20171016


嫌いなものは面倒くさいこと、暑い場所、寒い場所、疲れること、その他もろもろ自分から見てマイナスなこと全て。

それらが全部詰まったイベントが自分の誕生日に行われるなんて最悪だ。クラスメートの大半が盛り上がっている体育祭は大嫌いな行事のひとつで、どうにか気配を消して応援合戦などのパフォーマンスから逃れるのに必死だった。


「孤爪くん、もうちょっと腕上げて」


それなのに応援合戦にはクラスの全員が参加しろと言うではないか。
体育委員の人が作った旗を持たされて旗を振るはいいがこれが重たくて、ずっと全力で振り続けるのは大変。いいようにサボっていればいいかと思ったがそうもいかなかった、体育委員は熱血系の女の子だったのだ。


「もっと!」
「重い…」
「男の子でしょ!応援合戦だって点数つけられるんだからね!」


男の子でしょって差別用語だ、差別だと思う。それなら白石さんは女子のくせに体育委員なんかやって、応援合戦の練習をしまくっているせいか日に焼けてしまっているし、おれ以外の他のクラスメートにもあれこれ指図をしている。
こういう熱い雰囲気は嫌なんだよなあ昔から。頑張るのって大嫌いだ。これならまだバレーの練習で汗を流すほうがいい。


「こーづーめーくんってば!」


耳をつんざくように聞こえきた自分の苗字は白石さんから発せられたものだった。
放課後、部活の時間を割いてまで行われる応援合戦の練習の休憩時間に座り込んでいると白石さんが寄ってきた。さっきまで適当に手を抜いていたのを気付かれたかも知れない。


「真面目にやってくんなきゃ困るよ!」
「真面目だよ…」
「ぜんぜんそう見えない」


おれは真面目にやっている、と思う。ただ疲れない程度にやっているだけで。この後もバレー部に行かなきゃならないし、こんな応援のパフォーマンスを覚える事に脳細胞を使いたくない。


「…だって、疲れるの嫌いだし」


そう思っていたら、本音が口から出てしまっていた。それを聞いて白石さんは明らかに眉を寄せる。あ、怒らせた。


「私だって疲れるの嫌いだよ」
「…暑いし」
「暑いのも嫌いだよ」


白石さんも暑いのが嫌だ、疲れるのは嫌いだと言う。
自分だってそう思っているなら、そんな事をおれに強要するのはやめて欲しい。その気持ちを込めて、無言で白石さんの顔を見ていると(正直、睨んでしまったかもしれない)彼女も負けじと言い返してきた。


「学校の行事なんだよ?ちゃんとやろうよ、クラスの出し物じゃんか」


学校の事だから、クラスの事だから全力でやらなければならないのか?やりたくもない事を。


「…べつにそういうの、興味ないんだけど…」


こんな大きな旗を振る仕事、もっとおれよりも背の高い、見栄えのいいやつにやらせればいい。くじ引きなんかで決めなくても良かった。むしろ旗なんか無くても良かった。正直言ってクラスがどうとか、心底どうでもいい。興味がない。

それを大きなため息とともに吐き出すと、白石さんが無言になった。
おれに熱血を求めるのを諦めてくれたのかな、と立っている彼女を見上げると、たった今吐いた息を一気に吸い込みそうになった。白石さんが泣きそうだ。


「……?…ちょっと、白石さ」
「なにそれ」
「え」
「興味ないって何」


彼女が泣くのをこらえながらそう言った時、おれは言ってはいけない事を言ってしまったのか、と理解した。


「分かるよ、なんとなく。孤爪くんは集団行動とか好きじゃないんだろうなって事くらいわかってるよ。けど体育祭で、応援合戦なんて、みんなで力あわせなきゃ出来ないんだよ」
「……」


泣きそうだった瞳からはすでに涙が流れてきてしまった。おれは端っこのほうに座っているおかげで他の誰もこの状況に気付いていない、それだけが救いだ。おれにとっても白石さんにとっても。

