The point of view
by Osamu.M


何かに向かって頑張っている時は非常に充実感があり気持ちも高まっていくが、その当日になれば時間はあっという間に過ぎていくものだ。
いよいよ学園祭となり、昨日はクラス全員で用意に追われていた。お菓子作りや料理好きの女子たちは各々たくさんの準備をしてくれており、ほぼ徹夜をしたらしい。

そんな中、料理なんて小学校の時に親の手伝いをしたのが最後の記憶である俺は、彼女の手伝いをする事は出来ていない。他の男子も同じような状況であった。


「おう、治ー!」


喫茶店の装飾がされた慌ただしい教室の中、響き渡るのは俺の名前を呼ぶ声。声の主は聞き間違えるはずの無い男だ。なんせ同じ家で16年間をともに過ごしているんだから。


「…おまえ出禁ゆうたやろ」
「本気やったんかい」
「何しにきてん」
「治の働きっぷり見に来たに決まってるやろ?おかんに写メ頼まれとんねん」
「自分のだけ送れや…」


残念ながらうちの母親は今日、地域の集まりで学園祭には来られないらしい。クラスでお揃いのエプロン姿を見られなくて済むと思ったのに、侑は許可なくカメラを起動し始めた。


「あ、俺がさっきまで化けてたユーレイの写真見るか?」
「いらん」
「せやせや、そこで角名捕まえてきたったわ」


侑は適当な写真を何枚か撮った後、教室の端っこで突っ立っている角名を手招きした。一緒に入ってきたらしいが侑がうるさすぎて気付かなかった。


「いいじゃん治、エプロン似合ってる」
「清々しい棒読みやな」
「バレた」
「なあ、俺ら客やねん。案内してや」
「空いてるとこ座っとれや」
「態度わる」


ふたりを適当な席に座らせて、俺はパテーションで仕切られた奥に逃げ込んだ。
稲荷崎に入学してからすでに半年が経過している。俺と侑が一卵性の双子であり、バレー部であり、少々目立つ存在である事はもう学校中に知られているのだ。侑のよく通る声で騒がれてはたまらない。


「あっ、侑くん来てんの?」


奥に引っ込んでいた何名かの女子は黄色い声をあげ、設置された飲食用の席へと向かっていった。きっと彼女たちが侑と角名の注文をとって接客してくれるだろう、俺は無視しとこ。


「宮くーん」


と、一息ついたところで白石さんの声がした。女子が侑の観察に行ったおかげで今、奥には彼女ひとりしか居ないらしい。
パテーションの向こうからは「治くんと髪の色しか違わへんやーん!」などと聞こえてくる。


「なに?」
「これ運んでほしいねん…あっ、宮くん来てくれたんやね」


宮くん、と言われて一瞬首をかしげてしまった。俺の苗字も「宮」だから。でもよく考えれば今のは、俺ではないほうの「宮」を指しているようだ。


「…侑のこと?」
「そうそう」
「あー、うん。ごめんな、あいつウッサイやろ」
「いやいや全然ええよ」


むしろ賑やかで楽しいな、と白石さんは笑った。今の白石さんの頬、白いパンにいちごジャム塗ってるみたいな感じ。よほど今日の学園祭が楽しいらしい。


「運ぶんこれだけ?」
「うん!窓際の席!お願いしまーす」


白石さんが用意したトレーを受け取って表に出ると、窓際に設置された机にそれを運んだ。座っているのは上級生だったらしく「あっあんた治くん?」と話しかけられ、誰やねんと思いつつも「ハイ」と返す。いやほんま、なんでそんな馴れ馴れしいねん。乳でっか。

恐らくわざと開けられた胸元をガン見しつつ適当に二言三言交わしたあとで、角名と侑の席に目をやった。と、ちょうど侑が俺を呼ぼうとしているところだったらしく手招きしている。


「白石さんどこおんの?」


どうして侑が白石さんの居場所を気にするのか甚だ疑問である。俺の予想からしてこいつは彼女に恋心などは抱いておらず、兄貴分のような気になっているのだ。


「奥や。呼ばんぞ」
「なんでやねん」
「忙しいねん」


ぶーたれる侑をしっしっと手であしらっていた時、角名がちょうど運ばれてきたパンに手を伸ばした。


「わ、これ超美味しい」


そして、その美味しさに感嘆の息を漏らしている。白石さんが作ったのだから当然だ。なぜか俺が鼻高々である。


「これ白石さん作ったの?」
「おう、夜中焼いたらしいわ」
「夜中!」


侑と角名は同時に驚きの声を上げ、机ががたんと揺れた。俺もそれを聞いた時は驚いた。高校の学園祭の準備なんて、徹夜をしてまでするものだとは思わなかったからだ。


「治が大イビキかいとう間に白石さんは頑張ってたんやなあ…」
「お前ほんまシバくぞ」
「合宿中は侑のほうがうるさかったけどね」
「嘘やん!」


彼らは笑っていたけれども、俺は正直笑えない。今回の学園祭では本当にあまり役に立てていないから。
練習あるやろ、と白石さん以外の女子にも気を遣われるし、あまり頑なな態度を取ることもできずに練習に参加していた。昨日の放課後だけは練習が無く、全校生徒がそれぞれ準備を行っていたが。

だから昨日しか手伝えていない。おまけに俺は帰ってからも何もしていない。俺には家での用意なんか無かったから、侑が一生懸命ユウレイ役の練習をするのを眺めているだけだった。





