きっかけはとても些細な事であった。いや、些細と言うには軽すぎるかもしれない。世界中の女の子はきっと「些細な事だから許せって?」と怒るに違いないのだ。自分に自信のある大人の女性とかなら分からないけど、きっと高校生の女の子はそうに決まってる。


「この中なら誰がいい?」


クラスの誰かが言うが聞こえた。よくある光景だと思う。アイドルがたくさん写った写真の中で誰が一番いいかを指差すアレだ。
しかし今回わたしがそれに聞き耳を立ててしまった理由はひとつ、会話の輪の中に国見英の姿があったから。


「…どれもタイプじゃない」


彼は興味が無さそうに言ってくれた。わたしはどんなに安心した事だろう、だって国見英はわたしの彼氏なのだ。


「しいて言うならどれ?」
「俺マユちゃん」
「あーっ分かる」
「国見は?」


おいおい頼むからそれ以上聞いてくれるな。彼女が同じ空間に居るんですけど。
でも実はわたしと英が付き合っている事はクラスの人には内緒にしていて、バレー部のメンバーしか知らない事だった。

わたしたちは今年の4月、バレー部の部員とマネージャーとして知り合った。
もちろんわたしは男子目当てではなくて、兄がバレーボールをやっていたから興味があったという理由である。でもマネージャーが部員と付き合うって事を良く思わない人も居るだろうし、部員以外には言わない事にしておいたのだ。


「ちょっと見せて」


英はとうとう友人から雑誌を受け取って、気だるそうに紙面を眺めた。ああ、英が他の女の子の顔を凝視している。腕とか脚とかがまる見えの衣裳を着た女の子たちを。


「…こいつかな」
「どれ?あっ!アイちゃん?」
「うん」
「なんでなんで?」
「一番巨乳だから」
「おっぱい星人かよ」


この時の英の言い方はかなり適当だったので(いつも比較的適当だけど)、アイちゃんを選んだのは消去法か何かだったのかもしれない。だからまだ我慢できた。男子の他愛ない会話のひとつであると。けれども問題は次だ。


「でもほらマユユは貧乳だけどめっちゃ可愛いべ?迫られたらどうする?」
「何その質問」
「もし!もしも迫られたら」


マユユがこんな田舎の高校生に迫って来るわけない。東京でアイドル活動をしてるんだから。だからそんなナンセンスな質問に国見英が返答するはずは無い。と、思っていたのに。


「するに決まってんじゃん」


これ。これを「些細な事」で済まそうなどと思わぬがいい世の中の高校生男子、この言葉を聞いた瞬間にわたしは頭をハンマーかなにかで割られたような気分になった。
わたしは巨乳ではない。お腹も引っ込んでない。顔も可愛くは無い。そんなわたしが巨乳のアイちゃん、可愛いマユちゃんに勝てるわけない。でも「するに決まってんじゃん」って、なんだそれ。「決まってんじゃん」って。決まってねえよ。





「あ!き!ら!」


放課後になり、わたしを置いてさっさと部室に向かおうとする英を大股で追いかけていく。付き合っているのを悟られないために置いていかれるのはいつもの事だが、今日は何がなんでも追いつかなければならなかった。


「来ると思った」
「えっ」
「さっきの事だろ?」


英はわたしが鬼の形相で追いかけてくるのを分かっていたらしく、すたすたと歩くスピードを緩めずに言った。それもムカつくし、わたしが怒ると分かっててあんな事を言ったのか、って事もムカつく。


「そう!さっきの事!分かってるなら話は早いけど!何あれ最低じゃない!?マユユに迫られたらしちゃうの!?」
「するよ」
「一回くらい否定して!?」


マユユは女のわたしから見ても可愛い。巨乳ではないけどくびれがあって、スタイルもいい。そんなマユユとチャンスさえあればエッチしちゃうという事だ。
いや、男の子なんて結局そうだと思うけど、せめてわたしの前では言わないで欲しかった。


「…嘘でもしないって言って欲しかったよ」
「しないよ」
「遅いよ」
「じゃあ聞くけど、お前マユちゃんに勝ってる部分あるの?」


ぐうの音も出ない事をちくちくと言ってくるのは国見英のお家芸だ。そんなの答えは決まってる。わたしがマユユに勝てる部分なんてあるわけが無い。何ひとつない。分かりきったことを聞いてくるなんて意地悪過ぎませんか。


「…なんでそんなこと言うの?」
「面倒な事で機嫌悪くされたから腹立ってる」
「素直すぎませんか…」


英も英でイライラしているらしかった。わたしのショックに比べたらそんなの大した事ないくせに。でも英は自分を曲げない人なので、大きな溜息をつきながらこう言った。


「聞いてたなら分かるだろ。べつに自分から会話に参加したわけじゃないから」
「そうだけど!」


英が自ら「俺マユちゃん超好き、やりたい」と言ったわけじゃない。するか、しないか、二択の質問をされたから仕方無かったのだ。でも。


「か、カノジョが居るから、そういうのはしないって言えばいいじゃんか」


言ってる途中で「あ、言わない方が良いかも」と気付いてしまったので語尾がごにょごにょしてしまったが、英には最後まで聞こえていたらしい。更なる溜息を吐かれてしまった。


