どこに行くわけでもないのに鏡を見て、変な毛が出ていないかどうかとか、メイクはおかしくないかなあとかチェックをしている私の横でお母さんが「ちょっと、お母さんにも鏡見せて」と言ってくる。

親子そろって今からお出掛けの予定は無い。けれども必死に鏡で自分の容姿を気にするのは、私たちが血のつながった親子であり、女であるから仕方のない事なのだ。


「なんでお母さんまでお化粧してるの」
「ええぇ、だって及川先生かっこいいじゃなあぁい」


自分の母親のこんな姿はできれば見たくないものだけど、お母さんの立場に立ってみてもやっぱり仕方がないと思えた。
間もなく週に一度の家庭教師(もちろん私の)がやって来る。その人がなんとびっくりするほど端正な顔立ちで、私だけでなくお母さんの心をもノックアウトしてしまう人物だったんだから。
おかげ様で及川先生が来る時はお茶菓子が豊富に揃えられるので、私としては一石二鳥なんだけど。


「あ、きたきたっ」
「私お迎え行く!」
「待ってお母さんも行く」
「来なくていい!」


玄関までをどすんばたんと走る親子の姿、お父さんには見せられない。お母さんに言わせると「お父さんの事はもちろん愛してるけど、アイドルを好きになるのは別」との事だ。及川先生はアイドルじゃないのだが。


「先生!いらっしゃーい」
「しゃいっ!」
「わっ、びっくりした」


突然玄関からふたりの女が飛び出してきたので、及川先生は飛び上がってびっくりしていた。この表情豊かな所も惹かれる要素のひとつだ。


「お待ちしてました〜」
「お母さん!邪魔!早く入って!」
「はいはい」
「お邪魔しまーす」


ずっと玄関に居座ってお出迎えしようとするお母さんを、さっさとキッチンへ促していく。ここからは2時間、私が先生を独り占めする時間だ。
お母さんからお茶とお菓子を受け取って、及川先生と一緒に2階へと上がっていく。驚いたことにうちのお母さんは、この一瞬の為にヘアメイクを施していたのだ。暇なのかも。


「んーで、テスト返ってきた?」


及川先生は座布団に座るやいなや質問してきた。実は先週、1学期の期末テストが行われていたのである。高校3年生の私にとってはとても重要なテスト。及川先生にもテスト対策をしてもらったし、結果を報告する義務がある。


「えへへ…気になります?」
「くだらない事言ってないでさっさと出しな」
「ハイ。」


お分かり頂けただろうか。彼は甘いマスクと人懐っこい雰囲気とは裏腹に、しっかりと厳しい先生なのだ。いや、厳しくないと意味がないのは重々承知だ。この顔でただ優しいだけの先生だったなら、甘えてばかりでちゃんと勉強しない恐れがあるから。


「これで全部?」
「うん」
「は・い」
「あっ、はい」
「部活で敬語使えてんの?」
「一応…あっでも最高学年だから敬語使う機会はそんなに無いですから!」
「んなこた分かってるっつーの」


及川先生はフレンドリーなので、ついつい敬語が抜けてしまう。実際、「うん」「ねえ」と返事をしても何も指摘されない事もあるくらい。今日はたまたま叱られてしまったけど。

先生は私が出した答案用紙を一通り見て、電卓で計算を始めた。平均点を出しているらしい。悪い点数じゃ無かったから大丈夫だと思いたいけど(その代わり、良い点数でもない)期待よりも低かったら失望されるかな。


「75か。まあこんなもんじゃない」
「やったー!」
「手放しでは喜べないよコレじゃ」
「…はい。」


とりあえず怒られはしなかったものの、胸を張れるような点数でもないので予想通りの反応だった。
実はまだ、及川先生に褒められるほどの点数を取れた事は無い。センター試験は1月だけど、理想としては推薦入試で先に決めておきたいのでこうして頑張っているわけだ。