白石さんは日焼けした腕で涙を拭い、ぎらぎらとした目でおれを睨みつけた。いや、睨んだのではなくてその瞳で訴えていたのかもしれない。


「私だって疲れたくないし、汗かきたくないけど!応援合戦で使う旗、どうやったら綺麗に見えるかなとか、どんな布がいいかなとか色々考えて作ったんだよ」


おれは暑いのも疲れるのも、誰かに何かを強いられるのも嫌いだし熱血なんてもっての外だ。
しかも体育祭なんて成績にも部活にも関係ない行事だし、単に協力することの大切さや集団行動を学ぶためのものじゃないのか。そんなもの部活で事足りている。多数の人間と関わらなくたって生きていけるし充分に人生を楽しんでいる。

…けれど、それはおれの中だけのことで、体育祭にかける想いは人それぞれなのだということに、どうやら考えが至っていなかった。


「重くて悪かったですね。貸して」


白石さんはおれの顔の前に手を出した。休憩するためにおれが地面に置いた旗を貸せ、と。


「…ごめん。」
「いいもん別に謝らなくて。旗、貸して」
「ううん。ごめん」


女の子に対して謝罪をしたのは初めてかもしれない。喧嘩や言い合いになるほどおれに関わってくる人は居なかったから。

白石さんが不思議そうにしているのを見上げながら、おれは旗を手に取った。
立派な棒はどこで手に入れてきたのだろうか。ホームセンターを回ったのかな。ひとりで?それとも誰かと?どっちにしたってこういう道具を手に入れるために彼女は自分の時間を犠牲にしたということだ。


「やる」
「嫌々されるくらいなら別に…」
「嫌々じゃないよ。さっきまで嫌々だったけど」


ゆっくり立ち上がると、それまでおれを見下ろしていた白石さんの顔が少しだけ上向きになる。さっきまで強くおれを睨んでいた目だけど、おれの突然の言動にひどく驚いている様子だ。


「おれ、暑いのとか寒いのとか疲れるのとか、人の気持ち考えるのとか苦手だから…」


正確に言えば、他人の考えを読み取ることは得意なほう。けれどこの子はあまりに自分とかけ離れているというか、生きる次元が違うような人というか、そもそも女の子だ。何に傷つきどこまでがボーダーラインなのかを図りかねてしまった。
おれにとってはどうでもいい体育祭に、ここまで打ち込むような人、本当によく分からない。けど。


「やる」


そのように伝えると、おれが本当に嫌がっているのではなく協力することを理解してくれたのか、白石さんは肩を落として安堵の表情を見せた。





誕生日の朝はとても忙しないものだった。
親は「来なくていい」と言っているのにクロの親と待ち合わせをしていたらしく、昼過ぎくらいに学校に来ていた。絶対応援合戦を見に来やがったな、と思ったけれどもういい。おれがなり振り構って白石さんの頑張りを無駄にするのは良くないなあと思ったから、やけくそ気味に旗振りをした。

悔しいから昨日の夜、動画で格好いい旗の振り方を見ておいた。そのとおりに動けていたかは分からないけど。


「…あの、ありがとう」


あっという間に夕方、すべてを終えて抜け殻または達成感で溢れる生徒が騒ぐなか、白石さんが現れた。
彼女の首から下がったメダルは先ほどの閉会式で表彰された時に貰ったもの。驚いた事に応援合戦の出来も競技もすべておれのクラスは1番だったのだ。


「…なにが?」


白石さんにありがとう、と言われたが何かお礼を言われるようなことをした覚えはない。むしろ話しかけられた事、嫌われていない事に驚いた。


「えーと…頑張ってくれて」
「……べつに」
「あと、ごめん」


そして今度は頭を下げられてしまった。全く意味が分からなくて首を傾げる。必死に必死にこれまで白石さんと話した内容、練習中のことや今日の本番のことを思い出すけど、謝られるような事も浮かばない。