あっという間に学園祭は終わってしまい、一気に教室内では片付けが始まった。明日は振替休日だから今日のうちに片してしまわなければならないのだ。


「男子ゴミ捨て行ってきてー」


大量のゴミがビニール袋にまとめられて教室の端に置かれている。「喫茶店」という出し物である以上、こういう時しか男子生徒は役に立たない。何人かは机の移動をさせたり装飾の撤去、何人かはゴミを運ぶようにてきぱきと指示された。

俺も勿論なにかを運ぼうと思ったのだがその前に、白石さんが何をしているのか探してみる。すると彼女はちょうど良く、大きなごみ袋を結んでいるところだった。


「それ持ってくわ」
「あ、ありがと」


自然なタイミングで声を掛けることに成功した。更にごみ袋を受け取る時に少しだけ手が触れた。ラッキーだ。ふたつの大きな袋を持ってゴミ捨て場に行こうとすると、白石さんも立ち上がった。


「あ!宮くん待って、私も行くわ。まだいっぱいあんねん」


ゴミ捨て場にゴミを捨てに行く。ムードの欠片も無いシチュエーションだが、更なるラッキーが舞い降りた。ふたりで並んで歩けるとは。


「いやあ、やっぱ男の子は力持ちやねえ」
「……そおか?」


教室からゴミ捨て場までは片道5分弱。ほんのわずかなこの時間、白石さんの歩幅に合わせて出来るだけゆっくりと歩いていく。
傍から見れば「女の子に合わせて偉いね」と思われるだろうが、単に出来るだけ長く白石さんの隣を歩くための作戦である。


「宮くんら、いっつもお店来てくれてありがとうな。お母さんがお礼言うとけって」


白石さんは歩きながら、部活帰りの寄り道について話し出した。俺たちのことを人間国宝さんである母親に話しているらしい。


「ちょうど帰り道やからな」
「そう?」
「コンビニで買うよりああいうとこのが美味いやん」


と、知ったふうな口を聞くものの、それを知ったのはごく最近だ。白石さんの店に初めて行くまでは、チェーン店やコンビニでしかパンの買い食いなんてしなかったから。


「宮くん、もしかしてお米よりパン派?」


しかし俺の言葉を聞いた彼女は、俺がパンについてちょっとこだわっていると勘違いしたらしい。
米かパンか、と聞かれれば俺は米派である。お腹にたまるし、「ああ食った」という気分になれるし。でも「白石さんのパン」か米か、と聞かれたら答えはこうだ。


「……断然パン。」
「おおー!なんか嬉しいわあ」


白石さんは大きな口を開けて喜んでいた。頬、今はたこ焼きみたい。いつでも彼女は俺の食欲をそそってくる。

そのうちに残念ながらすぐゴミ捨て場に着いてしまい、持ってきたゴミを適当に投げ込んだ。白石さんが持っていたゴミも受け取ると、それが思ったよりも重かった事を知る。気付くん遅、ええとこ無しか。


「はー重かった…今日はいっぱい手伝ってくれてありがとうな。あとは机戻すだけやね」


もう皆戻してくれてるかな?と言いながら、教室に戻るため再び片道5分の距離を歩く。出来るかぎりゆっくりと。


「…まあ、手伝いちゅうか…俺も3組のひとりやし…やんのが普通やろ」


白石さんが相手じゃなければこんな善人じみた言葉を言うこともなかっただろう。3組の一員として手伝ったのではなく、少しでも白石さんに良く思われたいから手伝ったのだ。こんなに流れるように嘘を吐く日が来ようとは。


「宮くんやっぱり意外やわ。こういう行事ぜんぜん興味なさそやもん」


歩きながら白石さんは言う、「宮くん」と。今日の昼間からやけに引っかかる。彼女が俺の苗字を呼んでくることが。


「……なあ」
「ん?」
「なんで俺の事、宮くんて呼ぶの?」


そんな事、聞かれるだなんて思っていなかったのだろうか。白石さんはぴたりと立ち止まってしまい、「え?」と聞き返してきた。


「だって苗字、宮くんやろ」
「宮は二人おんねん」
「……そら、そうやけど…」


やから何やねん、呼びたいように呼ばせろや、と思われるかも知れない。白石さん以外の人間からはなんと呼ばれようが構わない。例えそれが「侑じゃないほう」という言い方だったとしても。


「名前で呼んでほしいんやけど」


白石さんの声で。という台詞はかろうじて呑み込んだ。


「…そのほうがええかな?」
「せやな。そっちのが有り難いわ」
「有り難い?」


有難いんじゃなくて、そっちのほうが単純に嬉しい。それなのに「有難い」という言い方しか出来なかった事については帰宅後に一人で反省会だ。
白石さんはまだ、どうして俺が名前を呼んでほしいのか決定的な理由が分からないらしく不思議そうにしていた。


「ややこしいやん。二人おんねんから」


俺がそう言うと、やっと彼女は納得したように頷いた。


「それもそやな。ちょっと恥ずいけど…ほんなら治くんと侑くんで呼び分けするわな!」


それでええやんな!と笑う白石さんに、俺は「うん」以外の言葉を言うことが出来なかった。言えるわけがない。
そして大切なことを失念していた、俺のことを「治」と呼ぶならば侑のことも「侑」と呼ばなければならないのだ。侑のことは苗字で呼んでくれていいのに、ちくしょう失敗した。

Candy , and Guilty