「じゃあ復習しますかね」


先生の言葉を合図に問題用紙も取り出して、まずは英語のテストから見直す事にした。
英語は得意でも苦手でもない科目だけど、そういえば今回は少しだけ失敗したのだった。その失敗には及川先生もすぐに気付いて、問題用紙と解答用紙を見比べたのち顔を上げた。


「…ここの英文、全部読んでないよね?時間足りなかった?」
「う…実はちょっとだけ…」
「時間配分課題だね」


そう、最後のほうに出されていた文章問題の長文を、最後まで読む時間が無かったのだ。読もうと思えば読めたと思うけど、そうなると問題を解く時間が大幅に削られていた。じっくりじっくり問題ごとに考え込んでしまう性格なので、時々こうして時間が足りなくなってしまう。

でも及川先生の指摘や教え方は私にとって的確で、まだ教えてもらって半年も経ってないけれど中間テストよりは良い結果を得る事ができた。及川先生はどんなふうに受験勉強してたんだろう?


「先生も家庭教師雇ってたんですか」
「なに急に。俺はないよ、スポーツ推薦ですからねえ」
「えっ!知らなかった」
「自慢する事でもないからね」


充分自慢できる要素だと思うし、私もずっとバドミントン部だったからとても興味がある話だ。
及川先生はちょっと眉をしかめていたけど聞いてみたところ、バレーボールの強豪校で主将を務めていたらしい。だから身長が高いのか。


「私もそのくらいスポーツできたらなあ…」
「…別に一切勉強できなくていいわけじゃないよ?」
「分かってますけどお」
「白石さんいつ引退なの?」


部屋の隅に立て掛けてあるバドミントンのラケットを見ながら先生が言った。


「もう、引退しちゃいました…」


私が答えると、先生は何度か瞬きをした、ように見えた。
それから棚に飾ってあるシューズや、ハンガーにかけたままのバドミントン部のジャージを眺めている。引退が寂しいのでまだジャージを外に飾っているのだ。ちょっと恥ずかしい。


「そうなんだ。夏までなんだね」
「ハイ。いっつも地区予選で負けちゃうんで、すぐ終わっちゃいました」
「へー…」


ひととおり部屋の中の部活に関するものを見渡した後、最後に先生が壁に飾った写真に目を留めた。


「アレ部活の写真?」


軽く顎で指しながら及川先生が言った。


「はい。負けた直後なんで全員顔がぼろぼろですけど」


このあいだの地区予選、うちの学校は2回戦で敗退してしまった。県大会なんて出たことも無い。最後の試合に負けた時点で私たちの引退が決定し、みんなでわんわん泣きながら撮ったんだっけなあ。
及川先生はてっきり「ほんとだ、ひどい顔」なんて言うもんだと思っていたけど、まったくそのような言葉は聞こえてこなかった。


「頑張ってきたから泣いたんでしょ?誰もぼろぼろなんて思わないよ」


それどころか、その写真をじっと見ながらニコリともせずに、低い声で言ってのけたのだ。その様子に私は唖然とした。


「…え」
「え?何」
「いや……」


何って言われても、だって及川先生は私の事をあまり褒めてくれないし。
今日だって先生に会う前に髪を巻いてみたりしたけどノーコメントだし、このあいだ「このブラウス可愛くないですか?」と聞いた時にも「フツー」としか言われなかったのに。


「…及川センセって、そういう事言う人だったんですね…」
「どういう事?」
「そういう…口説き文句みたいな」
「1ミリも口説いたつもり無いんだけど」
「わ、わかってますけどっ」


真面目な顔をしてくれていたのに、また眉をひそめられてしまった。口説き文句っていうのは言葉のあやだ。私が慌てて弁解すると及川先生は大きな息をついた。


「心配しなくても高校生なんて口説きませんよー」


そして、手で「しっしっ」としながら先生が言った。
私は先生に口説かれる心配をしているわけじゃない。むしろ口説かれたって構わない。
及川先生は格好いいし、勉強だってしっかり教えてくれるし、部活を真面目にやった事に対しては相応の反応を見せてくれた。年齢だって三つしか違わないから、私から見れば充分に恋愛対象に入る。


