07


「あなたって本当、うちの人にそっくりね」


懐かしそうに、そして愛おしそうに俺の頬をなでたしわしわの手の感触、俺が同じようになぞってみても全く異なる感触だ。

あの老人介護施設にいた本田さんは、白石さんが早退をした日の夜に亡くなった。それは翌日、白石さんが忌引きで休むことを担任の先生から聞いて知った事だ。
3日間の短い職業体験、顔を合わせるたびに俺の事なんか覚えていなかったあの人は今、俺の頭の中で鮮明に生きている。孫の白石さんと同じくおしゃべりで、にこやかで、旦那さんの事が大好きだった人。裁縫が得意で、旦那さんの好きだったライラックの花をいつも窓際に飾っていた。せめて白石さんが本田のおばあさんの死に際に、そばにいる事が出来たならそれでいい。俺にはそれが出来なかったから。


「ふーん…」


寮の部屋ではまたも暇を持て余した天童がやってきて、今ひとつ顔色の優れない俺の様子を伺ってきた。ずっと黙っていたけどインターンシップ中の出来事や白石さんの事、そして昨夜おばあさんが亡くなった事を手短に話した。
「あなたみたいな人が孫の彼氏だったらいいのに」という部分は除いて。


「俺がジャスコで布団売り場に立ってる間にそんな事があったんだね」
「おう」
「けど、それだけ孫思いのおばあちゃんだったんでしょ?夜まで生きてたのは、白石さんと過ごす最後の時間をゆっくりしたかったからかも」


人間が死ぬタイミングを自分で調節できるのか、なんて分からない。けれどそばに誰か大切な人が居る時、そこから離れたくないと思えば生き長らえたりするんだろうか。


「…そうかな。だといいけどな」
「そういうのってあるらしいよ。スピリチュアルな世界だよね」
「そだな…」


それなら去年のあの日俺がもっと早くに帰っていれば、祖母との最後の時間を一緒に過ごすことが出来たかも知れない。少しでも長く。
俺がバレーボールに熱中せずに寮暮らしなどしていなかったら、とついつい思ってしまうのだった。


「去年の事、思い出しちゃったの?」


心が過去に向けられているのを気付かれた。顔を上げると天童は、俺に向けて得意の観察をしていたらしい。今さら天童に隠すことも誤魔化すことも無いから良いんだが。


「ちょっとだけ」
「英太くんは会えなかったもんね」
「うん」
「でもさあ、英太くんのおばあちゃんってめちゃくちゃ孫馬鹿っぽくない?絶対愛されてたっしょ?」
「うん、当たってる」


自分でも分かるほど愛されていたとは思う。成長するにつれてなかなか会えなかったり、素直に気持ちを伝えられない事はあったけれども。だからこそ本田さんとずっと仲の良い白石さんの事が気になったのかも知れない。


「白石さんのおばあちゃんに、英太くんのおばあちゃんが憑いてたんじゃないの」
「なんだそりゃ。」
「英太くんが心配で心配で仕方なかったんじゃないのって事」
「それは無いだろ…」
「あるかもよ?おばあちゃんに元気な姿見せられたって思えるじゃん」


かなり無理やりな気休めにも聞こえるけど、俺が本田さんと自分の祖母を重ねていたことは事実だった。しかしそれは最初のほうだけで、だんだんと本田さん自身の魅力、白石さんの存在のほうが気になってしまったんだけれど。


「けど白石さん相当落ち込んでそうだね」
「…それなんだよなあ」


白石さんは口を開けばおばあちゃん、おばあちゃんと話していた。本田さんも孫のすみれが、とそればかり。
俺でさえ祖母が亡くなった時の喪失感は忘れられないのに、一体どんな気持ちで今を過ごしているんだろう。


「英太くんて白石さんの事スキなの?」


真剣に、それはもう真剣に白石さんのことを心配しているにも関わらず天童は少し興味深げに言った。


「は?」
「こわっ」
「いやいや。は?」


今までの話をどのように聞けば俺が白石さんを好きだと思えるのか。
もちろん嫌いじゃないし、好きか嫌いかの二択なら当然好きの部類に入る。が、今はまだ好きとかそう言う気持ちではなく単純に興味のほうが勝っているというか、とにかくそんなんじゃなくて、と説明する言葉をあれこれ探した。


「違うよ、本田さんがあれだけ可愛がってるからどんな子なのか気にしてたら…ちょっと仲良くなっただけ」
「ふうぅん」


腑に落ちない様子の天童の返事は聞こえなりふりをした。おばあさんが亡くなったばかりの女の子に不謹慎な感情なんて持っちゃいけない。その日は早々に部屋から天童を追い出して、早めに休むことにした。





白石さんの忌引きは3日間の予定だと聞いたが、土日が明けた次の月曜日も彼女は学校に来なかった。
きっと尋常じゃないほど落ち込んでいるに違いない。あれだけおばあちゃん、おばあちゃんと言っていたのに急に亡くなってしまったんだから。しかも、新しい小物入れを貰った翌日に。

しかしクラスメートの親族が亡くなった事なんて、特に仲の良い生徒以外にはあまり印象に残らない事だった。
授業も部活も何事も無かったかのように進んでいく。俺が祖母の告別式で休んだ時もそうだった。数日経って学校に戻ってきた頃には、バレー部の仲の良い連中以外は何も言ってこない。顔も知らない他の誰かが死んだって気にしないのだ。

仕方が無い事だと思う。俺だってそうだ。偶然俺の知っている人が亡くなったから、こんなにも考えているだけで。


「白石は…今日も来てないか」


火曜日の朝、担任が肩を落としながら言う。「そろそろ来ないと授業に遅れちゃうよね」「でもおばあちゃんが死んじゃったら私も立ち直れないかも」というクラスメートの声が聞こえる。
聞くところによると白石さんは、仲の良い女子にも連絡をしていないらしい。

身内の死を悼むのはとても大切な事だ。けど、白石さんがそこで立ち止まったままではあの人も浮かばれないのでは。
そんなお節介な気持ちが溢れてしまい、どうにか彼女を学校に来させるすべがないか考えた。来なくてもいいから、今どういう状況なのか、落ち込んで落ち込んでどうしようもないのか、単に体調を崩しているだけなのか?


「……あ」


そして俺は思い出した。財布の中に仕舞っておいた紙の切れ端のことを。

本田さんが書いてくれた白石さんの連絡先。いつか電話をしてやってね、あなたはきっとあの子と仲良くなれるからと言って渡してくれた電話番号。

電話をする事なんて無いだろうと思っていたけど、今これを思い出したという事は今電話をしろという本田さんからのメッセージである気がした。
そうする事があの人の望みだったのだから、今更遅いかも知れないけれど叶えてみせようか。本田さんと、本田さんのそばで俺を見守っていたかもしれない俺の祖母のために。

儚さの永久性