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バレー部の部室では練習を終えた部員たちがあれこれ話している。今日の話題の大半は「夏休みの宿題終わってない」とか「休み明けテストやばい」とか。そして「何か委員会入った?」と言った内容だ。


「夜久は体育委員だよ。な」
「おー」


同じクラスの黒尾は俺が体育委員に立候補したのを知っている。しかし先述の通り、体育委員は大変な仕事だから誰もやりたがらないので、研磨は俺が体育委員になったのを聞いて苦い顔をした。


「すごいね…体育委員とかサイアクじゃん」
「んー、うん」
「最悪でもねえよな。白石さんが一緒だろ?」


黒尾は俺の肩を小突きながら言った。
俺が白石さんのことを良いなと思っているのは、なぜだか早いうちに黒尾に気付かれてしまっている。それは構わないのだが(クラス内では余計な事を言ってこないし)、こうやって小突かれるのはちょっとイラつく。黒尾がちょくちょく白石さんの話題を出すせいで、研磨にも俺に好きな子が居るのを知られてしまってるのだ。


「それって、去年最後にコケてた子だよね」
「そうだけど」
「だから夜久くんも立候補したの?」


すでに着替え終えている研磨の目線はゲーム機の画面に集中していたが、質問内容は的確だ。時々こいつはデュアルコア搭載なんじゃないかと思わされる。
確かに俺は白石さんとふたりで体育委員をする事は嬉しいし、ふたりの時間や交流が増えるのも楽しみだ。しかし俺が一緒に体育委員を務めたところで決定的に変わらない事がある。


「…白石さんさ、佐々木先生が好きみたいなんだ」


ぼそりと俺が言ったとき、研磨も黒尾も動きを止めた。研磨のゲーム機からは「ゲームオーバー」の効果音がタイミングよく流れてきた、洒落になってない。


「そうなの?よく知ってんな夜久」
「…直接聞いたわけじゃないけど。佐々木先生の話をする時だけ明らかに違うんだよ」
「…ああ…陸上部の顧問だもんな」


佐々木先生は陸上部の顧問、白石さんは1年の時から陸上部所属。接する機会は多かっただろうし、好きになるタイミングは有り余るほどあっただろう。


「白石さんって子は陸上部なの?」
「おう」
「………そう。」


研磨はゲーム機の電源を落とした。珍しくゲームだけに集中するのが難しくなってきたらしい。そして、それを鞄に仕舞いながら言った。


「佐々木先生はおれの担任だよ」
「えっマジ?」
「うん。すごくいい先生。体育教師なのに熱血過ぎないしね」


研磨が「すごくいい先生」と褒めるなら間違いない。それに佐々木先生には去年体育の授業を見てもらったが、生徒のやる気を出すのも上手いしこんがり焼けた肌はとても男らしい。ちなみに身長も高く180センチはありそうだ。性格も穏やかで生徒へも平等、悔しいことに良い所ばかりなのである。


「…だからその白石さんが、佐々木先生に惹かれる気持ちは分かるよ」
「………おう」


そう、それなのだ。俺も佐々木先生の素晴らしいところを知っているから、白石さんが先生を好きになるのも無理はない。どうしたって適わない魅力が備わっているし、大人の余裕があって声も低くて。なにより背が高い。
そして俺の誇れる事は何だろうかと考えた時、特に何も浮かばなかった。背も低い、金銭や心に余裕があるわけでもない。顔が特別いいわけでも成績が良いわけでも。絶望的だ。


「はあ…」
「でも夜久くんの良いところだって皆知ってる。その子にも伝わるといいね」


俺がため息をついたのが聞こえたのか、研磨からはフォローの言葉が出てきた。本人はいたって普通のトーンだったけど。いつも冷静で、物事を客観視しかしない研磨がそのように言うなんて感動である。


「…なんか研磨が優しい」
「ほんとの事だから」
「研磨は夜久に甘いんじゃねーの?」
「日頃の行いだよ」


普段瞳の中に感情を映さない研磨がじとりと黒尾を睨んでる、と言うことは俺の知らないところで黒尾は色々やらかしているんだろう。しばらく睨みをきかせたあとで研磨はリュックサックを背負いながら言った。


「それに、佐々木先生と付き合うのはちょっと難しいと思う」


そして、静かに立ち上がった。佐々木先生と付き合うのが簡単な事だとは思わないが、研磨が自ら「難しいと思う」と言うなんて。生徒と教師という越えられない壁以外にも、難しいと思える要素があるのだろうか。


