The point of view
by Osamu.M高校生になったからといって生活の変化は特に無い。住む家は同じ、する事も同じ、隣を歩く片割れの顔も同じ。しいて言うなら新しい制服が少しだけ大きい事、まだ通い慣れない高校への道をわりと新鮮な気持ちで歩けている事くらいであった。
県内でも比較的大きな学校では、電車で遠くから通う生徒も少なくない。
そうまでして稲荷崎高校に通い卒業する利点があるわけだが、おかげで一学年ごとのクラスが多く、教室には見知った顔がひとつも無いという状況になってしまった。
「やっぱ俺らは離れ離れにされるんやな」
などと侑は言っていた。中学の3年間も、ずっと双子の俺たちは違うクラスで過ごしていたのだ。べつに同じクラスにされたって、揃って悪さをするような事も無いのだが。
そんなわけで登下校を共にする俺たちは授業中のみ別空間で過ごし、部活でまた顔を合わせるという生活が何年間も続いている。おかげで片方が教科書を忘れた時には貸し借りできるので有り難い。
「…やっぱ高校生デカイなあ」
4月下旬、やっと新しい高校にも慣れてきたある日の事、学校からの帰り道はまだまだ少し新鮮だ。そんな道を歩きながら侑は大きなため息をついた。
「そらこの前まで中学生やった俺らと比べたら、なあ」
「プロテイン飲むか」
「ドーピングか」
「人聞き悪いな?一種の努力やろ」
昔から少し貪欲な侑はいつか本当にネジが抜けてドーピングをするのでは、とさえ思う。先月まで中学生だった俺たちと、高校3年生の先輩たちとでは身長も体格もパワーも何もかもが違っていた。
今からここで先輩たちを押しのけてレギュラーを勝ち取らなければならないのかと思うと少々気が遠いが、そういう時はいつも侑がなんだかんだモチベーションを上げてくれるので助かっている。
今日も帰り道、そんな他愛ない話をしながら部活の疲れを紛らわせていたところ、どこからかいい香りがしてきた。
「…なんやろ?」
先に言ったのは侑のほうだ。自分で言うのもなんだが育ち盛りの空腹の男には少々刺激が強い香り。朝目覚めた時にかぎたい香りナンバーワンの、焼きたてのパンの香りである。
「あかん、めっちゃパン食いたなってきた」
「あ。あそこちゃう」
生き物は食べ物のにおいに敏感である。くんくんと鼻を鳴らしたその先に、小ぢんまりとしたパン屋があった。学校から駅までの一本道をひとつ曲がったところにあるので、これまで気付かなかったらしい。
「治、俺めっちゃパンの気分になってもおてんけど」
「異論ないな」
「っしゃ」
美味しそうなにおいをかいでしまったら、口の中が唾液で満たされてしまうのは仕方ない。カレーのにおいがすればカレー、焼肉のにおいがすれば焼肉、パンのにおいがすればパンを食べたくなるのも自然の事だ。双子だからではなく。
今日は稲荷崎高校へ通い始めてから初めての寄り道をした、記念すべき日である。
「いらっしゃいませー」
からんからん、と入口の扉に仕掛けてあった鐘の音が鳴る。あまりこういった店に入った経験がないので、静かな店内に響く鐘の音に少々驚いた。
そして、店の中にはレジ付近に居るひとりのアルバイトらしき女の子と俺たちしか居ない。ちいさな店だからこれが普通なのかも知れないけど。
「…アレ。あんま種類ない」
だから侑がぽつりと言った一言も、レジの女の子まで届いてしまったのだった。
「あ、ごめんなさいもう夕方なんで売り切れてるのが多いんです…」
申し訳なさそうに彼女が言うと、侑は「いや全然いけます」と返した(もともと悪気があっての言葉では無かっただろうし)。
しかしその子はなかなか俺たちから目を離さず、それどころか目を凝らして凝視してくる。双子だから珍しいのだろうか、それにしても見過ぎだ。
「……宮くん」
「え?」
やがて彼女が宮くん、と言ったので俺たちは二人とも返事をした。何故なら俺たち二人そろって宮、という苗字を持っているからだ。
同時に返事をされ、同じ顔で、同じ目が4つすべて自分に向けられているのを感じた彼女は少々たじろいだ。
「あれっ、宮くん?と、宮…くん?」
俺と侑をそれぞれ指差しながら、その子は言った。よくよく見ればエプロンの下には稲荷崎の制服を着ているので、もしかすると学校で見かけた人なのだろうか。俺か侑と同じクラス、あるいは女子バレー部?