「…付き合ってるの秘密じゃん」
「そうだけど…」
「そういう会話全部を頑なに拒否ってたら俺、友達なくしちゃうんだけど」
「う…」


確かに仰る通りである。友達なんて居ても居なくてもべつに平気、という顔をしているくせに、彼はクラスメートとの交友関係を滞りなく保っているのだ。「自分」というものを持ちつつもクラスの和を乱さない男なのである。だから男同士のああいう会話だって、まあ、ある程度は仕方ないのだ。


「……ごめんなさい」
「分かってくれたらいいよ」


英の声から、不機嫌さが一応は消えた。でもそのまま何事も無かったかのように歩かれると癪だし、わたしが傷ついたのは変わりないし、何だか腑に落ちない。


「…でもさあ、」
「はい来ると思った」
「えっ!?」
「納得してないくせに謝るの悪い癖だよ、分かってる?」
「………はい。」


なんだ全部お見通しなのか。さっきの「分かってくれたらいいよ」が棒読みだったのは、わたしが全く自己解決できてないのを分かっていたからか。何だかわたしが悪いわけじゃ無いのに、わたしがお子様だからいけないのかと思えてきた。


「それに今回のは、俺だけが責められるのは納得いかないね」
「え?」


英は靴を履き替えながら言った。わたしも履き替えながら聞き返したけど、やっぱり英は先にすたすたと歩いてしまう。やばい、何かまだ怒っているのか?


「すみれ、今朝同じような事話してたじゃん」


やっとわたしが追いついたタイミングで英が言った。
今朝、同じような事?なにか話したっけ、わたし。確か今朝はクラスの友だちと、この間の歌番組の感想を話していたような。


「……韓流アイドルの話?」
「そ」


そ、と言われても。そのアイドルと付き合いたいとか、ましてやエッチしたいとか、そんなことを言った覚えは無い。


「…私、なにか言ったっけ」
「覚えてないならいいんじゃない」


ちくちくちくちく、長引くと面倒くさい怒り方だ。部室に着くまでに治めたい。
ええと、わたしが今朝話したのはアイドル4人の中で歌が上手いのは誰とか、ダンスが上手いのは誰とか、そんな感じの事だ。


「…ビョン様のダンスがカッコイイっていう話なら、した記憶はあるんだけど」
「あんのかよ」
「え、もしかしてそれ?」
「それ」
「うそ!?」
「うるさいな、嘘じゃない」


いやいや嘘でしょう「カッコイイ」のたった一言でそんなに機嫌を損ねたのかこの男?という事はその仕返しとして、マユユに「迫られたらするに決まってる」と返答したと?


「カッコイイって言っただけじゃん…」
「彼氏が居る教室内で、他の男をカッコイイって言うのはどうなんだよ」
「…だってそんな…」
「そんな些細な事でって思った?」


英が今、この会話の中でやっとわたしのほうをきちんと見た。
あ、やばい。「そんな些細な事で」と今確かに、わたしは思ってしまった。そんな事で怒るなんて、と。わたしも同じ理由で怒っていたはずだ。それを「些細な事」では済ませないぞ、と。


「……ごめ…わっ!?」


申し訳なかったな、と思い謝ろうとした時突然ぐいっと腕を引っ張られた。部室棟に到着する直前の、建物と建物の陰になっているところへ。


「あ、あき、……」


どういうつもりかと見上げると、ちょうど英がわたしを見下ろしているところだった。がっしり顔を固定され、コンクリートの壁に押し付けられながら唇を奪われる。英にしてはかなり強引だ。押し返しても動かずに、むしろわたしが抵抗すれば更に力は強まっていった。


「……っ、は、ちょっ」
「なに?」
「何って」


いきなりどうしたの、と言いたかったのにそれも許してもらえず、言葉ごとがぶりと食べられてしまった。時折唇の間から声を出そうとしても、すぐに英の舌がそれを制しにかかる。

こんな屋外の壁に張り付けられてキスするなんて見つかったらどうするんだ、何考えてるんだ。と非難する気持ちと、だんだんキスが気持ちよくなっていく高揚感が混じり合ってきた。


「なあ」
「え、」


やっと唇が離れた時、英が言った。どうやら彼も少し息が上がっている。


「俺とそのビョン様とかいう奴、どっちがカッコイイわけ」


なんだその質問。思わずきょとんとしてしまった。だって答えは決まっているから。
それなのに英はいたって真面目というか、「間違った答えを言ったら殺す」とでも言う勢いでわたしを見下ろしている。そんなに怖い顔しなくても。


「……あきら…です」
「当然だろ」


ふんと鼻を鳴らして英はやっと満足したらしく、壁から手を離した。これにて一件落着だろうか?部室に向けて再び歩き始めた彼を後ろから追いかけ、追いついた時に英がぼそっと言った。


「二度と言うなよ」


他のやつの事、カッコイイとか。…の部分はウィスパーだったので聞かれたくなかったかもな、聞こえなかった振りをしておこう。次に言ったら倍返しされてしまいそうだし。

すったもんだの恋人たち