The point of view
by Osamu.M


「白石さんいっつも美味しそうなもん食べてるなあ」


教室内でこのような声が聞こえるようになったのは、5月末ごろから。
昼休みには家から弁当を持参する生徒、どこかで購入したものを食べる生徒、食堂に行く生徒など様々居るがその中でも白石さんは持参組である。何を持参しているかと言えば彼女お手製のパンやらサンドイッチだ。


「自分で作ってんの?」
「うん、まあ」
「白石さんちパン屋さんやねん。人間国宝さんやろ」
「やば!マジで」
「へへ…人間国宝さんはうちのお母さんやけどな」


白石さんの家がパン屋である事、そのパン屋が過去にテレビで紹介された事はすでにクラスに知られているようだ。
学校から近い場所にあるので、他の生徒もあそこに寄り道しているのかも知れない。

俺たちも部活帰りに彼女の家(正確にはパン屋)には数週間に一度くらいのペースで通うようになっていた。白石さんは自分の家の事を話されるのが恥ずかしくもあり誇らしくもあるようで、いつも唇を変な形にして笑っていた。





そして、ある初夏のこと。午後の授業は最も眠気を誘われる現代文。昼ご飯を食べた後で腹はふくらんでおり、天気もいいし気温も高く、国語教師の読み上げる文章が子守歌となり意識がだんだん遠のいていく。
自分は身体が大きいので眠ってしまったら目立つ事は分かっているが、睡眠欲にあらがう事は難しい。
もうだめだ諦めよ、と思った時、クラスの誰かが声を上げた。


「先生、白石さんが…」


はじかれたように眠気が吹っ飛ぶ。先生も、俺以外のクラスメートたちも一気に白石さんのほうを向いた。
彼女の席は真ん中のやや後ろ側、そこに座る白石さんは表情がよく見えない。じっと下を向いている。が、顔が尋常じゃないほど青白い事は分かった。


「どうしたん?」
「なんか、体調悪そうで」
「白石さん、大丈夫?」


女性の国語教師は優しい声で彼女に語り掛けた。白石さんはかろうじて首を振った、縦ではなく横に。


「保健委員の人おる?保健室連れてったり」
「はい」


このクラスの保健委員は誰だったっけ、と思っていたら女子生徒が手を挙げた。
白石さんの席まで行って声をかけ、補助をしながらゆっくりと立ち上がり、やはりゆっくりと歩いて教室を出て行った。

もしも保健委員が男性生徒だったならお姫様抱っこでもするんだろうか。そっちのほうが保健室に行くまでの時間短縮になる。…が、男子が女子をお姫様抱っこするなんて先生の許しが出ないだろうな。


「急に暑なったから体調崩したんかもね。みんなも気ーつけや」


外を見ればやはり太陽が照りつけており窓際の生徒は眩しそうにしていた。今年の夏は暑くなりそうだ。





放課後になると先にホームルームが終わったらしい侑が廊下で俺を待っていた。ひとりで行けよという感情半分、有難いという感情半分。しかし途中まで校舎の階段を降りていた時、大切なことを思い出した。


「…あかん。忘れもん」
「なに?」
「宿題のプリント」


現代文の授業で配られたプリントを机の中に突っ込んだまま、鞄に入れ直すのを忘れていた。
侑を先に行かせて教室に戻り、自分の席をごそごそ漁ると、ぐしゃぐしゃになったプリントを発見した。…数時間前に配られたばかりなのになぜこんなにぐしゃぐしゃなのか。適当に突っ込み過ぎたらしい。


「あ、宮くん」


そのとき背後で声がした。このクラスにはもう誰も居なかったので、誰が入ってきたのかと振り向くと、ある女子生徒の姿があった。白石すみれである。


「…白石さんやん。体調いける?」
「はは…うん平気」
「風邪かなんか?」
「ちゃうねん。めっちゃ恥ずかしいねんけどな…たぶん食あたりやってん」


席に座りながら白石さんは「食あたり」の部分を少しだけ小声で言ったので、俺も小声で復唱した。


「…食あたり?」
「うん。昼に食べたサンドイッチな、自分で作ったやつなんやけど…暑さでダメになってたっぽいわあ」
「ありゃ、そらお気の毒」
「やろ。全部吐いてもおた」
「マジか」
「吐いて寝たら楽になったけどな」


5限目の頃には青白かった顔色も、いつもの健康的な色に戻っていた。いや、かすかに白いかも。とりあえず復活したのなら良かった、彼女の家はここから近いし無事に帰れるだろう。


「なんか宿題出た?」


帰る用意を始めながら白石さんが言った。白石さんが保健室に行ってから何か出されたっけな、あの後は再び眠気に襲われたから定かではない。が、ちょうど自分も宿題を取りに来たのでかろうじて思い出した。


