2017111011月10日は何の変哲もない金曜日。苦手な授業も無いし、面倒な事と言えばそろそろ学園祭を控えているのでその用意に忙しいくらいか。残念ながら春高予選に敗退してしまった俺たちなので、試合に向けたハードな練習スケジュールも組まれていない。
何の代わり映えも無い金曜日、土日は何をして遊ぼう、どこに行こうと騒ぐクラスメートが居る中で弄っていた携帯電話が震えた。
『誕生日おめでとー』
メッセージの送り主は別の高校に通う中学時代の同級生。「同じ高校に行くよね?」という質問に、深く考えず「うん」と返答していた俺が突然志望校を伊達工業に変えてしまった事で、俺たちの間には少しの亀裂が生じた。
わりと仲が良かったとは言え高校までぴったりくっついて同じだなんておかしいし、俺の進路は他の人間に関係がない事だと思っていたから。
「さ、ん、きゅー」
返信を入力しながら、ふと思い返す。こいつは去年も今年も、こうして誕生日のメッセージは送って来るのだ。試合だって見に来るし時々連絡を寄越してきては他愛ない話をして終わる程度の仲である。
『プレゼントいる?』
それなのに突然プレゼントいる?なんて送ってきやがった。
白石が俺に誕生日、なにかを渡してくるなんて初めての事だ…いや中学3年の時にもあったな、お菓子の詰め合わせか何か。そりゃあ有り難かったけどもっと駅前に新しく出来た立派なケーキ屋のケーキとか、そういうのは無いんかい。…と口にしたら殴られたんだっけな、確か。
今思えば中学生が何千円もするケーキを買うなんて難しいだろうけど。懐かしいなあ、あれから2年か。
『おう、くれ。耳揃えてくれ』
『現金じゃありませんけど』
『じゃあいらん』
『可愛くない』
『男に可愛さ求めんな』
そこまで送ってチャイムが鳴ったのでやり取りは終了、真面目な高校男子の俺はポケットに携帯電話を突っ込んで授業の用意を始めた。やべえ宿題やってねえ、まあいいか。
◇
その日の午後は誕生日だからって練習が免除されるわけもなく、むしろ途中で自分の誕生日なんか忘れるくらい練習に打ち込んでいた。
それでも終わった後は部員とか、名前は記憶に無いけれどもう引退したうるさい諸先輩方から祝いの言葉を貰ったりした。17歳ってもっと青春してるイメージだったけど、男くさいにも程がある。
そんな男くさい連中とは別れて電車に揺られ最寄り駅に着くと、香ばしい香りに鼻が敏感に反応した。甘いもん食いてえ。
「ふたくち」
その時、女の声が俺を呼んだ。どこかで聞き覚えがあるような無いような。とにかく自分の苗字を呼ばれたので振り向くと、昼間にメッセージを送ってきた女がベンチに座っていた。
「…は?何してんのお前?」
「だって昼間、プレゼント欲しいって言ったじゃん」
白石は立ち上がると一歩、二歩と近付いてきた。こいつに会うのは中学の卒業式以来だ。試合を見に来た時だって面と向かって会うことは無く、終わった途端に帰っていたから。
「言ったけど…言ったっけ?」
「耳揃えてよこせって」
「は?おま、声でけーよ語弊があるだろ?誤解されるだろ」
「語弊じゃないよ、メッセージの履歴も残ってるもん」
ほら、と携帯電話の画面を見せつけてくる白石の顔は確かに中学の時と同じだ。が、気の強そうな吊り目は高校に入ってから覚えたらしいメイクのお陰で印象が柔らかくなっている。化けすぎだろ。
高校生になった白石は前より縮んでいる気がしたが、俺の背が伸びたのかも知れないので、からかうのは止めておいた。
「…でわざわざ何」
「だからプレゼント!」
「マジに金くれんの?」
「そんなわけないじゃん」
「いや、要らねっつったじゃん」
俺は確かに要らないと送った、その履歴だって残っているはずだ。なのに白石はその画面を見ることはせずに携帯電話を仕舞い込むと、「ほんとに可愛くないね」とでっかい目で睨みあげてきた。
「まあ男ですから?」
「モテないでしょ、彼女いないでしょ」
「はあー?居ますけど?これから会いに行く予定ですけど」
まあ彼女なんて居ないんだけど。去年の終わりに付き合っていた子は自然消滅したし、なんたってうちは工業高校だ。数少ない女子の中の、さらに自分の好みの女子は既に他校のイケメンと付き合ったりしている。
けど「彼女いないでしょ」と決めつけられるのは非常に癪なのでとりあえず嘘をついてやった。
「…彼女いんの?」
「居ますけど?プレゼントだって他の子にも超貰ってっから鞄パンパンだわ。お前のプレゼントなんか入れる隙間ないんで」
これだけ言えば良いだろうとスッキリして一息つくと、白石は大人しくなった。なにか言い返してくるかと思ったんだけど。
…まあ大人しいなら大人しいで全く問題ないんだけど。俺はぎょっとした。なんかめちゃくちゃテンション落ちてるじゃん。
「……わかった…」
「あ?」
「帰るね」
「は?」
白石は素早く踵を返し、自身の家の方角へとつかつか歩き始めてしまった。え、ここで俺のこと待ってたんじゃないの?
