05


今更になって日課が増えた。
練習が終わり日が沈みかけたころ、間もなく冬になる澄んだ空には満天の星空が広がっている。山のてっぺんなんか行かなくてもこのように星を見る事ができるのは知らなかった。知ろうとしなかったから。

白鳥座、オリオン座、おうし座、白石さんが説明してくれた星座はその日のうちに覚えてしまって、家までの道を歩きながら彼女の声が頭の中で再生された。「ロマンチックですよね」と言われた時、正直まったくロマンチックだなんて思わなかったのに。
とても奇跡的な事が起きているのではないかと思わされる、不思議な力を持った女の子だと思った。


「…星のソムリエって、うまいこと言うなあ」


明くる日も、また明くる日も白石さんは同じ場所で天体観測を行っていた。これが彼女の「天文同好会」としての活動なのだと言う。


「ですよね。名前考え付いた人はすごいなあ思います」
「うん」
「星空案内人っていうのもあるんですよ、知ってました?」


これも知らない単語であった。まるでロールプレイングゲームに出てくる登場人物みたいだ。


「…知らん」
「ですよねえ」
「プラネタリウムの職員かなんか?」
「んー、違います。けど、まあそんなもんです。案内するひと」


案内する人というのは言葉のとおり、空を見ながら星座の観測を誘導し説明していく人だろうか。俺みたいな人間に。


「白石さんみたいな人?」


望遠鏡を撫でる白石さんに聞いてみると、彼女は動きを止めた。顔まわりの髪を耳にかけるのは照れ隠しの動作だろうか。将来はこういう関係の仕事に就きたいと思っているのかも。
白石さんは天体望遠鏡を覗き込みながら言った。


「…私は北先輩に、こうやって付き合ってもらってるだけやから」


彼女は望遠鏡を覗いているのでどんな表情なのかは分からない。
俺は白石さんの天体観測に付き合っていると言うよりも、最近は勝手にご一緒させて貰っている状態だ。観測に適したこの場所が偶然体育館と近い事もあるし、練習終わりに外を見渡すと必ず彼女が居るから。


「…むしろ付き合わせてんのは俺やと思うけどな」
「そんな事ないです、いっつも聞いてもらってすいません」
「ええねんそれは」


白石さんの声を聞くのは苦ではない、それどころか練習の疲れが楽になるようであった。
それにバレー部の練習が終わる時間まで観測しているということは彼女の帰りも遅くなる。それを知ったらひとりで帰らせるのは忍びない、って普通の感覚ではないだろうか。

しかし、もしもここに居るのが白石さんではなく面識のない女子生徒だったらどうするんだろう?恐らくそんな世話は焼かないだろうな。という事は俺は白石さんに少なからず特別な感情を抱いているという事か。
それを自覚したところで驚きはしなかった。白石さんには俺を惹き付けるだけの申し分ない魅力があるのだ。


「ひとりでゆっくり眺めんのも良かったけど、誰かと見るんはまたちゃいますねえ」


望遠鏡から身体を起こしながら白石さんが言った。誰かと見るのはまた違う、とはどういうふうに違うのか。楽しいのか、つまらないのか。気になったけれど聞くのは気が引けるので、もうひとつ気になった事を聞いてみた。


「…白石さん、友達おらんの?」
「えっ!?居ます」
「そっか、ならええわ」
「おらんように見えます?」
「そういうわけやないけど」


ひとりで居るところしか見た事が無いので、もしかしてと思ったが。そんな心配は不要だったらしい。


「あんましこういうのに興味ある友達は居てないんで、観測はひとりでやってるだけです」


白石さんは恥ずかしそうに笑った。彼女の頬が染まったぶんだけ俺の心もほんのり染まった気がする。白石さんが優しく心の中を支配してくるような、反対に俺が白石さんに取り込まれているような、そんな感じだ。


「…もしかして私がひとりぼっちやから、話に付き合ってくれてるんですか?」
「いや…」
「いっつも長々喋ってすいません」
「んな事ない。自分の知らんことを知れるんは面白いなあ思って」


