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いつもと変わらない日常や刺激の無い日々は正直言ってあまり好きではない。今のように、1週間後に控えた体育祭に向けてクラス全体が盛り上がっているほうがわくわくしてくるのだ。

男子はクラスの応援パフォーマンスに使うための応援旗を作ったり、チームカラーのハチマキを不器用ながらに縫い合わせて作ったり。そして女子は去年と同じく、体操服につけるためのゼッケンをデコレーションするのに大忙しの様子だった。

体育委員の片割れである白石さんはその女子の中心に居て、今年はどんなコンセプトにしようか?と楽しそうに会話をしていた。
昨年はスパンコールが沢山ついたきらきらのゼッケンで、家に帰って外した時に部屋中スパンコールだらけになり、掃除が大変だったっけ。

散らばったスパンコールを拾いながら一年前の俺は考えていた、白石さんが転倒する時に胸元で光ったそれがとても綺麗であった事を。


「へえ!夜久さんって脚速いんですね」


バレー部の練習後、部室では各々のクラスの体育祭用意について語られていた。背の高いリエーフは色んな事に引っ張りだこのようで、応援パフォーマンスも中心に立って何かをするらしいし、クラス対抗リレーにも出るらしい。


「まあ長距離よりは得意かなって」
「ふーん。俺負けませんよ?」
「学年違うから意味ねーだろ」
「あ」


なんだそっか、と肩を落とすリエーフだけど同じ学年じゃなくてよかったと思う、こんなに手足が長くて身軽そうなやつに勝てるとは思えない。
研磨は腕が痛いだのなんだの言っていると思ったら、体育委員の女子に「ちゃんと旗を振れ」と尻を叩かれて大変なのだそうだ。


「研磨も何かするんだ」
「旗振るだけ。重いやつ」
「そんなに重いの?」
「重いよ…ほんと最悪、疲れるし」


言葉では嫌だ、最悪だと言うものの心底嫌な様子ではないので恐らく大丈夫そうだ。先週の研磨は「面倒な事になりそう」と吐きそうな顔をしていたから。担任が佐々木先生だから応援パフォーマンスには力が入っているのかもしれない。


「白石さんは元気?」


そんなことを考えていると研磨のほうから白石さんの事を聞かれた。


「……え?」
「あれから話、聞いてなかったから」


あれから、と言うのは佐々木先生が入籍したのを知った日か。
研磨はそれを知っていたけど俺に教えていなかった。教える義務など無いから当たり前だ。けれどもこんなふうに質問してくるという事は、研磨の中でも言うべきか言わないべきかの葛藤があったのだろうと思えた。


「ああ…うん。元気にしてるよ、部活も出てるし」
「そう」
「佐々木先生にも結婚オメデトウって言えてたし」
「え」


研磨はびっくりして顔を上げた。同席した俺自身もあの時、誕生日おめでとうの言葉以外に、結婚を祝う言葉が彼女の口から出てきた事には驚いた。ほんとうは言いたくなかった台詞かも知れないけど、真意は分からないけど、あの時の白石さんはとても立派であった。


「結婚って、誰かの事を一生愛す!って誓うってことじゃん。男の場合は特に、何があってもこの人を護る!って」
「そう…なの?かな。うん」
「だから白石さんは、そういう人が自分にもいつか現れたらいいなって言ってたよ」


年齢だけで言えば俺も白石さんも結婚が認められている。
でも自分にひとりの女の子を死ぬ時までずっと支えるような器量があるとは思えないし、白石さんにはこれから沢山の出会いがあるんだろうし、しばらく佐々木先生の事を忘れられないかも知れない。だから俺は、彼女にとっての「そういう人」が俺だったらいいなと思ったけれども自分の中に仕舞っておいた。


「夜久くんさあ」
「ん」
「ほんと、凄いよね」
「へ?」


突然の誉め言葉に大きな声が出た。凄いって何が。研磨は俺の驚きには動じずに淡々と続けた。


「普通はそこで我慢できないよ」
「………」


我慢をしているつもりは無いのだが。決して我慢していたつもりは。本当は自分が白石さんの特別な存在になりたいというのを、まだ本人に言う勇気が無いだけで。しかも、佐々木先生の事が落ち着くまでは言わない方が良いだろうなという一丁前の理由をつけて。
でも研磨は、分からないならいいけど、と言いながら荷物をまとめて立ち上がった。





「じゃん!これが今年のゼッケン」


白石さんの声に振り返ってみると、彼女の手には手作りのゼッケンが掲げられていた。授業と授業のあいだのわずかな休憩、はたまた帰宅してからの時間も使って女子たちが作り上げたであろうもの。


「おお、またキラキラだ」
「目立つほうがテンション上がるもんね」


今年はスパンコールは無いものの、女子たちがあれこれ工夫してかラメ(って言うのか?きらきらのやつ)が施されていたりカラーのモールなどが使われて派手に「3−5」と書かれている。これなら家でスパンコールをぶちまけなくて済みそうだ。


「これが夜久くんの」
「ありがと」


俺が受け取ったのは去年よりも一段と派手になったゼッケンだった。恥ずかしいから自分で体操服に縫い付けるか、四隅だけだし。


「…あのさ、夜久くん」
「ん?」
「ありがとうね」


ゼッケンから顔を上げると、白石さんが座ったままの俺をじっと見下ろしていた。ありがとう、は何に対してのものなのか、なんとなく分かるけれどもお礼を言われるような事ではないはず。


「……何が…?」
「分かってるくせに〜」
「いや、分かんね…」
「ほんとうに?」


しらばっくれるのは無理だろうか。あまり面と向かって礼を言われるなんて慣れないから困ったな、と視線を泳がせると、察してくれたらしい白石さんは話を変えた。


「いよいよ今週末だね」


今週末がいよいよ体育祭の本番。
二学期のはじめに体育委員になってから今まで、俺たちはそれなりに頑張って体育祭の用意を進めてきた。その間には佐々木先生の事があったり色々大変だったけれどもリレーの選手を決めたり、応援パフォーマンスだってクラスのみんなで考えた。泣いても笑っても今週末が本番だ。


「高校生活最後の体育祭だよ」
「そうだな…」
「リレーも最後」


クラス対抗リレーは今年も男女4人ずつ、合計8人が交互で走る。白石さんは最後から2番目、その後が俺、アンカーだ。

去年も俺と白石さんは同じようにリレーを走った。そして、最後の最後俺にバトンを繋ぐ直前に白石さんは転倒したのだ。
あの時のことは未だに鮮明に脳内に浮かび上がる。ぶつかった女子とともに地面に転がる白石さんはその時足を怪我して、アンカーの俺にバトンを渡すまでに何人もの人に追い抜かれた。それでも立ち上がり、俺の方だけを見て、バトンを前に突き出して、走れと俺を押し出した。


「今年は私、こけないから」
「…うん」
「絶対ちゃんとバトン渡すからね」


あれが無ければ俺が白石さんを好きになるなんて無かったのだ。
きっかけなんて些細なことだったけど、それでもリレーを走る前に緊張した俺に声をかけてくれたことや、あのとき痛みに顔を歪めながらも走ってきてくれたことは俺にとってアンカーとして走り抜く勇気を与えてくれたから。


「……うん。待ってる」


だから今週の日曜日、今回の体育祭でも俺は彼女からのバトンを待つ。天気予報ではさわやかな秋晴れ、眩しさで白石さんの姿が眩まないようにしなければ。

恋風の胎動