「…高校生は恋愛対象外なんですか?」
「そだね、ていうか犯罪だし」
「でもそれって親の了承があれば犯罪じゃないですよね」


成人が未成年と付き合うには保護者の了承が必要だ。どこかで調べたことがある。
それを及川先生に伝えるとまた顔をしかめられたのち、にゅっと伸びてきた手でバシンとデコピンされてしまった。


「いっちょ前な事言わない。」
「イタッ」


さすが強豪の男子バレーボール部元主将、デコピンの強さもなかなかである。
このせいで脳細胞が死んで成績が落ちたらどうしてくれるんだ、と思ったけど逆に脳が活性化して成績が良くなるかもしれない。大幅に落ちるほどの成績は元々持ち合わせていないのである。自慢できないけど。


「…俺が恋愛対象として見るとするなら」


及川先生はデコピンした手を引っ込めながら言った。


「あっちの白石さんかもね」


そしてその手で、壁にかかったバドミントン部の集合写真を指さした。
あっちの私、つまり写真に写っている、試合に負けた直後だけど達成感やら悔しさやらでぐっちゃぐちゃの顔の私だ。


「……どういう意味ですか…?」


もしかして馬鹿にされてる?と思って及川先生の顔を伺ってみると、先生はやっぱりニコリともしていない。無表情ともとれるような顔つきで写真の私を眺めていた。


「何かをやり遂げた時ってさ、いちばん輝く時だよね。失敗でも成功でも、勝っても負けても」
「…そうですか?」
「そう思わないの?」
「私は、あんまり…」


自分が輝いていたとは思えないなあ、私は部長でも無かったし、私よりうまい後輩だって居たから毎回試合に出られるわけではなかったし。
でも身体を動かすのは好きなのと、途中で辞めるのもなんだか嫌だったので最後まで続けていた。


「俺はあの写真の白石さん、好きだよ」


けれど及川先生は、この時だけわずかに口角を上げたのだ。
どこからか恋の音がする。ただでさえ外見だけでどきどきしてしまうのに、そんなことまで言われたら心を持っていかれるじゃないか。それとも、それを狙っているの?私を射止めようとしているのか、及川先生は。


「……せんせ、」
「今の白石さんは無理だけど」
「ぶっ」
「死ぬ気で勉強する姿を見せてくれたら褒めてやろうかなー」


先生はくるりとペンを回しながら机に向き直った。

机上にはかろうじてマル印の多い答案用紙。これをマルだらけにするためには彼の言う通り、死ぬ気にならなければ無理かもしれない。でもそうしたら、及川先生は私の事をちょっとだけでも見直してくれるのだろうか?今のって、そういう意味だよね?


「どうする?」


年下に向けているとは思えない挑戦的な笑み、これは及川先生がとどめを刺す時の顔に違いない。
もちろん私は「やります」と答えて、最後まで読めていなかった英語の長文を一緒に読んでいく事にした。

あーあ、「やります」なんて宣言しちゃった。だってあの顔で言われたらもう断れないし、過去の私に向けてとはいえ「好きだよ」なんて、先生ぜったい確信犯だよ。

そのトキメキを解きなさい
こちらの夢は「1周年&50万打企画」として書かせて頂きました。皆様からのアンケートをもとに上位のキャラクターの夢を書く、という企画です(企画の詳細はコチラ

及川徹について、「家庭教師の及川徹と生徒」という設定を使用させて頂きました。
他にもリクエストのあった及川さんのシチュエーションは「ラッキースケベ」「酔っぱらいの女の子と及川」「教室の中、カーテンに隠れてキス」「社会人及川さんと大学生の女の子」「後ろからハグ」「プロ選手の及川さんと一般人の彼女」などなどでした!ありがとうございました♪