「何お前、いきなり帰るって何しに来たんだよ」
「いや、もう、いいから」
「よくねーしマジ意味分かんねえしホントに何がしたいわけ?何しに来たわけ?」
早歩きをする白石の横にくっついて、俺も大股歩きになりながら捲し立てる。白石がいくら早く歩いたって俺のほうが脚が長いので、追いつくのは苦ではない。それも余計に白石の神経を逆なでしたのか、再び睨みを効かせながら言った。
「…だからプレゼント渡しに来たっつってんじゃん!何回も言わせんな馬鹿野郎!!」
「ばっ!?」
女子の口から馬鹿野郎と言われたのは衝撃だ。が、もうひとつ衝撃なのは白石が本当に何かを渡すために来たのだという事。ただの冗談で、なにか別の用事だと思っていたのに。
「ほんとに何か持ってきたわけ?どういう風の吹き回しだよ」
「もういい。いっぱいもらったんでしょ?持って帰れないでしょ?鞄パンパンだもんね」
「いやいや」
そうとは知らずに適当なことを言ったのを少し後悔した。いくら俺でも、先程の内容は本当にプレゼントを持ってきた相手に言うには酷い内容だと理解出来る。それをストレートに謝罪できる素直さを持ち合わせていないだけで。
「待てって、なあ、お前何?俺になんか渡すために来たの?」
「何回も言わせないで。ていうか彼女に会いに行くんでしょ?さっさと行けば」
彼女なんか居ないんだよクソ野郎、と悪態をつくのは我慢した。白石が手に下げた大きな袋の中にもう一枚、真っ白い立派な紙袋が入っていて、更にその中には真っ白な箱が入っているのが見えたのだ。
俺はその箱に見覚えがある。見た事があるのだ。実際に手にした事は無いけれども。
「……それか?」
「何。」
「俺に渡そうとしてるのって」
白石は俺を睨んだまま小さく頷いた。
その箱はちょうど2年前だったろうか、このあたりに出来た新しいケーキ屋のものだ。中学3年の誕生日、白石はお菓子の詰め合わせを俺に渡してきた。そのとき俺はこいつに向かって言ったのだ、「どうせなら駅前に出来た新しいケーキ屋のケーキにしろよ」と。あの時はとても軽い気持ちで言い放った言葉、少し後悔したけれどそんなことはすぐに忘れて2年間が経過していた。
白石は覚えていたのか?あの時のことを。
「…その予定だったけど自分で食べる」
「待て待て待て」
「何が悲しくて彼女持ちの男に奮発したケーキあげなきゃいけないわけ?」
「いや、いねえよ彼女なんか」
白石が帰ろうとするのを遮りながら、俺は本当のことを言った。すると彼女は益々眉間にしわを寄せて俺を睨みつけてくる。
「……は?」
「だから居ないって」
「だって、さっき」
「売り言葉に買い言葉だよ」
「………」
しばらく白石は無言で俺を睨んでいた。俺も仕方が無いので睨み返した。「本当は彼女なんて居ません」というクソ恥ずかしい訂正を受け入れてもらうために。
白石は理解したのか(それとも無理やり睨み合いを終わらせようとしたのか)、あっそ、と言って肩を落とした。
「それ、あれだろ、俺が中3の時…」
俺は彼女の下げた袋を指さして、2年前の出来事を話す。あのとき俺が欲しいって言ったやつだろ、と。
「……だったら何?」
「覚えてたのかよ」
「それが何?」
「いや、うーん」
それが何かと問われると言葉に詰まる。俺だってこれが何なのか分からないのだ。今のこの気持ち、なんと言って表現すればいい?後悔してるのか?謝罪したいのか、それとも?