知らないことを知っていくのは面白い。それは間違いないのだが、もうそれだけが理由では無いと確信してしまった。


「知らん事だらけなんですよ、私も」
「…そうなん?」
「はい。こんないっぱいある星、ぜんぶ知ってるんおかしいでしょ」
「そらまあ…」


白石さんは満天の星、とは言えないが比較的きれいな兵庫県の星空を見上げた。俺も一緒に顔を上げると、今日は空気が澄んでいるのか星の数が多いように見える。


「一生かかっても行けへん距離でも、ここ覗いたら見えるって不思議や思いません?」


続いて手元の天体望遠鏡を指さした。そのまま望遠鏡をゆっくり撫でていく。よほど大切なものらしい、双子のせいで壊れなくて本当に良かった。


「何億光年向こうには、卵がひしゃげたみたいな感じのガス星雲があって」
「卵て」
「手ぇ伸ばしたら届きそうなくらいの大きさで見えるんです。おっきい観測所なら」


この子は星空というものについて、俺や他の人間とは少々異なる見方をしているらしい。気を抜くと本当に遠い星にトリップしてしまいそうだ。


「…ってのを友達に語ったら引かれました」
「んー、友達の気持ちも分かる」
「ええっ」
「俺は引かんけどな」


現実離れした夢見る少女のようだが、俺にとってはそれが余計に光って見えた。遠くの星よりもずっと。


「白石さん尊敬するわ。ひとりで毎晩そんな事、俺なら絶対飽きてまうから」


それを聞いて白石さんは目を丸くした。俺は純粋にそう思ったから言ったのだが、彼女は顔の前で手を振って否定した。


「尊敬されるような事やないです。みんな何かしらやってますよ、他と違う事」
「みんな?」
「北先輩はバレーやってるやないですか。私には無理やもん、毎日そんな身体動かすんは」


そう言われて少し考え込む。確かに俺は何も考えずに(という訳では無いが、特別な意識をせずに)練習に打ち込んでいる。それが日課だし、やりたくてやっている事だから。


「そういうもんなんか」
「そういうもんなんです」


白石さんは満足そうに言った。
好きな事なら少々体力を使ったって、暗くなったって、時間を忘れて打ち込める。白石さんはそれほどまでに星空に惚れ込んでいるのかも知れない。


「…先輩、今日は早よ帰れって言わんのですね?」
「え」


そう、このように、時間を忘れるほど。白石さんに言われて初めて時計を見ると、もう19時半を回っていた。


「…あかん、こんな時間やん」
「ね。私も気付かんかったです」
「はよ帰らな」
「ハイ。片づけます」


白石さんは慣れた様子で、それでいて大切そうに望遠鏡を外し、三脚を畳み始めた。


「…それ結構古いん?」


ふと、この子は一体いつから天体観測をしているのだろうと思い聞いてみた。


「小学校ん時にお父さんが買ってくれたやつです」
「ふうん…」


という事はもう5年以上愛用しているのか。天体望遠鏡の寿命がどのくらいなのかは知らないが、こんなに毎日使ってくれて、自分が父親ならきっと嬉しいだろうと思える。
白石さんは三脚と望遠鏡を持ち上げようとしていたので、望遠鏡のほうを受け取って俺も一緒に倉庫へ運んでいく事にした。


「お父さん、こっち系の仕事してるん?」
「はい」
「せやから白石さんも星が好きなんや」
「遺伝ですね」


遺伝で趣味まで一緒になるかな、なんて思ったが白石さんの一族なら有り得そうだ。彼女の両親には会ったことが無いけど、白石さんがこんなに星を愛するのを見ればなんとなくそう感じた。


「これは古くて、もう新しいやついっぱい出てますけど…壊れるまで使い倒そう思てます」


倉庫の端の棚に三脚を置きながら、白石さんは言う。続けて俺も、となりに望遠鏡を置いた。傷つけないようにゆっくりと。彼女にこんなに大切にされる望遠鏡がちょっぴり羨ましく思えた。


「…あん時、三脚やなくてコッチが壊れてたら大変やったな」
「あはは。今やから笑えますけどね」


その笑顔は俺に向けられてはいないのに、白石さんが笑っていると俺も自然と穏やかな気分になれる。けれどあの日、もしも治と侑がこれを壊してしまっていたなら、あのふたりを殴るどころじゃ済まさなかったかもと思う。この天体望遠鏡がいかに大切なものなのかを知ってしまった今は。

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