「なんで?」
「なんとなく」


けれど研磨はそれ以上教えてはくれず、もやもやしたまま帰宅するはめになってしまった。





翌日の昼休み、早速委員会が開かれた。体育祭の競技やクラスごとの応援パフォーマンスについての話。

1年・2年と体育祭を経験したからなんとなく内容は分かるので、佐々木先生の話は右から左。の、筈だった。普通なら。隣に白石さんが座って佐々木先生の話を真面目に聞いているもんだから、俺もきちんと聞かなければならない。
それにあの佐々木先生こそが恋敵なのだ。彼がどんな人なのか俺ももっと知りたいし、彼に近づけるなら近づきたい。そうすることで白石さんの気を引けるなら。


「応援パフォーマンスの持ち時間は1クラス3分な。音源も衣装も自由、予算は超えないように」


そのように話す佐々木先生の姿を白石さんはうっとりと眺めているのが分かる。俺ですら気付くんだから先生も気付いているんじゃ無いだろうか。


「…じゃ、今から配る用紙にクラス対抗リレーの走者を書いて。本番2週間前までに提出すること」
「はーい」


佐々木先生がプリントを配っていく。そして3年生の体育委員が並ぶ列に来た時、先生は白石さんが座っているのを見つけてこう言った。


「そういや陸上部が何人か居るな?しっかり走れよー。白石は転倒禁止」
「わっ、分かってます!」


白石さんが赤面して答えたのを見て佐々木先生は「ほんとかよ」と笑って、委員会に居る何名かの陸上部からも笑い声が聞こえた。みんな仲が良い部活なんだろうな。
そして、白石さんは「もー」と言いながらも満更でもない様子で、佐々木先生の視線がそれた瞬間に嬉しさを隠しきれない様子で微笑んでいた。俺は何をすれば彼女にこんな表情をさせることが出来るのだろう、今のところ案は全くない。


「佐々木先生ってば、去年のことずっと言ってくるんだよ」


意地悪だよねえ、と話す白石さんにとって佐々木先生にいじられるのはご褒美なのだろう。教室までの廊下を並んで歩ける事は嬉しいが、その間ずっと佐々木先生についての話を聞かされるのは苦痛だ。でも耐えなければならない。
俺は確かに白石さんを好きだけど、彼女の恋を邪魔してまでこの気持ちを貫こうとは思わないからだ。


「リレー誰に出てもらおうかな」
「どうだろな?男子は野球部のスズキが良いんじゃね、走塁王って聞いた」
「へえー!覚えとこ」


白石さんは携帯電話を取り出してメモアプリを開いた。リレーに出てもらう人の候補を考えているらしい。


「夜久くんはどうする?」


そして俺にもお声がかかる。俺の50メートルのタイムは去年と変わらず7秒を切っており、体力テストの結果も良かった。 去年はリレーなんか本当は出たくなかったけど今年は違う。白石さんも出るだろうからまた一緒に走れるかも、バトンの受け渡しが出来るかも。


「……どうしようかな」
「夜久くんも速いほうでしょ」
「うん…」


白石さんは俺が自ら「出るよ」と言うのを待っているようだった。たぶん俺に出てほしいのだろう、今年うちのクラスには陸上部の男子が1人しか居ない。そいつ以外に短距離が得意な男子はきっと、野球部のスズキを除けば俺。

もちろん出場するのは構わない。けれどどうせなら白石さんに「お願い!」と頼まれたいな、なんて欲が出てなかなか頷けない。
渋る俺に痺れを切らしたのか白石さんが一歩前に出て手を合わせた。


「お願い、夜久くん出て!」


とうとう欲しかった言葉を言われて、俺は「好きな子に頼られた」という事実に高揚した。けれど浮かれた顔を見せるのは悔しいのでいたって平静を装う。頼まれたから仕方なく引き受けるんだよ、という猿芝居で。


「……いいよ」
「ほんとに!?やったあ!」


白石さんは興奮してしまったのか、さきほど先生から配られたプリントを落っことした。

慌てて拾う彼女のつむじを見ながら、今の喜びは「俺と一緒に走れることが嬉しいわけじゃない」のだと自分に言い聞かせる。俺は足が速いから、速い人がメンバーにいれば勝利に近づくから、だから喜んでくれたのだと。
でも白石さんが笑顔で「頑張ろうね」と言ってくれるので、要らぬ期待に胸を躍らせてしまうのだ。


「1位になって佐々木先生を見返そうねッ」


そんなささやかな期待は白石さんの一言で簡単に崩れ去ると言うのに。結局、白石さんの心の中にいるのは佐々木先生なんだから。

無防備な幸福論