


「…けど、売ったら足がつくから。古いやつやし高うは売れへんから、もしかしたら捨てられてまうかも知らんって」


話しながら白石さんの顔がどんどん下を向いていく。
犯人が見つからなかったとしても、売られたのからそれを見つけだせば買い戻せるかも知れない。でも棄てられたらそれは不可能だ。万が一燃やされたり分解されたり、海にでも放り込まれたりしたら一生手元に戻ることは無い。


「…大丈夫?」


聞いてから思った。大丈夫なわけが無い。
でも白石さんは「はい」と頷いて、また弱々しく微笑んだ。


「大事なもん学校に置きっぱにしてる私が悪いんで…」
「そんなわけあるか」
「……」


百歩譲ってあそこに貴重品を置きっぱなしにしていたのが悪いとして、それを盗んでいくほうが何倍も悪いに決まっている。他人のものを盗ってはいけないと遠い昔から決まっているのだ。自分の勝手で他人を傷付けてはいけないと。


「警察に任しとき、絶対見つけてくれって頼んどいたらええわ」


しかし、ただの高校生である俺に出来るのはこれだけだった。気休めの言葉をかけるだけ。警察に任せたところで見つかるかどうかは分からないのに。


「…ありがとうございます」


白石さんはもう、駄目だと覚悟を決めているのだろう。俺に向けて発したお礼には全く希望が感じられなかった。





「…なんでやろなあ」


朝練の後、校舎までの道を歩いている時。ぽつりとこぼした疑問は独り言のつもりだったが、尾白アランに聞こえていたらしい。「なにが?」と尾白はペットボトルの水を飲み干しながら言った。


「俺は曲がった事が大っ嫌いや」
「知ってる」
「力ずくで真っすぐ伸ばしたい」
「知ってる」


この尾白の相槌は決して適当なわけではない。俺は今、自分だけで完結できない事を口に出すことで発散しているのだ。尾白を相手に。今回以外にも、時々こういう時間が無いとどうにもならない時があるから。


「けど、俺じゃ出来ひん事もあるねん」
「そら、あるわなあ」


下駄箱に到着し靴を脱ぐ。白石さんは今日、どんな気持ちで上履きに履き替えただろう。
今夜はいつもの場所に来るんだろうか。譲り受けたものが盗られてしまったことを父親に伝えるのだろうか?伝えるとしたらどんなふうに?そう考えるとどうしようもなく胸がちくちくするのだった。


「俺は主将やけど、カンペキちゃうし」
「いや俺は完璧や思てるで」
「男やけど、強うはない」
「はあ」


生まれ持った骨格から全てが並の俺は性格がいいとも思わないし、悪いとも思わない。能力的に何かが突出しているわけではない。顔がいいとか金持ちとかでもない。
それでも多くの部員を束ねる主将に選ばれたが(それはもちろん誇らしいが)、気になる女の子ひとり助けられないと言うのは情けない気分だ。


「なんや、泥棒の話?」
「おう」
「警察にやらしたらええやん。お前あの子に言うてたやん、警察に任しとれって」


確かに俺はそう言った。せめて気分を上向きにしてもらおうとして。でもそれが単なる気休めである事なんか、白石さんはとっくに気付いているだろう。


「…任せても、見つからん時は見つからんねん。そん時俺はどうしたらええか分からん」


廊下から外を覗けば、警察が帰っていくのが見えた。それを見ながら騒ぎを知らない生徒たちは「何何、事件?」なんて話している。


「べつに北が何かせなあかん事は無いと思うで」
「なんでやねん」
「部外者やん。被害者ちゃうやん」
「あ?」


俺と白石さんの関係性を一刀両断するかのような言葉に、思わず声が低くなってしまった。尾白の言うことは事実だというのに。
俺の眉がぴくりと動いたのを彼は分かっているようで、すぐに次の言葉を述べた。


「けど関わりたいんやろ、自分が助けたらなあかんって思てる」


俺は立ち止まった。自分のクラスに到着したからではなく、尾白の言葉に反応して。


「……それ、普通やろ?」


ガタイのいい同級生を見上げると、彼は首を傾げた。困っている人を助けるというのは普通で、当たり前のことなのでは?どこの国でも、どの時代でも。しかし尾白は試すような表情で俺を見下ろすのだった。


「フツーかなあ…」
「……」
「フツーやろか?」


俺は白石さんの力になりたいし、元気になってもらいたい。それは「普通の事だから」では無い事くらい分かっている。いくら恋愛に疎い俺だって、自分の気持ちぐらい理解出来る。俺は白石さんのことが好きだから助けたいし関わっていたい、それだけだ。

シズム・イズム