08


毎週月曜日には練習後、天童が俺に外出を誘ってくる。外出と言っても近所のコンビニでジャンプを買いに行くだけなのだが今日も例に漏れず「そろそろ行く?」と声をかけられた。


「わり、今日ちょっと用事」
「用事?めずらし」
「うん…」


俺が携帯電話を気にしながらの返事だったので、天童はフーンと鼻を鳴らすとひとりでコンビニに行く事にしたようだ。
申し訳ないが今日は無理である。白石さんに電話をかけなければならないから。誰に命令された訳でも無いけど今、電話をしなければならない気がするから。

部屋にこもって財布を開き、本田さんに渡された電話番号のメモを取り出す。女の子に電話をするのは初めての事だが、電話の目的はデートがどうとか告白だとか浮かれた内容では無い。使命感、正義感、そういった類の感情が内側から溢れてきたのだ。

11桁の数字を打ち込んだ後発信ボタンを押すと、呼び出し音が耳元で響く。白石さんは知らない番号からの着信を出てくれるかどうか。そもそも誰かと電話をする気分になれるか?
その時だった、呼び出し音が止んで声が聞こえて来たのは。


『はい』
「!」


電話に出てくれた。電話越しだから直接聞くのとは違うけど恐らく白石さんの声で間違いない。
誰からの電話なのか分からない彼女は名乗る事をせず、『もしもし?』と小声で口にした。


「もしもし。白鳥沢の…同じクラスの瀬見だけど」
『……え?』
「急にごめん」
『…瀬見くん?なんで番号…』


当然の疑問である。本田さんが勝手に俺に電話番号を渡してくれたんだから白石さんが知るはずもない。


「電話番号は…白石さんの…おばあさんに聞いた」
『…おばあちゃん?』
「うん」


白石さんはしばらく押し黙って、自分の知らないところで一体何が起きていたのか考えているようだ。
俺はずっと白石さんに、老人ホームで本田さんに会った事を黙っていた。「おばあちゃんが居るの」と聞いていたのに、覚えていない、分からないと答えてしまっていた。


「ごめん。俺ずっと嘘ついてたんだ、本当は本田さんに会ってた。職業体験のとき」
『…えっと…ごめん、どういう事か分からない…』
「えーと…だから…」


すべてを説明しようと思うものの何から話せばいいのか分からない。白石さんも急に俺から電話が来た事と、俺が本田さんの話を出した事で混乱しているようだ。ただでさえ親族が亡くなって頭が回らないだろうし、ゆっくり説明しなくては。


「あの老人ホームで白石さんのおばあさんに会った。3日間とも話した。窓際にライラックの花があって…あれは孫の白石さんが毎週日曜日に持って来てくれてるって」


けれど、俺も俺で伝えたい事や伝えなければならない事がありすぎて話の順番がぐちゃぐちゃだ。それでも白石さんは俺の話を整理しようとしてくれているのか、俺の言った事を復唱した。


『……おばあちゃんに…会ったの?』
「うん」
『瀬見くんが…』


そのあと彼女は無言になった。未だ混乱する頭を落ち着けようとしているのだと思う。


「俺が白鳥沢に通ってるって話したら、孫と同じ学校だって言われて…で、会う事があったら仲良くしてやってって…番号、渡された」


やっと重要なことをすべて話し終えた俺は一度話すのをやめた。白石さんが電話口で息をするのが聞こえる。


『…そうだったんだ』


そして、状況を把握できたらしい。家族を失ったばかりの白石さんに突然こんな事を話すなんて、良くない事だろうか。
でもいても立っても居られなくなったのだ。俺はずっと白石さんに嘘をついてきた。小さな嘘だったけど、それで傷つく人なんか居なかったけど、あの3日間の出来事を無かったことにするなんてもう無理だ。


「だから本田さんが亡くなったって聞いた時、どうしようかと…俺、すげえ沢山話してもらったし」
『…そうなんだね…』


本田さんはお喋りで明るい人だった。それを受け継いだ白石さんがずっと暗い顔をしているのを、学校を休んでしまうのを、きっと本田さんは望んでいない。
すぐに元気を出すのは難しい事だ、俺には分かっている。でもいつかは重い身体と心を引きずってでも、歩き出さなきゃならないのだ。


『ごめんね。私がずっと休んでるから電話くれた…んだよね?』
「…うん、まあ」
『ごめん…』


けれども俺の願いはまだ届かずに、白石さんは黙りこくってしまった。余計な世話を焼くのもここまでにしたほうが良いかも知れない。今日のところは。


『おばあちゃんが…いつか死んじゃうとか…考えた事もなかった』


俺が黙っていると、白石さんが話し始めた。声は先程よりもかすれて、途切れ途切れになっている。泣いてるんだとすぐに分かった。電話の相手が泣いているなんて初めてのことで、冷や汗が流れる。


『しかも、急にだよ』
「……うん」


どうすればいい?と、電話を耳に押し付けながら考えた。
そこでふと、私の話を何も言わずに聞いてくれたの、と本田さんが旦那さんを懐かしんでいたのを思い出す。もしかして今は、何も言わないことが最も心地いい事なのではないか。そうでなくとも俺は気の利いた事を言える男ではないから。

しばらく電話の向こうでは、白石さんのすすり泣く声か響いていた。俺は黙ってそれを聞いた。余計な口を挟まずに。何かを言いたくなったら言えばいい。その時も最後まで聞こう。

どのくらいの時間が経過しただろうか。白石さんの声と、時計の針が動く音、寮の廊下で誰かが会話しているかすかな声だけが聞こえていた。
やがて電話が静かになり、白石さんが咳払いをしてから言った。


『ごめん、ほんとにごめんね』


涙を流して冷静になってしまったらしく、白石さんは気まずそうな様子だった。


「いや…俺のほうこそ急に電話しちゃって」
『ううん。番号登録しとく』
「あ、うん。瀬見英太って入れといて」


俺も登録しておこう、白石すみれと。今後白石さんに電話をする機会がやってくるのかは分からないけど。
なんて事を考えているとまた不自然なことに気づいた。白石さんの返事が聞こえない。


「もしもし?」
『……えいた?』
「へっ?うん」
『瀬見くん、英太っていうの?』
「…そうだけど…?」


同じクラスになって1ヶ月ちょっと、クラスメートのフルネームを全員分は把握していなかったらしい。俺も職業体験が無ければ未だに白石さんの下の名前なんか知らなかったかも知れない。

が、そんな事より白石さんはぶつぶつと電話口で喋っている。聞き取れないので独り言だろうか。俺の名前がそんなにおかしい?どこかで聞き覚えが?


『……今すぐ、会える?』
「え?」
『そっちまで行くから』
「え、えっと…?どういう…」


今日はもうもう夕方だ。白石さんの家がどこなのかは知らないけど、今から学校近辺に来ると日が暮れてしまう。通いなれた道とはいえ女の子がひとり歩くのは良くないんじゃないだろうか。


『お願い、今すぐに会いたい』


なにか話があるならこのまま電話で、と言おうとしたけどそれは彼女の強い口調により叶わなかった。

ちぎって破ってこの手を取って