06


同じクラスの白石さんは大人しくて、特定の友人としかつるんでいない印象。それが一気に覆されたあの日、俺は彼女が本田のおばあさん同様お喋りが大好きな子であるのを知った。

それからは教室内で白石さんの様子を見ると、確かに友人と会話している時は白石さんの口が良く動いているようだ。
それなのに白石さんの声は高く響く事はなく、教室内の空気を壊さない、がやがやとした音に紛れるくらいの耳心地の良いものだった。

会話の内容はとてもシンプルなもので、宿題の事や昨日のテレビや新しいテレビコマーシャルの内容、進路の内容。好きな人がどうとか彼氏が居るとか、という話は聞こえてこない。
やっぱり今も彼氏は居ないんだろうなと思わず笑ってしまった。俺にだって彼女が居ないのに失礼なのは重々承知の上だけど。


「最近おばあさん元気?」


ある日の放課後、ホームルームが早く終わったので白石さんに話しかけてみた。あの人が元気かどうかは出来れば直接会って確かめたいけれど、「あら、大きい子ね、お名前は?」と聞かれた時の言葉に言い表せない気持ちが忘れられない。あれはもう味わいたくない、出来る事なら。


「元気だよ。なんで?」
「なんとなく…」
「あ!瀬見くんあそこで働きたいとか?」
「そ、そういう意味じゃなくて」


会った事も無いはずのおばあさんの事をしつこく話すなんて、そう思われても仕方が無いか。
怪しまれずに本田さんの様子を聞き出す方法は無いものか、と不自然に頭をかいていたが、お喋りな白石さんは勝手に話し出してくれた。


「最近はね、すごく元気だよ。趣味のお裁縫に没頭してるの」
「そうなんだ?よかった」
「うん、あとは…あ。おじいちゃんの話をいっぱいしてくれるようになったかな」
「…おじいさん…」


あの写真に写っていた、本田さんの旦那さん。やたらと俺に似てるって言われたのが印象的だ。写真のすぐ近くに形見の結婚指輪が置いてあったっけ、それを試しにはめてみたのも、ぶかぶかだったのも鮮明に覚えている。


「私が小さい時に死んじゃったから、私はあんまり覚えてないんだけどね」
「へー」


その話も本田さんに聞いた。本田さんから聞いた内容と白石さんの話す内容がひとつひとつマッチしていくごとに、なんだか不思議な気分になっていく。


「でもおばあちゃん、おじいちゃんにベタ惚れなの!あんたもおじいちゃんみたいな人見つけなさいって言われて」
「え」
「え?」
「あ、いや」
「どうしたの?」
「…いや」


そんな事まで白石さんに話していたのか。本田さんが俺のことを覚えていなくて良かったと初めて思えた。「同じ学校の英太くんみたいな人と」なんて言われていたら恥ずかしくてたまらない。


「あ、ごめん…また勝手に色々喋っちゃったね…部活行くところだったよね」
「ああ、…そうそう部活。行ってくる」
「瀬見くんて何部だっけ?」


白石さんの質問はもっともな内容だった。俺は白石さんとこれまで接点が無かったから。しかし部活を知られていないことは少しだけショックである。


「…バレー部」
「なるほどー」
「何がナルホド?」
「背が高いよね」
「あー」


本田さんにも会うたびに「大きいね」と言われたっけな。本田さんはずっとベッドに座っていたけど、旦那さんとの写真を見る限り小柄な印象だ。
けれど俺は目立つほど背が高いわけじゃないし、出来ればもっと高くなりたいので「背が高い」と言われると複雑だ。嬉しいけど。


「まあ普通だよ」
「普通なの?私158しか無い」
「ちっちぇ」
「女子なら普通だし」


そう言って白石さんは少し頬を膨らませた。意外と表情豊かなところを見せられて、彼女の新しい顔を知るたびに少しずつ惹かれていくのが分かる。それは本田さんのおかげなのか、たとえ俺が本田さんと関わりが無かったとしても惹かれていたのか。


「…えっと、俺そろそろ行くわ」
「あ!そうだった。いってらっしゃい」


さすがに部活に行かなければならなくなり、白石さんに見送られながら俺は教室を出た。
今が放課後で良かったと思う。あの場を離れる口実があって良かった。あれ以上会話を続けていたら、俺の気持ちはぐらりと傾いてしまっただろう。

3日目の日に本田さんから貰った白石さんの電話番号は、財布の中に仕舞っている。ふとその事を思い出して、失くしていないか確認するときちんと折りたたんで仕舞われていた。
いつかこれを使う日が来るのだろうか。こんなの貰っても使わないよ、と思っていたけど、この番号を携帯電話に入力する日が来ればいいなと少しだけ思った。





しかしもちろん白石さんに電話なんかする事はなく夜が明け、翌朝になると通常通りに朝練に参加しそのまま教室へと向かった。
あの電話番号は白石さん本人の了承無く俺に渡された個人情報なのだから、使用するわけにはいかない。電話をしたって話題も無いし、彼女のおばあさんの事を「会ったかどうか覚えていない」と嘘を吐いているのもあり、今ひとつ踏み込んだ会話はできていなかった。

