運動部の部員とマネージャーが、合宿の夜にこっそり密会するなんてドラマや漫画でしか見た事がない。だからそう言うのは自分の身には起こらない事だと思っていたのだが、とうとう呼び出された。
内心すごく嬉しい。
だって相手はあまりそう言う感情を激しく表には出さない人なので、会いたいとか二人で話したいとか、思ってくれているのかな?と不安になっていたところだから。
「…お疲れ」
「おお」
そこで待っていたのは私の好きな人、というか彼氏、影山飛雄。合宿中の夜に珍しくメールしてきて、ちょっと話そうと誘ってくれたのだ。
「影山くんから誘ってくれるなんて珍しいね」
「そうかな」
「ウン。嬉し」
「よかったな」
ああもしかして照れてるのかな?自分で誘ったくせにと思いながら、影山くんの横に腰を下ろす。
いつも通り影山くんはぼんやりした顔をして自分の手を見つめ、ぐっぱーぐっぱーを繰り返す。私にはあまり興味のないふりをしながら。
「合宿どう?」
「ああ…すごい。皆。うちが弱いだけかも知んねえけど…」
「伸びしろだね」
「ま、そうだな」
この短い会話の中で、私たちは少しずつ少しずつ動いていた。
ぐっぱーぐっぱーする手に私の手を近づけると、彼はぐっぱーを止めてぱーで止まる。
ぱーの中にちょんと人差し指を乗せるとそれを優しく握って、かと思うと指を絡ませて繋いでいく。
「手、おっきい」
「普通じゃね」
「顔は小っちゃい」
「それは思う」
「自覚してるんだ!」
「まあ、それなりに…」
影山くんは背が高く、顔が小さい。
というか頭が小さい。
なのですごくスタイルよく見える。
でもどうやら頭が小さいのは少し困っているらしく、なかなかサイズの合う帽子が無いとか脳みそが小さくて不利なんじゃないかとか。
「私は影山くんの横に立つと寸胴だなー」
「そうか?」
「ウン」
「そうか…」
「否定しないんかい」
「気にした事無いから分からんねえ」
「そう?」
この会話をしながら私たちは、繋いだ手にさらにぎゅっと力を入れて少しだけ肩を近づける。と言っても肩の位置が違うのだから限界があるけれど。
肩に頭を乗せると、1日たくさん練習をした影山くんの汗のにおいをちょっとだけ感じる。
どうして好きな人のにおいって、汗ですらこんなにも良いにおいなんだろ?
「…汗のにおいするー」
「オイ!におうなよ!」
「良いにおい」
「にーおーうーなッて」
肩から頭を離され、しぶしぶ離れると影山くんは少し赤くなってた。
それが可愛くてついついもう少し近づいてみると、ちょっとだけ低く唸ってから影山くんも近づいてきて一瞬だけ唇が触れる。
もう少ししたいなぁと思った時は、私が亀みたいに首を伸ばすともう一度、影山くんがキスしてくれる。好き好き好き。
「…キスするために呼び出してくれたの?」
「違う」
「…即答ナンデスネ」
「カノジョと会うのに理由なんか要らねーだろ」
まあ…まあまあ。
影山くんが私の事を彼女であると認識し、会うのにわざわざ理由なんて要らないと考えているなんて。
嬉しくなって両手を広げ、影山くんの首に手を回した。
「おわッ」
「今日は優しいねー」
「いつもだろ!」
「いつもはもう少し、口数少ないじゃん?」
「………」
「わざわざこんな時間作ってくれるし。何かあったの?」
すると影山くんは「別に」と呟くものの私を引き剥がそうとはせず、抱きついてる私の頭を不器用に触った。
「…合宿中は皆がマネージャーを頼る」
「ウン?」
「音駒とか…仕方ねえけど」
ぼそぼそと、まるで自分の悪事を告白するかのように少しずつ喋るので一体何を言い出すのかと思ったらまさかこんな事。
「…もしかして影山くんしっ」
「オイ!言うんじゃねーよ!」
「言わせてよ」
「言うな」
「じゃ、言って」
首の後ろへ回した手を緩めると、私たちの顔の距離は互いの息の音が聞こえるほどの位置。
その距離までくると恥ずかしくて目をそらしたくなるけど今は本人の口からどうしても聞きたいので、じっと目を見ていた。
さすがに影山くんは視線を上にやったり下にやったりしながら狼狽えたけれどもやっと一言。
「…嫉妬してました。」
はい終わり!と影山くんが私の肩を押して身体を離そうとした。そうは行くか。そうは行くものか。
「オイ!」
「やばい。嬉しい」
「おま、これ、誰か来たらどーすんだ」
「来ないよ」
誰も来ないような場所を探して選んで、わざと指定してきたくせに。
影山飛雄は計算高い。
でもコートの外では、その計算にイレギュラーが加わるとすべてが崩れる脆い人。
「明日からちょっと特別扱いしてあげようか」
「それはヤメロ絶対に!」
「嘘だよ。そういうの嫌いなの知ってる」
バレーボールの最中は、この人を「彼氏」ではなく「部員の一人」として扱わなければならない。
私もそうするべきだと思っているので特別扱いなんかしないけど、今回のように合宿になればなったで色んな人の世話をする私を見て嫉妬する。影山飛雄は脆い人。
「そろそろ寝ないと、明日も朝走るよね」
「もち。」
「行こうかあ」
立ち上がろうとすると、立ち上がれない。何故って影山くんが私の腕を引っ張っていたから。
「…もしもし?」
「もっかい」
「んっ?」
「もう一回」
影山くんにおかわりを求められるなんて初めてで驚いたが、あまりに真剣な顔で言うもんだから私はもう一度座り直した。
高い位置にある小さな顔が少しずつ少しずつ近づいてくる。あ、もうすぐだと思って目を閉じる。
影山くんのまつ毛が私の目元に触れるのを感じて、思わずふふふと笑ってしまう。くすぐったい。
「なに笑ってる」
「ゴメン」
むううと少し唸りながらももう一度目を閉じると、ちゅっと一瞬だけ唇が触れた。
多分、お互いにキスは下手くそ。
まだ触れるだけのキスしかした事が無いので、海外ドラマで見るような激しい感じのは未体験。でも今はこれでいいか、と目を開けると影山くんは既に立ち上がっていた。
「行こ。」
そして私に片手を差し出し、その手をとって私も立ち上がる。校舎に戻るまでの暗い道のり、誰にも見られていないだろうから手を繋いで歩いた。
「…やっぱりキスするために呼び出した?」
「ちげーよ」
「影山くんが嫉妬してくれるなんてなあ」
「忘れてクダサイ。」
「ムリデス」
男子の部屋と、女子の部屋への分かれ道。
明日起きればこの人は「彼氏」ではなく「部員の一人」に戻っている。明日も体育館が閉まるまで、互いに特別扱いはしないと約束。
「じゃあ」
「ん」
静かに繋いだ手を離し、別方向へと進みだす。
今夜は幸せだったなあと思いながら部屋に進む途中、影山くんからのメールが来た。
『明日もあそこで。』
影山飛雄は計算高い。
コートの中では多少のイレギュラーに対応できてもコートを出ればそれが出来ない。今のところ、コート外でのイレギュラーは私という存在だけだったのに。
どうやら彼は、私を上手に扱う術をいとも簡単に身に付けてしまったのだ。
正しい彼女への接し方