The point of view
by Rintaro.S


正直、親元を離れて初めての土地で暮らすには抵抗があった。しかし知らない人だらけの学生寮に入るよりは、偶然高校の近くに住んでいる親戚宅に滞在するほうがいい。年齢の近い従兄弟も居るので気が楽だ。
そういうわけで兵庫県に引っ越してきた俺は、バレーボールの強豪である稲荷在高校に入学を果たした。それが今からちょうど1年前の春である。


「またクラス別やん」


2年生になったばかりの始業式、壁に張られたクラス分けの紙を見ながら宮侑が言った。片割れである治と今回も違うクラスになった事を、彼は嘆いているのか喜んでいるのか分からない。


「角名は?」
「えーと…4組」
「なんやあ、角名も別か」


俺たち3人ばらばらのクラスに振り分けられてしまったようだ。どうせなら少しでも仲の良い人間と同じが良かったが仕方ない。去年同じクラスだった男子も何人か居るみたいだし、退屈はしないだろうと思いながら2年4組へと足を踏み入れた。

教室内は既にいくつかのグループが出来ていた。1年の時に同じクラスだった生徒たちが数人ずつで集まっている。
今のところ俺の知っているやつ、または話の合いそうなやつは居ないなと思いながら教室の中を進むと、ひとりの生徒に目が留まる。なんだったっけ、あの子の名前。


「あれ、角名くんやん」


彼女はちょうど俺のほうを向いて友人と談笑していたので、俺を見つけて名前を読んだ。向こうは俺の名前を憶えているのか。ますます気まずい、どうしよう。


「すみれ知り合い?」
「うん。たまにうちの店来てくれるねん、あの双子の子らと一緒に」
「えー!宮兄弟!?」


今更「宮兄弟」への反応の大きさは気にならなくなった。
そんな事よりこの子の下の名前は「すみれ」か。どうしても苗字が思い出せない。何度かこの子の親が経営する店に寄り道したし、去年の学園祭では彼女のつくったパンが美味しかったという記憶はあるのに。


「おんなじクラスやな!よろしく」
「うん…あ。ここ空いてる?」
「空いてんで」


その子の後ろの席が空いていたので、とりあえずそこに座った。
横を通り過ぎる時にこっそり胸元の名札を盗み見ると、「白石」の文字が目に入る。そうだ、この子は白石さんだ。すっきりした。

俺の前では白石さんと、その友人が隣どうしの席に座って「今年も一緒で良かったわあ」などと話している。今年はどんな一年になるんだろうか、30数人が居るこの教室の中で。





「むっちゃ最悪やわ。担任ノブオやねんけど!」


始業式の放課後、着替えながら侑が新学期早々苦い顔をしていた。
社会科全般を教えているノブオカ先生は通称ノブオと呼ばれている、超が付くほど厳しい先生だ。俺も去年ノブオの授業があって現代社会を習っていたが、まぶたを閉じれば即刻名指しの喝が飛んでくる熱血漢である。嫌いじゃないけどちょっと相性が合わないので侑に同情した。


「治んとこは?」
「ユリちゃん」
「おお、ユリちゃん!」
「ユリちゃんって誰だっけ」
「ほらあのー、英語の佐々木ユリコ。俺らの間でユリちゃんて呼んでるねん、かわいいやろ?」


英語の佐々木先生は50歳を超えるおばさんなのだが、ユリちゃんなんて呼んでいるのか。こいつら家でも楽しそうだな。


「俺んとこバレー部少ないし可愛い子もおらんし担任ノブオやし最悪やマジで」
「へー」
「角名んとこ誰がおんの?」
「俺も特に仲良いやつは居ないけど…」


ふたりに比べて俺のクラスはあまり特徴的とは言えない。何か話題になる事はあったかなと思い返してみると、共通の知り合いが一人いるのを思い出した。


「…あ。あの子いるよ」
「どの子?」
「パン屋の白石さん」


白石さん、と聞いて侑も治も「そうなんや」と反応してくれた。よかった、流されなくて。


「白石さん4組かあ」
「うん。あの子俺の名前覚えてたんだね。急に呼ばれてビビったもん」
「へえ」


着替え終えた治はロッカーを閉めた。俺と侑も同じタイミングで用意を終えたので部室を出、体育館まで歩きながらもやっぱり新しいクラスの話題が抜けない。


「治のクラスはどう?」


なんとなく聞いてみると、治はぼんやりと宙を見たあと首を振った。


「…別に、おもんなさそうやわ」
「そっか」
「収穫はユリちゃんだけやな」
「ぶっ、治って熟女好きだったの」
「なかなか可愛いねんで」
「せやねん、挙動がな!あと20歳若かったら付き合えるわ」
「それは引く」
「オイ」