「…おお。机ん中入ってるんちゃう、現代文のプリント」
「あ、ほんまや」


白石さんは机の中から無事にプリントを発見したようだ。
配られた時に居なかったんだし、宿題なんて知らんぷりしておけばいいのに。俺なら絶対そうするな、うん。


「…あー、お腹すいた。」


昼飯を全て吐き出してしまったからか、白石さんは空腹らしい。
お腹空いた、の言葉とともに大きな溜息をついたので、俺はちょっと吹き出してしまった。だってこの子、飯食って気持ち悪くて吐いたとこやん。


「吐いたばっかやのに食いもんの事考えるなんてスゴイな」
「食べるん好きやねん」
「ほーん」


そりゃそりゃ健康的で何より、痩せたいだの何だの言いながら少食な女子より美味しそうに食事する姿のほうが断然魅力的である。食品のコマーシャルなんかがいい例だ。


「宮くんは何してんの?ひとりで」


白石さんの声でふと我に返る。やばい、さっさと部活に行かなければならないのだった。


「あー、せやった。忘れもん取りに来ただけやねん」
「今から部活?」
「おう」
「すっごいなあ!練習きつい?うちのバレー部めっちゃ強いもんねえ」
「せやなあ」


所属するバレー部は正真正銘の強豪だ。稲荷崎から誘いの声がかかる前にはもう、俺たち双子は「高校は必ず稲荷崎へ」と心に決めていたほどに。
今のところ歳上の脅威が凄まじいので目立った活躍を出来ていないのが悔しいところだ。さすがは強豪、推薦で入った生徒ですら簡単には試合に出してもらえないとは。

インターハイ予選で思うように試合に参加出来なかった悔しさに、はあぁと息をつきながら伸びをする。白石さんはそんな俺を見て、呆れたのかもしれない。でも、気に留めてくれたのかもしれない。


「いつか差し入れ持って、試合の応援行ったるわ」


白石さんは計算し尽くしているのかと疑うほどの絶妙な角度で首をかしげながら、机に前のめりになって、俺の顔を覗き込むように言った。男子高校生を口説き落とすにはこれが一番いいぞというエッセイでも読んだのか?と思うほどの言葉を。

そんな台詞は中学の時だって女子に言われ慣れていた、あまり相手にしなかったけれども。
だって普段の彼女たちは料理なんてしないはずだ。それをいちいち俺たちに差し入れするために作るだなんてちょっと迷惑。けれど白石さんは、この子が他と違うのは、自分の親が店を経営しているのを誇りに思って自らも常に練習している、という事だ。

だから白石さんが放った先ほどの言葉には何の他意もなく、すうっと心に響くものがあった。それなのに俺の頭は「すうっ」なんて擬音とは程遠く、ガッチガチに固まってしまった。


「…腐ってないサンドイッチで頼むで」


かろうじて平静を装ってみた言葉に白石さんは「分かってるわ!」と笑った。いつかのように、頬がパンみたくふわふわ膨らんでいる。これ、食べたいって思ってしまう俺はおかしいんやろか?





「え!応援きてくれんの!」


俺よりも少しだけよく通る声で、侑は目を輝かせていた。先ほど教室で言われた白石さんの社交辞令を、こいつにも一応伝えてやろうと思ったのだ。しかし予想以上に本気にしているようである。


「言うてるだけやろ」
「だってパン屋のサンドイッチとかめっちゃ美味そうやん?期待してまうわあ」


頼むから本人の前で「差し入れくれるんやって?」などと言ってくれるなよ、俺と同じ顔で。
それにパンの差し入れを楽しみにしているようだが、違うクラスにいる侑は知らない。今日俺のクラスで白石さんに何が起きたのかを。


「…白石さん、今日食あたりでぶっ倒れてん」
「うそやん」
「自分で作ったサンドイッチ腐ってたらしいわ、この暑さで」
「ドジやん」
「思った」
「ドジっ子でパン屋さんて、あれやな。アニメのヒロインちゃんみたい」
「きも」
「おい」


そんなヒロイン聞いたことないわ、ドジっ子は否定せんけども。
白石さんは料理は得意そうだがそれ以外の事はあまり得意じゃなさそうだ。さすがに勉強は、俺よりは出来ているだろうけど。

とにかく食べること、作ることが好きなようだった。そして、それについての話をする時は決まって頬はふっくら膨らみ、食べごろの桃みたいにピンク色に染まってる。かなり糖度が高そうだ、と思ったのはついさっきの事。


「ヒロインちゃんから差し入れもらえるって事は、俺らヒーローやんなあ」


すでに差し入れを「もらえる」つもりの侑は意気揚々と言った。


「…そうか?」
「彼女に応援来てもらうん夢やったし」
「付き合いたいん?」
「そう言うわけやないけど。無事にインハイ出場も決まったわけやし」


大舞台での女の子からの差し入れ、確かに悪くない響きだ。しかし侑は大事なことを忘れている。俺たちは1年生で、まだレギュラーではない。
差し入れもらうんならスタメン勝ち取ってからやろ、と小突くと侑は「それを言うなや」と唇をかんだ。ああ試合に出たい、そんで美味しいもんたらふく食いたい。

Candy , and Guilty