「私、3組の白石やねんけど」
「…あ。ほんなら俺やわ」
1年3組という事は俺、治のほうと同じクラスだ。反射的に反応してしまったものの、こんな子クラスに居たっけな?と首を捻ってしまう。正直言ってクラスにどんな人が居るのかあまり興味が無いのである。
「同じクラスなん?」
「あんま覚えてへんけど…3組なら一緒。ごめん俺、人の顔覚えんの苦手やねん」
「ええねん、私もまだ全員覚えきらんし…宮くん双子やってんなあ」
双子なんて初めてナマで見たわ、と続けながら白石さんは笑った。
そう言われれば同じクラスにこんな子が居たような居なかったような。しかし一度に30人以上もの人間を覚えるのは難しい、覚える気も無かったし。とりあえず白石さんの事は今覚えた。それでいいか。
「…ここは白石さんの家なん?」
「そ、お母さんの店」
「すっごいなあ。焼きたて食い放題やん」
「んーでも味見程度やからなあ。手伝いでそれどころやないよ」
侑のほうが「パン屋の娘」という事に興味津々の様子で、店内を見渡したりエプロンに描かれた店のロゴをじっと見たりしていた。
パン屋で働いてるからって食い放題とは限らんやろ、あほか。と呆れるのは我慢して、喋りたがりの侑の話を聞いた。
「俺らさっき、めっちゃええニオイしたから釣られて来てん。なあ治」
「せやなあ」
「ああ、それ私が練習で焼いてたやつかも知らん」
「えっ!見たい」
「あ…ごめん、弟がすぐに食べてしもてん…」
申し訳なさそうに白石さんが言うと、さすがの侑も身内を押しのけてまで食い意地を張る男では無いので「いや大丈夫です!」と手を振った。
「ほんならこん中のおすすめ教えてくれん?俺、米よりパン派やしー」
侑は店内に並べられたパンを見た。確かにこいつは米よりパンが好きだという、俺は米派だけれども。そっちのほうがお腹に溜まるし日本人っぽいし。食の好みは双子とはいえ合わない事も多いのだ。
だからといって俺は決してパンが嫌いなわけではない。むしろ好きだ、目の前にこうして並べられたらすぐにでも食べたくなるくらいには。
白石さんは残ったパンたちを眺めながら唸っていたが、やがてひとつを指さした。
「クリームパンめっちゃ美味しいで、一昨年やけど人間国宝さんで紹介されてん」
「マジで!?」
「すげえ」
「そこ写真飾ってあるで」
続けて彼女が指さした壁の写真には、確かに関西では有名なテレビ番組で紹介された写真があった。タレントが街を歩きながら行き当たりばったりで取材をし、珍しい人や凄い人を探して紹介するコーナーである。
「ほんならクリームパンにしよ」
「俺も」
「おいくらですかー」
「130円ずつ」
案外安いなと思いながら小銭入れをじゃらりと鳴らす。ラッキー、ちょうど10円玉が沢山入っていた。しかしぴったりの金額を出そうとしたとき、侑が残念そうに唸り始めた。
「あー、あかん!100円しかない」
「……」
「貸して」
「ふざけんな」
「帰ったら返すから」
「……」
侑の「帰ったら返す」は信用ならないので俺が覚えておかなければならないが、白石さんの目の前で「じゃあ買うのはやめる」なんて言えやしない。侑に向けて盛大に溜息をついたあと、仕方なく俺は160円を彼女へ渡した。こいつ、ほんまにいつかシバく。
二人あわせて260円をきっちり支払い、俺たちは無事にふたつのクリームパンを手に入れた。
丁寧に持ち帰り用の袋に入れようとしてくれたけれども、駅まで食べ歩きをするので簡単な包装でいいと伝えておいた。
「ありがと、これで家までもつわあ」
「家遠いん?」
「そんな遠ない。電車で10分くらい」
「そっかあ、気を付けてなあ」
再びからんからん、と音を鳴らしながらドアを開けると白石さんが店の前まで見送りに出てくれた。すべての来客に対して同じように接しているのか、俺たちが偶然同じ高校に通っているからか。いずれにしても素晴らしい接客である。
部活が終わったばかりの俺たちは既に空腹も限界だったので、買ったばかりのパンにそれぞれかぶりついた。
食べながら歩くというのは良くない事だと分かっているけど、そんな事気にしていられないほど疲れているのだ。
「うまー」
「うん。うまい」
テレビで紹介されただけの事はある、ひとくち食べると柔らかいパンの食感とともに滑らかなクリームが口の中に入ってきた。生地はぱさぱしておらず、クリームも甘すぎず、これめっちゃ美味いやん、と思わず漏らしてしまうほど。
あかん、めっちゃうまいわ。すぐ無くなってもおたやん。
「俺、ああいうパン屋って初めて入ったわ。個人経営的な?」
「せやな」
「仲良くなったらタダでパン食わしてもらえんかな」
「引くわ」
「冗談やろがい!」
侑の冗談は冗談で済まない時があるし、そんな貧乏っちい冗談を俺と同じ顔で言うのだけはやめてもらいたい。
しかしもしも彼女と仲良くなる事があるのなら、そんなふうにおこぼれを貰う日が来るのだろうかと、侑と同じしがない貧乏高校生の俺はぼんやり考えてしまった。
Candy , and Guilty 01