03


地学の授業には興味があった。けれども進んで知ろうとする事は無かったし、わざわざ小さな穴に向けて目を凝らさなくとも、夜空を見上げれば星はこちらを見下ろしている。
今日は流星群だ月食だ、100年に一度のあれだ、これだ、とニュースや新聞で騒がれればなんとなく気にする程度であった。きれいだなと人並みに感じる程度の、人並みの興味しか抱いていない。

けれど、一度気になると天体観測についての記事に目が行くもので、県内にある巨大ショッピングモールの屋上では定期的に観測イベントが行われているらしい。

知らないところで色んな事があるもんだ、白石さんも同好会ならこういうところに行けばいいのに。ひとりで観測するよりもきっと楽しいのではないだろうか。
今度会う事があれば教えてあげよう、とそのニュース記事はブックマークしておいた。


「なあなあ北くん、誕生日いつ?」


とある授業の合間の休憩中、突然クラスの女子に話しかけられた。家族や部員以外に誕生日を気にされる事なんて久しぶりだ。


「…誕生日?なんで?」
「星座占いあんねん」


彼女は持ってきた雑誌(この際学校に持込禁止である事は俺の口から言わないでおく)を指して言うと、ぺらぺらとページをめくり始めた。

恐らく星座占いのページを探しているようだが、あいにくあまり興味が無い。興味が無いのに興味津々なふりをするのは苦手なので、申し訳ないけど「ふーん」と返した。


「やっぱ興味ない?」
「ないなあ…」
「勝負運とか載ってんで、バレー部のこと気にならん?」


この世に星座はいくつあると思っている。12やそこらで収まる数では無い。
地球上約75億人の運勢をたったの12に分けて、お前は吉、お前は凶、なんて書かれるのはちょっと癪である。きちんとした神社のおみくじならまだ信じようと思うのだが。

しかもラッキーアイテムってなんやねん、そんなもん無くても勝つ時は勝つし負ける時は負けるやろ。例えば俺がラッキーアイテム「マスキングテープ」を持って横綱に勝負を挑んだとして、俺は勝てるか?そんなわけない。


「…やっぱ、ないわ」


ごめんな、と言うと彼女は「せやんな」とまた自身のグループへ戻って行った。
話を引き延ばされなくて助かった。占いは恐らく、生きていくうえで興味が沸く事はないだろうと思う。星座に関しては少しだけ、つい最近、関心を持ち始めたところだが。





「白石さん、また居てるやん」


夕日が沈みかけた頃、片付けを終えたバレー部の面々が体育館を後にする。その中の宮侑は、たったひとりで望遠鏡を覗く女子生徒を発見したようだ。隣にいた角名も首を伸ばしてその方角を確認していた。


「なんか、校内いろいろ回った結果あそこが一番良い場所らしいよ」
「へえ、確かにこっち側、なんも無いから見やすいんかな」


そんな事を話しながら2年生達は部室へ歩いていった。いま彼女が居るあたりはとても見晴らしがいい。照明も少ないので余計な光に邪魔をされず、天体観測には絶好の場所なのかもしれない。


「飽きひんのかな?」


そんな白石さんを眺める俺の隣で、尾白アランも同じく彼女を眺めていた。


「好きなんやって、星見んの」


昨日の帰り道、「星を見るのが好き」とあの子は言っていた。だからひとりでも構わないと。今日はいつからあそこに居るのか知らないが、ひたすら無言で星を見ていたのだろう。


「俺には退屈そうにしか見えんわあ」
「あの子からしたら、俺らが必死こいてボール追っかけんのもアホらしく見えてるかも知らんで」
「なるほど」


人生において何が重要で何を優先すべきか、何に対して好きだと感じるのかは人それぞれだ。
きっと白石さんはバレーボールの事なんか微塵も興味は無いだろう。尾白が天体観測についてそうであるように。そして俺もつい先日までは全く興味が無かったのだ。


「先行っといてくれるか」
「お?おお」
「鍵閉めとくわ」


尾白から部室の鍵を受け取って先に帰るよう促し、俺は部室と反対方向つまり白石さんのほうへと歩いた。やはり集中しているのか、俺には気付かず無言で望遠鏡を覗いている。


「今日もひとり?」


なるべく驚かせないように声をかけると、今日はぴくりと肩が動いただけで済んだようだ。近くに俺がいるのを見て、ぺこりと頭を下げて挨拶をしてくれた。


「…こんばんは」
「こんばんは」


俺も挨拶を返す、なんだか不思議な感じである。同じ学校の後輩に向かって、学校の敷地内で「こんばんは」なんて言うのは。


「ひとりですよ、いつも」


白石さんは先程の質問に答えてくれた。天文同好会のメンバーは彼女ひとりなのだから当たり前だ。不要な質問だったかも知れない。

でも今日、携帯電話のニュースで見つけた観測イベントの事を思い出す。この学校には彼女ひとりでも、世の中には星好きの人間が他にも居ることを。


「…こういうの好きな人ら、結構いっぱいおんねんな。ネットで見たわ」
「展望会ですか?そうですね、ありますね」
「白石さんそういうトコ行かんの?」


やはりそのイベント「展望会」とやらの存在は知っていたらしい。白石さんはうーんと首を捻ったのち、眉をハの字にして笑った。


「行った事はあるんですけどね。こっちのほうが綺麗に見えるんで」


そうなのか。確かに学校の周りは田舎だし、人が集まりやすい場所よりは良いのかもしれない。


「…どれがどの星かとか、分かるもんなん?」
「わかりますよ」
「あれは?」


俺は空を見上げて、適当に目に付いた目立つ星を指さした。輝きが大きいから一等星だろうか。白石さんは俺の指先を目で辿り、どの星を指しているのか見極めてから言った。


「アルビレオ」


アルビレオ。聞いたことがある。教科書でも読んだことがある。それなのに、初耳の単語ではないのに心地よい響きだった。


「…白鳥座…か?」
「わっ!詳しいですね」
「授業で習った」


白鳥座とかオリオン座とか、授業に出てくる有名な星座くらいならなんとなく覚えている。それを空から見つけ出せと言われれば困難だけど。


「…じゃあアルビレオの特徴って知ってますか?」
「特徴?…さあ……」


星空から星座を探すのは勿論のこと、星たちひとつひとつの特徴なんてもっと分からない。アルビレオという単語を聞いたのも何年ぶりか分からないのだ。
白石さんは俺が答えられない事は予測出来ていたらしく、すぐに説明をしてくれた。