侑のストライクゾーンの広さにドン引きしつつ、今日も練習が開始される。ほんと、どんな一年になるのか見当もつかない。配られた新しい教科書はややこしそうだったし、授業について行けるかな。





新学期が始まってから数日後、ある昼休みのこと。俺と白石さんは結局席が離れはしたものの、彼女の友人が俺の隣だったのでそこでご飯を食べていた。
侑のクラスで食べ終えてきた俺が席に着こうとすると、隣の机に何やら美味しそうなものが広げられていることに気づく。パンだ。


「…あ。それ自分の?」


白石さんの家はパン屋を営んでいて、確か彼女も練習で色々作っていると聞く。もしかして、と思って聞いてみると白石さんは大きく頷いた。


「うん!作ってきてるねん」
「へえー」


去年の学園祭で出てきたパンも美味しかったっけ。そういや治も言っていた気がする、白石さんは自分の昼ごはんにもパンを作って来ていると。で、確か一度だけ失敗かなにかをしたのだと。


「…去年、自分で作ったの食べて食あたりになったんだって?」
「あはは、そういやそやったなぁすみれ」
「ぶっ」


去年同じクラスだったらしい女の子は思い出してけらけらと笑っていたが、白石さん本人は顔を真っ赤に染めていた。予想よりもオーバーリアクションだ。


「な…なんで知ってるん!」
「治に聞いた」
「治くんに!?何で言いふらすねんもう〜恥ずかしいわ」


相当恥ずかしかったのか手で顔を仰ぐ姿を見て、思ったよりも明るい人なのかなぁと感じた。店番をしている時は楽しそうではあるけど、普通の真面目な女の子って感じだったから。まあ普通っちゃ普通だけど。


「言うとくけど1回だけやからね!吐いたんは!」
「へー。」
「ちょっと私吐いてくるわ」
「なんでやねん!」


白石さんの友人が恐らくトイレに行き、白石さんはそれに対して元気に突っ込み、友人の姿が見えなくなると大きく肩を落とした。
さすがに女の子に向かって吐いた話をぶり返すのは駄目だったかな?まあ怒ってないみたいだから良いか。


「それ食べないの?」


しかしその話は終わらせる事にして、机の上に置いてある透明な袋を指さした。パンがあとひとつだけ入っている。


「あ、うん。お腹いっぱいになってもおて」
「ふーん…」


俺、まだ満腹までは少し遠いんだよなあ。「欲しい」と言ったらくれるだろうか。厚かましいかな。でも考えれば考えるほど欲しくなってきたし、白石さんからパンを貰うことによって満腹感以外にも満たされるものがある。優越感と呼ばれる感情だ。


「よかったらそれ、ちょうだい」


ダメ元で聞いてみると、白石さんは少し驚いたようではあるが嫌そうな顔はしなかった。


「…へ?ええけど」
「やった。みんなに自慢しよ」
「自慢できるようなもんちゃうで?」
「できるできる」


ありがとう、と受け取って食べたパンはとてもとても美味しかった。白石さんが思っている以上に、充分に自慢できるのだ。食い意地の張った双子相手には。


「うっっっそやん!!!うらやっま!」
「でしょでしょ。美味しかったあ」


その日の部活前、早速報告という名の自慢をしてみると侑はハンカチを食いちぎりそうな表情だった。うん、優越感がパンパンに満たされた。


「仲良くなって美味しいパンをいただく作戦が…先越された…」
「いつそんな作戦つくってん」
「去年や!」


そうやったか?と治はとぼけた様子だったので、俺の優越感は侑の反応だけで満たされる事になった。治は去年白石さんと同じクラスだったから、こういう事が特別ではないのかも知れない。


「治、同じクラスだったんでしょ?」
「おお」
「じゃあ治のほうが俺の先越してんじゃん」


侑が責めるべきは俺じゃなくて治の方ではないか、学園祭の時とかに色々食べさせて貰ったのでは。と思ったけど治はやっぱりとぼけた表情のまま首を振った。


「…俺、なんも貰った事あらへんで」
「あ、そうなんだ」


だとしたら俺が今日「ちょうだい」と頼んだのは言い過ぎだったかな。嫌な顔はされなかったし大丈夫だと思いたいが。


「何でやろなあ?俺らが下心あんのバレてるんやろか?やから貰えへんの?」
「下心あるんはお前だけやろ」


未だに悔しがって「はー、パン食いたい」などと言う侑を放置して、治は体育館へさっさと行ってしまった。

そのあともやたらと侑は「美味かった?」「ええなあ」などと言ってきた。
もしかして侑って白石さんの事が好きなんじゃないかと思ったが、そうだとしたら俺のクラスに白石さんが居るのを知った時点で悔しがるはずだ。たぶん侑のコレは色気じゃなくて食い気だな。

Candy , and Guilty