「なにが?」


だから仕方なくまた聞いてみると、白石さんは顔を上げた。


「私、必死になると周りが見えなくなるの。全部終わってから頭冷えたんだけどさ…あの…孤爪くん、こういうの苦手なのに押し付けてごめん」


そして彼女はもう一度頭を下げた。

そのつむじを見ている時、今までに感じたことのない感情が浮かんできた。おれは狭い世界の中だけで価値観を培ってきたのだと。

前にクラスの人か部活の先輩とぶつかりそうになって、どうしたらいいか分からなくてクロに聞いたことがある。その時のクロが言っていた、冷静にまわりを見ることだけが「人を知る」ことでは無いと。その時は何も分からなくて、クロは幅広い対人関係を持っているからおれとは違うだろって思っていたけど。

でも、だから、こういう時の正しい声掛けの方法は分からないのだった。
ただ白石さんには顔を上げてもらいたくて、あの日、白石さんの言ってくれた事はおれへの押しつけでは無かったよと伝えたくて、なんとか言葉を探した。


「…うちのクラス、優勝できてよかったね」


その結果出てきたのはこんな台詞だったけど、白石さんはゆっくりと顔を上げてくれた。おれがこんな事を言うなんて想像もできなかった、とでも言いたげな表情だけど。


「白石さんが頑張ったおかげじゃないの」


続けて言うと白石さんは目をぎょっと見開いて、上を見たり下を見たりと忙しそうだ。驚かせるために言ったわけではないのだが。


「……そ、そう、かな?そんなの考えた事ないけど、ていうか皆が頑張ったおかげ、」
「でも、一番頑張ってたのは白石さん」


それは事実だし、なんたって体育委員だし、きっとクラスのみんながそれを認めている。おれにここまでやる気を出させるほどの力を持っているんだから胸を張って「頑張った」と言えると思う。
それなのに、白石さんは胸を張るどころかまたもや背中を曲げて俯き始めた。


「…なんで泣かせようとするの?」
「泣かせようとはしてない」
「してる」
「してない」


今のでどうして泣くのか理解出来なかったけど、嬉し泣きってやつかな、となんとなく思った。でもさっきのは、喜ばせるための言葉じゃなくて事実を言っただけ。


「…うれしい」


でもやっぱり白石さんは嬉しかったらしい。うれしい、ともう一度頬に一筋の滴が流れた。
それは夕日に照らされたおかげできらりと光って見えて、「そんな事はあるわけが無い」と分かっているのに、まるで光の粒が流れたように見えた。


「…うれしい?」
「うん。すごく」


うれしい、とは。おれのかけた言葉がそんなに嬉しかったのか、涙を流すほどに。

単に白石さんが頑張っていた事実を伝えたのと、今日のおれは強制されたわけではなく自発的にクラスに協力したことを分かってもらおうとしただけなのに。それが、そんなに嬉しかったのか。なぜだか分からないけど胸のあたりが熱くなってきた。


「ほんとに、優勝できたのめちゃくちゃ嬉しい!孤爪くん打ち上げ来れないの?」
「………え、」


ああ、いま、湧き上がっていたおれの感情が少しだけ冷めた。


「…あ…うん。部活いくから」
「なんだあ、残念」


すっかり涙を拭いた白石さんがへらりと笑って、また集まる機会作りたいね、と続けた。おれも、そうだね、と答えた。「そうだね」しか言えない。


「でもほんと、ありがとね!」


白石さんは手を振りながら、夕日の沈む方向へと走っていった。
ほんの少しだけ期待した自分が恥ずかしくて消えてしまいたいのに、あの沈みかけた太陽が容赦なくおれにオレンジ色の光を浴びせる。


「そっちか…」


うれしい、と呟いた白石さんの幸せそうな顔はおれの言葉に対してのものじゃ無かったのだ。クラスがひとつになって、その集大成を披露して、「1位」という形になったことが嬉しかっただけなのだ。

それでもべつに、白石さんが頑張っていた事は事実だし。お礼を言われるために言ったわけでも、喜ばせるために言ったわけでもないんだし。だから彼女がおれに対して何かしら特別な感情を抱いてくれるかも、なんて期待もしていなかったんだし。

珍しく気合の入った誕生日は最後の最後に夕日とともに沈んでいった。
ただ白石さんが嬉しそうにしていたことだけは、おれも嬉しい。嬉しいけれど、この言いようのない惨めな感じ、今回はクロへの助言は求めないようにしなくては。

Happy Birthday 1016