赤司征十郎の朝は早い。幼少のころからの習慣のせいか、目覚まし時計をかけなくても赤司は5時ぴったりに目を覚ます。どれだけ早く寝ても、遅く寝ても同様だ。おそるべき、体内時計をもつ赤司は、この日とて変わらず5時に起床する。

 起床した赤司はいつまでも布団にもぐっているわけがなく、すぐさまベッドからおり、ジャージに着替える。早朝ランニングに向かうためだ。部屋を出た後、寝間着を洗濯機に放り込み、整然されたキッチンでコップ一杯の浄水を飲んで、赤司は自分の部屋、403号室から出る。

 しかし、ここからすぐにランニングに出かけるというわけでもなく、赤司は向かいの405号室のインターフォンを押した。








 ピンポーン…





 「………」





 ピンポーン…






 しかし、何度押しても、その部屋の主は出てこなかった。赤司はまたか、とため息を吐いて、一応入れてきた405号室のスペアキーをポケットから取り出し、鍵穴に差し込む。なぜ、赤司がこの部屋のスペアキーを持っているのかというと、それはまた別の話だが、端的に話すと、赤司は405号室の住人、紫原敦を起こす役割があるからだ。べつにそれは義務ではない。チャイムの音で起きないのなら、放っておけばいいのだが、責任感が強い赤司はついついと部屋に入ってまで、その役割を毎日果たしている。




 ガチャリッ…



 「敦、入るぞ」



 ドアを開け、一応一言断りをいれ、赤司は405号室にはいる。しかし、入った瞬間、赤司はおや?と首をかしげた。廊下の突き当たりにある部屋のドアの隙間から、かすかに光が漏れているのだ。まだ薄暗い5時過ぎ。電気をつけていたら、すぐにわかる。



 「起きているのか?敦」



 靴を脱ぎ、赤司がそう声をかけるが、返事はなし。おかしいなと思いながら、その部屋に入ると、机に背中を丸めて伏せている大きな背中が1つあった。赤司の中では紫原がご飯時以外に机に向かっている姿が想像できなかったので、はじめて見たその姿に驚きを隠せない。それも規則正しく上下にゆれているので、作業中に寝てしまったのがわかる。



 「敦?」



 パティシエの紫原が仕事で書類を作成しているのは考えにくい。書類などの字を扱う仕事は同僚の氷室に任していると紫原が言っているのを赤司は聞いたことがあるからだ。赤司は紫原の右肩をつかみ、軽くゆさぶる。そもそもここに来た理由は紫原をこの時間に起こさなくてはいけないということなのだが、それ以前に肌寒いこの季節に紫原がここで寝ていることの方が問題だ。風邪をひくかもしれないことに心配した赤司は未だに目を覚まさない紫原を強めに揺さぶる。



 「敦、起きろ。風邪ひくぞ」



 声をかけながら、赤司は机を覗き込む。そこには紙や色鉛筆が散らばっていた。どうやら、絵を描いていたらしい。絵を描くことが趣味なのだろうか?と赤司は少しの好奇心の誘惑に負け、伏せている紫原の間から見えているデッサンらしきものに視線を向ける。




 そこには、まるで本物を紙にしまいこんだような鮮やかで美しいケーキがあった。




 「…っ」



 赤司は知らずうちに紫原を起こすことを忘れ、息を呑んでしまう。

 紫原の作る洋菓子は味と同じぐらいに見た目も重視しており、見るものを虜にしてしまう。あまり甘いものに興味がない赤司でも虜になってしまうほどなので、お菓子好きにはたまらないほどの魅力なのだろう。それが(紫原が描いたであろう)デッサンにも表れているのだ。食い入るように見てしまうのは致し方ない。


 「んー…あかちん?」



 紫原の声に赤司ははっと我に返る。赤司は急いで本物と同様の不思議な魅力があるそのケーキから紫原へと視線を戻し、声をかける。


 「朝だぞ、敦。早く起きろ」


 「え!?マジ!?」


 赤司の言葉に紫原は慌てたように顔をあげる。そして、時計を見るなり、「あー、寝ちゃったー」などと言いながら、紫原は手を額にあてながら、ため息を吐いていた。







 「ぁ…」


 いつもと様子が違う紫原に赤司はつい声をかけることを忘れる。きっと、これが紫原の仕事の顔なのだろう。普段は赤司に対して、子供のような無邪気な笑顔だったり、何もかもがだるそうな顔だったりと、真剣という言葉とは無縁そうな男だったのだ。紫原の仕事場であるケーキ屋兼喫茶店である“陽泉”に行っても、紫原は厨房にいるのでその顔は視界に収めたことがない。



 はじめて見たが……やはり、働く男性というものは格好いいな。




 とぼんやり赤司が思っていると、紫原ははっと我に返ったように赤司を見た。そして、ババッと机にあるデッサンたちを長い腕で隠す。



 「…赤ちん、見た?」



 じっと疑い深く見つめてくる紫原の様子に赤司は少しだけ焦る。



 「ダメ、だったか?」



 「ダメじゃねーけど、恥ずかしいじゃん」



 紫原が少しだけ頬を染めて、口を尖らす。仕事の顔から一変、いつもどおりの紫原の顔に、赤司は自分でも気づかぬうちに安心した笑みをうかべる。



 「何が恥ずかしいんだ?すごく上手じゃないか」



 「全然だよー。…あーっ、くそ…赤ちんに見られるつもりなかったのにー」



 そういいながら、紫原は数枚ほどあるデッサンをファイルに入れていく。赤司はその作業を見ながら、これのどこが全然なのだろうか、と謙遜以外考えられないセリフに心の中で返す。



 「よく描くのか?」


 「ううん、いつもは仕事中に突然思いついて作ることが多いんだけどね。たまにお風呂とか入ってるときに思い浮かぶんだー。そんときだけは忘れないように描くようにしてる」


 「その割にはたくさん描いたな」


 「スイッチ入っちゃってねー」



 紫原はそういうと、ぐーっと伸びをし、ねみ〜と欠伸をしながらつぶやいた。お菓子に対する情熱を赤司は知っているつもりでいたが、ここまでとは思っていなかった。一日仕事をして、さらに夜遅くまで自主的にデッサンするなど、その仕事を好きではなくてはやっていられない。



 「今日はコーヒーのほうがいいかもな」



 赤司は労わりの気持ちでそう呟けば、紫原は立ち上がりながら少しだけ顔を歪める。



 「えー。じゃあ、ミルクと砂糖たっぷりで」


 「…それはもうカフェオレだよ」



 そういえばこいつは何でも食べるが、甘いものが一番舌に受け付けるのだと思い出し、少しだけ苦笑する。紫原は赤司より年上なため、そのせいか大人っぽい表情を見せることは極たまにある。今さっきだってそうだ。しかし、昔から変わらないような子供の性格だって持っている。毎回このギャップに振り回されているなと赤司は思い、少しだけくすぐったい気持ちになった。

 赤司はランニングに行く前の日課、紫原の朝ごはんを作るため、紫原を連れて寝室のドアをパタリッと閉めた。



END




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