本田さんからの話によってつくり上げられた「白石すみれさん」は俺の頭の中でイメージがふくらんでいたけど、実際に会ってみると「自慢の孫」と言いたくなるのもよく分かった。
大人しい子ではあるものの元々口角が少し上がった柔らかい表情をずっと崩さない、ネガティブな発言は一切しないとても心優しい女の子。おばあさんも若い頃はあんな感じだったのかな、優しくてゆったりとした可愛らしい感じの。だから旦那さんも好きになったんだろう。

同じだけの魅力が当然旦那さんにもあったんだろうけど、俺にはやっぱり何も無い。まあ俺が白石さんとどうにかなるなんて想像もつかないし考えた事も無いんだけど。…今、考えてしまったけど。


「瀬見くん、瀬見くん」


教室に入ると、俺を待ち構えていたかのように白石さんが寄ってきた。向こうから話しかけてくるなんて何事だろうかと見下ろすと、彼女の手には和柄の生地で作られたポーチらしきものが。


「昨日おばあちゃんの話したら、会いたくなっちゃって会いに行ったの。そしたらコレ!完成してた」


俺はそれに間違いなく見覚えがある。おばあさんが白石さんのために作っていた小物入れ。あれから無事に完成したようだ。


「へえ、売りもんみたいだな」
「おばあちゃんは裁縫が得意なんだよ」
「白石さんも得意なの?」
「えっ、いやあ私は…」


白石さんは気まずそうに視線を逸らした。苦手なんだな、と瞬時に分かったけどそんな仕草をされるのも嬉しくて、どうやって誤魔化すんだろうと反応ばかりが気になった。が、うまい言い訳は見つからなかったらしい。


「…と…とにかくこれ見せたかっただけだから」
「ふーん」
「裁縫は教わってる最中だから!」
「はは、分かったってば」


あまり器用には見えないけど、本田さんが教えてくれるならきっと上手になるだろう。
こうやって本田さんの何かが受け継がれていくのが嬉しくて、白石さん越しに本田さんの様子を知ることが出来るのもラッキーだ。次の日曜に会いに行った時は何をするんだろうか。





その日、体育の授業をはさんだ昼休み。更衣室からぞろぞろと女子生徒が戻ってきて、それぞれ食堂に行ったり机にお弁当を広げたりしているいつもの光景。

白石さんは毎日友人たちと教室で昼休みを過ごしているが、今日は姿が無かった。珍しく食堂にでも行ってるのかなと思いつつ俺も財布を持って食堂へ向かおうとした時、教室に戻って来る女子の声が聞こえた。


「すみれちゃん大丈夫かなあ…」


思わず脚が止まる。体育で怪我でもしたんだろうか。正直言って白石さんは運動が得意には見えない。けれど会話の続きを聞いた時には、彼女自身は怪我なんてしていない事が分かった。


「かわいそうだね」
「結構歳いってたみたいだもんね。私のおばあちゃんも最近入院しちゃってさあ…」


教室の出入り口付近で突っ立ったままの俺はさぞかし邪魔だったと思う。が、今はそんな事まで考えが至らない。滅多に起こらない思考停止に襲われて、脚にも手にも脳からの信号が伝わらない。

いや、まだ何が起きたのか決まったわけでは無いから。手の中で携帯電話が震える。きっと天童が「まだ来ないの?」と食堂から送ってきたメッセージだが、その振動のおかげで少しだけ我に返る事ができた。


「なあ、あの、ちょっと」


やっと一歩動いた俺は白石さんと仲の良い女子に話しかけた。恐らくこの子たちとも会話をしたことが無いので、俺に話しかけられた女子たちは不思議そうに俺を見上げた。


「なに?」
「白石さんって…どうか…した?」


なんとなく、を装ってはみたものの俺の顔には「気になって仕方がない」と書かれていると思う。しかし彼女たちは俺の不自然な様子よりも、白石さんの事が気になっているようだった。


「体育の途中で教頭先生が来て…おばあちゃんが急に今朝、老人ホームで体調くずしたって」


ひやっとしたものが背筋を這うのを感じた。まだ分からない。まだどうなったのかは分からないから落ち着け、と必死に顔の筋肉を動かさないよう努めるのが苦しい。


「…それで?」
「…まだ今は…分かんない」


白石さんは体育のあいだに荷物を持って帰ってしまったようだった。そして本田さんのところへ行ったのだ、あの老人ホームへ。
あそこまでは歩いて15分だから、すぐに白石さんは本田さんの元へ駆けつける事が出来たはずだ。孫娘の顔を見ればほんのちょっとの体調不良なんか治るに違いない。そうに違いない、と、本田さんとは血縁関係でも何でもない俺は祈ることしか出来なかった。

割れるような群青