01


この世に生まれ落ちた時点でほとんどの人間は、歩む道を限定されている。
先進国に生まれれば生きてゆく道は様々で、途上国に生まれた命は何年生きられるかの保障も無い。金持ちの家ならば選択肢は更に増える。両親の容姿が美しければ子どももたいてい可愛らしい。両親の背が高ければ、子どももきっと高身長。
生まれ持ったものを生かすか殺すか、そこから初めて自分の意思で決められるのだ。

運命はある程度のところまで天によって決められているが、それは100パーセント自分の未来を確約されるものではない。だからこの短い17年間でさえ何度か壁にぶち当たったものの、天を見上げればそんなものはちっぽけだと感じる事が出来るのだった。

人口密度の高いこの国の、47に分けられた都道府県の、そのまたひとつの街に暮らすたったひとりの男の人生まで事細かに設定しておくほど、空に住む人は暇ではないのだから。


「いっっったあ!」


ボールの音、掛け声、ホイッスルのみが響いていると思われていた体育館。いつも突如として聞こえてくるそれは、恥ずかしながら「名物」として知られている双子のひとりが発したものだった。

続けてどすん、ばたんと身体を叩き付ける音。部員たちはそろそろとこちらを向き指示を仰いでいるようだった、喧嘩のひとつも止められないような部員しか居ないのは悲しい事だ。簡単に治まる喧嘩ではないのを皆分かっているからかもしれないが。


「何しとんねん」


宮兄弟の喧嘩はほぼほぼその日のうちに解決し、翌日になればけろりとしている。
だから放っておく事が多いのも事実だが、あいにく今日は近所の中学生が見学に来ているのであった。こんなところを見られたら恥も恥なので止めに入るしか無い、主将の俺が。


「お前いま本気で殴りよったな?」
「当たり前やろクソゴリラ、なんで今の俺のせいにしてんねん自分やろ」
「俺がゴリラならお前もゴリラか?カスゴリラ?あ?」
「おう言えや顎折ったるわ」


見るに堪えない、聞くに堪えない、俺は一度だけ天を仰いだ。
ここは体育館内だから、空の誰かが俺に指示をしてくれる事はない。当然だ。ここでは俺が指示すべき立場なのだ。


「侑と治、ちょっと静かにしてくれんか」
「無理です今回ばっかりは!」
「同じく」
「そうか。なら外でやってくれ」


何だか今日は相手にするのも疲れてしまい、とにかく視界に入らない場所へ移らせる。あとものの30分ではないか、今日の部活が終わるまで。何故ほんの30分を大人しく過ごせないのだこいつらは。


「…いいんですかアレ、放っといても」


喧嘩を続けながら体育館の外へ向かう双子のことを、角名倫太郎は心配そうに眺めていた。もしかしたら面白おかしく思っているかも知れないが今は「心配」という表情が造られていた。


「あんなもん仲裁すんのに体力使うん嫌やねん。気になるなら自分、止めに行くか?」
「……はは」


貼り付いた角名の表情は一気に呆れ顔になる。止めに行く気は無いらしい。


「気をつけなよー」


けれども念のため外を覗いて、角名はふたりに声を掛けていた。
外からは「わーっとる!」とどちからの声で返ってきたが、治か侑どちらの声なのか分からない。


「そんなん要らんねん、怪我すんのは自分の責任やねんから」
「いや、そうじゃなくて…」
「なに」
「あのう」


角名は外をちらりと見やりつつ話そうとしたが、それは色々な音で遮られた。


「うわっ!?」


まずは双子どちらかの叫ぶ声。続けて何かがぶつかる音、そのあと無機物ががしゃんと倒れる音、最後にカランカランとやはり無機物の転がる音。
角名の眉がぴくりと動く。俺の眉もぴくりと動いた。ついでに血管が切れそうだ。


「ほんっまにゴメン!大丈夫!?」


しかし切れそうになった血管が凍りついた。侑の、治以外の誰かに謝る声が聞こえてくるではないか。

嫌な予感がしたので外に出てみると、見慣れた双子のすぐそばに、ひとりの女の子が座り込んでいた。…と言うよりは、転んでしまったようだった。


「……どないしてん」
「あ、北さん…」


この世の終わりみたいな顔の治を見て、ああこいつらやりよったな、と理解した。取っ組み合いの喧嘩の結果、近くに居た生徒にぶつかってしまったのだ。


「ちょっと下がれや」
「いやっ、俺らがやった事なんで」
「下がれゆうてんねん」


一歩一歩近づくごとに、双子の顔から血の気が引いていた。恐らく自分たちがやってしまった事よりも、後から俺に食らう説教を気にしているのだろう。それは後で〆るとして、未だ驚いた様子で座り込む女子生徒に声を掛けた。


