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9月22日、佐々木先生の誕生日当日。
白石さんはここ数日、タオルを買った・ラッピングはこんな感じにした・などと事細かに報告をしてくれてその都度俺は「おお、すげえな先生きっと喜ぶよ」とテンプレートのような返事をするしか無いのだった。ちゃんと笑えてたかな、なんて悲劇のヒロインみたいなことを考えたりもした。絶対顔が引きつっていたと思う。

しかし9月22日といえば先生の誕生日以外にも大事なことがある。体育祭のクラス対抗リレーに出場するメンバーを、用紙に書いて提出しなければならない日だ。


「なんとか全員埋められたね」


放課後の教室で、男女4人ずつの名前が書かれたプリントを見ながら白石さんが言った。
女子のアンカーは去年と同じく白石さん。その次、本当のアンカーは何故か今年も俺だ。


「結局俺かあ」
「いいじゃん、一番盛り上がるとこだよ」
「そうだけど…スズキが最後走ってくれたら良かったのに」


野球部で足の速いクラスメートのスズキはアンカーではなく、男子の一番手を走ってくれることになっている。まあ最初に突き放してくれれば気が楽だ。そう考える事にしよう。

いよいよこの用紙を佐々木先生に提出しなきゃならないので、白石さんに紙を渡した。白石さんはどうせ今から部活で先生に会うから。しかし彼女は受け取らなかった。


「一緒に渡しに行こ」
「え?」


なんだこの展開。甘い感じ。でも白石さんが俺に対して甘い事を言うわけがない。


「…実はさ、まだプレゼント渡せてなくて…プリント渡して、そういえば誕生日ですよねって感じで軽く渡したいの」
「そ…そう」
「多分一人だったら緊張して無理だから。お願い!」


またこの「お願い」、俺が断れないのを知らないで。


「…てっきり渡す時に告白でもするのかと思ったけど、俺が居ていいの?」
「え、あ、うん」


イエスともノーとも取れない様子であったが白石さんは頷いた。誕生日プレゼントを渡すタイミングは告白にぴったりだと思ったけど、まだ想いを伝えるつもりでは無いのだろうか。


「直接言うのはたぶん、無理だし…先生も困ると思うし…手紙に書いて入れてるんだ」
「………え」


白石さんはプレゼントの紙袋を大事そうに抱えながら頬を染めた。俺もその袋に視線を落とすと、なるほどな、手紙がしっかり入ってる。
プレゼントを決める時に「手紙を渡されたらどう思う?」と聞かれたのを思い出した。手紙に書いているんだ。自分の気持ちを。


「あっ、でも重くない感じで…ダメでもいつも通りに接してくださいねってちゃんと書いてるから!」


今から俺は好きな女の子が、好きなやつに誕生日プレゼントを渡す現場を見届けなければならない。そのプレゼントの中には思いを綴った手紙があり、彼女はその返事がダメだった場合のことも想定しているがきっとOKの答えを望んでいる。
その手紙が佐々木先生に渡るのを、見届けなければならないのか俺は。何も知らない顔をして。

俺はこれまで生きてきて、人の道を外れたことは一度たりともない筈だ。こんな苦痛を強いられるほどの罪を犯した事なんか。神様が居るなら教えて欲しい。





うきうきどぎまぎしている白石さんとともに体育教員室に向かう足取りは重かった。どうすれば無心になれるんだ。無意識のうちにリレーの選手名を書いたプリントをくしゃりと握っていたようで、「しわになるよ」と白石さんに言われて慌てて伸ばした。

やがて体育教員室の前に着くと、ドアをノックする前に白石さんが立ち止まり静かに息を整えた。今から手紙付きのプレゼントを渡すんだから無理もない。

彼女の恋が上手くいってほしいという気持ちは勿論ある。佐々木先生は良い人だ。でもふたりが付き合う事になってしまったら、俺は、これ以上辛い思いをしなきゃならないのか?


「佐々木先生、おめでとうございます!」


突然聞こえてきた祝いの言葉は、俺の声でも白石さんの声でもなかった。体育教員室の中から聞こえてきた別の先生のものだ。


「あっ、ありがとうございます」


佐々木先生の声も聞こえる。先生同士で誕生日を祝い合うものなんだなあ、「おめでとう」を言い合うくらいは大人でも普通なのだろうか。


「お祝いムードだね、今がチャンスかな…」


白石さんがそう言ったので俺も頷いた。明るい空気の中ならば誕生日プレゼントを渡しやすいだろう。俺の暗い気持ちも少しはマシかも知れない。
俺はプリントを渡してその後はなるべく無心で白石さんがプレゼントを渡すのを見届け、その後すぐにここを出て部活に向かう、それで終了。ものの数分、耐えろ俺。


「…じゃあ…開ける、ね」
「うん」


白石さんがごくりと唾を飲む。俺も変な緊張で同じように唾を飲んだ。手紙とはいえ告白現場を目の当たりにするのは初めてだ。しかも、何度も言うけど好きな女の子の。

そして、ゆっくりとドアノブに伸ばされる白石さんの手を見守っていた時、室内から再び明るい声が聞こえた。


「お誕生日に入籍されるなんて、ロマンチックですねえ」


まもなくドアノブを掴むところだった白石さんの手がぴたりと止まった。俺の息も、まばたきも。脳も。きっと心臓も一瞬止まってしまったに違いない。


「ちょうどタイミングが良いでしょうって彼女が言うもんで…」
「彼女じゃなくて奥さんでしょ?」
「え、あー…慣れないですねぇなかなか」


止まった時間が再び流れ始める。この一瞬で入ってきた情報はたったのふたつ。しかしそれぞれがとても重大だ。
ひとつは佐々木先生に彼女が居たこと、もうひとつは、その人が今日から先生の奥さんになったこと。佐々木先生の誕生日である今日、婚姻届を出しに行ったという事だ。


「これ、ささやかですけど体育教師陣からです」
「うわ!すみません…実はね、生徒からもサプライズで寄せ書きもらっちゃいまして」
「愛されてますねぇ」


佐々木先生は研磨のクラスの担任だ。頭の中でこれまで見聞きした情報たちが合わさっていく。

生徒からの寄せ書き。研磨があの時持っていたハート型の紙、「クラスメートの誕生日に」と言っていたけど本当は佐々木先生の結婚祝いを書くものだったんだ。


「………」


白石さんはドアノブを掴もうとした手をゆっくりと下ろしたが、その表情は髪の毛でよく見えない。見なくたって分かる。持っていた先生へのプレゼントを持つ手が弱くなり、ぽとりと地面に落ちたのだから。


「…白石さん……」


こんな時なんと声をかけるのが正解なのか分からず、出来るだけ落ち着いて名前を呼ぶ。
白石さんは返事をしない。体育教員室の中からは未だに「奥さんの地元は?」「披露宴の予定は?」と浮かれた話が聞こえている。


「……や…く…くん、」


やっと聞こえてきた白石さんの声は弱々しく途切れ途切れで、俺が呼ばれたのだと理解するまで時間がかかった。


「…ごめん!そのプリント…先生に渡しといて、ね?今日締切だから、ね」
「え、」


それだけ言うと白石さんは全速力で走り去ってしまった。彼女が立っていた足元には先生へ渡すはずだったプレゼントの袋が落ちたまま。中からは「佐々木先生へ」と書かれた、白いレースの模様が入った美しい封筒が覗いている。
想いがこもったそれらをすぐに拾うべきだと分かっているのに俺の身体はまだ動かない。

あんまりだ。
こんなの、あんまりじゃないか?

変則的絶望