白石も白石で、押し黙る俺にそれ以上の言葉を浴びせてこない。静かだ。隣の白石を見下ろすと、少しだけ巻かれた髪が風でふわりと揺れた。その時見えた白石の頬は頬紅のそれよりもっと濃く色づいていたので、おいおいマジかよ、と俺は腰を曲げて彼女の顔を覗き込んだ。
「…何?見ないでよ」
「ちょっと顔見せて」
「やだ」
「見せろ」
「やっ」
ケーキの袋を下げていないほうの肩を掴むと、普段チームメイトの身体しか見たり触ったりしていない俺の脳は驚きで停止した。
肩ほっそ、見たところ細身でも太ってもいない白石の肩は実際に掴んでみると簡単に砕けそうなものだった。記憶の中の白石すみれが、ただの同級生から女性としてアップデートされていく。
俺の脳がこいつを女だと認識しているなら白石も俺を男だと認識しているはず、だとすればこいつの顔が赤いのはそういう理由なのか?
「お前、俺の事が好きなんだ?」
質問の内容は意地の悪いものだが、純粋な疑問としてぶつける。
それに対して白石は頬の彩度を保ったまま、すでに間近に来ている俺の顔をじっと見て答えた。
「……いや大っ嫌いだけど」
「大っ嫌いなのにわざわざ2年前に欲しがったケーキ覚えてて、いちいち買ってくるなんて頭おかしくね?」
「うん私頭おかしいから」
「強情かよ」
女なんて大人しくてハイハイ言う事聞いてくれるやつが楽だよな、と思っていたけど俺の好みが変わったんだろうか。今じゃ意地っ張りで全然可愛くない態度の白石に心をくすぐられている。
ぎゅっと握った紙袋の中にあるケーキは俺のために、どんな気持ちで買いに行って、何を考えながら選んだのか、それを想像するとたまらなくなってきた。
「それ、ちょうだい」
「は?ヤだし!」
「モテない男が唯一もらったプレゼントだぞ、くれよ」
「やだ。エア彼女とよろしくしてください」
エア彼女って何だよ。高2の男がエアーの女で満足できると思ったら大間違いだ。それに今ここに、俺の事を好きだと顔に書かれた女が立っているんだから。
「白石が彼女役すりゃいいじゃんか」
つまり俺の彼女になれよ、と脳内変換してほしい言葉だった。そしてそれは白石の頭で、そのとおりに変換されたはずだ。けれど白石も俺に負けないほどの天邪鬼らしく、てっきり縦に振られると思っていた首は横に振られた。
「……嫌だ。」
「は?嫌なら帰れよ」
「ひどくない?大っ嫌い」
「おうおう俺も嫌いだよ、お前なんか大っ嫌いだよ」
そう言いながら白石の肩を離し、ケーキの入った袋を持とうとすると白石は拒否をしなかった。彼女の手からケーキを受け取り、空いたその手を俺の手で埋めてみようかと勝手に指を絡めても拒否されない。
「ありがとな」
白石が俺の顔を見ていない時にしか、こんな素直な言葉は口に出せない。この時を見計らってお礼を伝えると、白石は繋いだ手に存分に力を込めた。そんな力で握りしめられたって痛くも痒くもないのだが。
「…大っっっ嫌いだよ昔から」
「俺もだよ。今好きになったけど」
すると、それまでぎゅっと握られていた手の力が緩んだ。
驚きで力が抜けたらしい、隣を見下ろせば気の抜けた顔で俺を見上げる白石の姿があった。阿呆面、と笑ってやると思い出したように瞬きをして、嫌い、大嫌い!と手を繋いだまま体当たり。
「残念だわ、俺は好きなのに」と返せば体当たりの強さは増してしまったので、ケーキが崩れないようにだけ気を付けながら体当たりを受け続けるはめになった。
Happy Birthday 1110