「うちのがほんまにすいません、大丈夫ですか?」
「あ、はい…私は全然いけます」
「起きれます?」
「大丈夫です」


一応手を差し出してみたものの「平気です」と彼女は自分で立ち上がった。
少なくともスカートから覗く脚には怪我は無い。それを見て当然安心したけれども、後ろで双子が同じように安堵の息を漏らすのが聞こえた。いやいやそれは早いやろ、息をつくんは。


「お前ら頭下げんかい」


俺の声に同時に飛び上がった二人は直立になり、また同時に深々と頭を下げた。


「ほんまごめんな白石さん…」
「いやいやええよ、私は怪我しとらんから…尻もち着いただけで」


彼らの様子を見る限りだと、ぶつかってしまった女の子は2年生で、宮兄弟も知っているようだ。その子は制服の汚れを払うとすぐそばに倒れている何かに目をやった。


「…でも、これがちょっと」


ついつい女の子にばかり注意が行っていたが、彼女が持ち運んでいた何かが地面に落ちている。三脚のようなもの。カメラだろうか?しかしすぐにカメラではない事が分かった、三脚の横に落ちていたのは望遠鏡だったのだ。

治が三脚を拾って色々な角度から見ていたが一言「折れてる」と呟き、片割れはそれを聞いて再び飛び上がった。


「うそやん!?マジでごめん、どうしよ」
「いや…貸して、もしかしたら外れてるだけかも知らん」


女の子が三脚を治から受け取り、彼女自身も角度を変えながら異変を調べていく。三脚を何度か開いたり畳んだりしていくのを見るうちに俺はもう分かってしまった。壊れてる。


「…あかんな、折れてるわ」


その子がぽつりと呟くと、双子は地面に付きそうなほど肩を落とした。俺たちの後ろでは野次馬に来ていた数名の部員がざわついている。


「侑と治以外は戻っとれ」
「はい…」


その野次馬の一番前に居る角名に聞こえるように指示すると、双子を残した部員は体育館へと戻って行った。
居なくなったのを確認してから女の子に視線を戻す途中で侑と目が合う。と、侑は「すんません」と謝った。いやいや俺に謝られても。


「それ、天体望遠鏡?やんね」


三脚に取り付けられていたであろう望遠鏡は雑誌やテレビで見たことのあるものだ。女の子は「はい」と頷いた。


「自分の?備品?」


備品ならもしかしたらどうにかなるかもしれない。多少はバレー部が負担して、代わりの天体望遠鏡を学校が購入してくれるかも。しかし、女の子は申し訳なさそうに首を振った。


「…自分のです」


もう、何から何まで最悪だ。思わず俺が溜息をつきそうになった。私物の天体望遠鏡を後輩が壊してしまったとは。


「弁償さすわ」
「え!?いや、そんな」
「ほんまに。申し訳ない」
「でも…」


女の子はそんなことしなくていい、と言いたげである。しなくていいと言われても、しないわけには行かない。
侑も治も勿論そうだよな、と横を見ると何やら青い顔をしていた。コイツらほんまどないなっとんねん。


「お前らボケっと突っ立ってるんか、余裕やな」
「う、いや、ごめんなさい」
「ほんまにお前らは…」


これ以上身内の恥ずかしい部分を見せるわけには行かない。とにかくもうすぐ日も落ちるし、いったんこの場は終わらせるしかない。


「俺、バレー部3年の北いいます。こいつらの先輩です、責任もって弁償さしますから」
「…は、はい。」
「自分、名前は?」
「2年の白石です」


白石と名乗った女の子は俺と、隣にいる双子とを交互に見た。彼らよりも小柄な俺が双子を黙らせているのが珍しいのだろうか。
2年生のあいだで宮兄弟はどのように見られているのか、どれほど人気で素晴らしいコンビなのかは知らないが、今ここでは俺が上である。


「わかった、白石さんな。お前らほんま覚えとけよ」
「はい…」
「ほんまごめんな…」
「いや、気ぃ落とさんとって安いやつやから…」


侑が消えてなくなりそうなほど小さな声で言うもんだから、白石さんのほうが気を遣っているようだ。情けない。
ひとまず今日はもう一度お詫びをしてからお別れし、もう練習も終わる頃なので体育館に戻る事にした。


「…ほんま、すんませんでした」


歩きながらばつが悪そうに謝る侑の力無いことと言ったら見ていられない。何回謝るねんと突っ込みそうになってしまった。

しかし、元はと言えば体育館で喧嘩をしていた彼らを外に出したのは俺である。なぜだか今日は相手をするのが億劫で、外で勝手にやっておけと思ってしまったのだ。


「俺がすぐに止めんかったんも悪いねん。とにかくもうしょうもない喧嘩すんな、折れたんがあの子の腕やったら洒落ならんわ」
「はい」


掃除と片付けを全て宮兄弟にやらせることで、今日のところは勘弁してやる事にした。
しかし弁償させるとは言ったものの、双子の資産が足りなかったら俺も負担しなきゃならないんだろうか。そうだよな。こんなところでまた主将の大変さを痛感してしまった。

こちら地球、日本国、
兵庫県稲荷崎高校より