「アレほんまは二重星なんです。オレンジのと白いのがあるんですよ」
「星がふたつあるちゅう事?」
「はい」
「へえ、知らんかったわ」


新しい知識を得る時は、とても気持ちがいい。蓄積されていく知識はいつかきっと役に立つと思うからだ。
しかし、ふたつの星があると言われて目を凝らしてみたが全くそれが分からない。肉眼では見えないのかもしれない。


「こっから見えますけど、どうですか」


俺が一生懸命眉を寄せていることに気付き、白石さんが望遠鏡を指さした。天体望遠鏡を覗くのはいつぶりだろう。たぶん小学生のころ、プラネタリウムに社会見学に行った時だけだ。


「……ほんなら1回だけ」
「はい。ちょお待ってくださいね」


白石さんは望遠鏡の方角を変え、自ら覗き込んで細かく位置を調節していった。手馴れたものである。こんなに広い空を何倍にも拡大するそれを、すぐに合わせてみせるんだから。


「どぞ」
「おう」


望遠鏡の前から白石さんがどけてくれ、代わりに俺が前に立つ。「ここ?」と覗き穴を指さすと、そうですと言われたので屈んで覗き込んでみた。


「…ほんまや。ふたつある」


まあるい視界のちょうど真ん中に合わせられた星は、確かにふたつ存在した。
ふたつは同じ大きさだと思っていたが、大きい星と小さい星が隣り合っている。そして、小さいほうもきちんと輝いている。恒星なのか?顔を離してもう一度肉眼で確認してみると、やっぱりふたつには見えなくて、ひとつの光が爛々と輝いていた。


「ふたつあんのに、ひとつの星みたいに光っとうんがロマンチックやなあて思いません?」


白石さんの顔は夜空を向いたままであった。
人が何に対して興味を持つか、好きだと感じるか、ロマンチックだと感じるかは自由だ。俺はあまりそれを「ロマンチック」だとは感じなかった。
ただ、とても綺麗で不思議な存在だとは思う。これは言い方を変えればロマンチック、に値するのだろうか。


「そうかもしらんな」
「ねー」


そこで、ふわっと風が吹いた。白石さんの髪が大きくなびいて、木から葉が舞い落ちてゆく。
先ほどよりもあたりの景色がはっきり見えるな、と思ったら雲に隠れていた月が顔を出したようだ。白石さんは「ああ、」と残念そうな声をあげた。月は明るく美しいが、月の光によって周りの星が見えづらくなったのだ。


「…白石さん、それ、精出すんはええと思うんやけど…」
「はい?」
「あんま遅ならんほうがええんちゃう?」


間もなく7時だ。親が心配するだろうし、暗い道を女子高生がひとりで歩くには決して安全とは言い張れない時間帯。しかし彼女はあまり危機を感じていないうだった。


「……そうですかね?」
「いやまあ、せやろ」
「でもうち、親はいっつも遅いんで…」
「そういう問題ちゃうくて」


白石さんは未だに首を傾げている。ついこの間まで顔も知らなかった俺が口を出す事ではないかも知れないが、こういう危機管理能力の低い女の子が狙われるのだと思う。
考えるのも嫌だがもしも、万が一俺が痴漢や強姦をするならば、恐らくそうするからだ。


「しゃしゃって悪いけど、外もう暗いやん。自分、芦屋やろ?駅前以外は人通り少なそうやし」


芦屋には数える程度だが立ち寄ったことがある。駅前はある程度栄えているが、離れるにつれて人通りは減り、道は暗い。この子の家がもしも駅から離れた山のほうならなおの事。
それに芦屋は比較的富裕層の多い地区だ。「そういう危険」は多いような気がする。

これらはすべて彼女の事を心配しての言葉であったが、白石さんは俺の言い方に少しだけ棘を感じてしまったらしい。目を逸らしながら肩を落とした。


「…すみません」
「いや、俺が」
「それもそうですね、こないだ芦屋で通り魔あったし…」
「え」
「あ、その犯人はすぐ逮捕されてますんで大丈夫ですけど」
「ふうん…」


だからと言って別の通り魔が存在しない、というわけではない。が、これ以上俺がとやかく言うと「なんやねんコイツ」と嫌われてしまっても嫌なのでやめておいた。


「ほんなら片づけて帰ります」


ひとまず今日はもう引き上げてくれるようなので安心した。倉庫はすぐそこ、彼女の荷物はすぐそばに置いてある。天体望遠鏡を仕舞いこんだらあとは帰るだけのようだ。でも何度も言うがもう、このあたりだって充分に暗い。


「なあ、しゃしゃりついでにもうひとつええか?」
「はい?」


この際、少々変に思われたり「しつこい」と思われるのは我慢しよう。ここで俺と別れた後に何かの被害に遭われたらたまらない。


「今日も送るわ。駅まで」


どんな反応をされるかなと思ったが、白石さんは少しびっくりしただけで「お願いします」とすぐに頷いてくれた。

ちょっと優しいノイズ