魔女はいった。
 『次の駅で降りて、真っ直ぐいけば小さな教会があるはずだよ。行ってみるといい。そこにきっと答えがあるはずだよ』
 答えとは何か。紫原はわからなかった。捨てるとすでに解答を出している赤司にどんな解答がいるのだろうか。
 赤司は魔女の言うとおり、その駅で降りた。
 降りた後も、紫原と赤司は何も話さなかった。ただ、老婆の言われるままに、駅を出て、真っ直ぐに歩く。紫原は前にいる赤司を見る。迷いのない足取りは通常通りの赤司だった。赤司の向かっている先はきっと教会なのだろう。潮の匂いが強い。その教会はきっと海が近いところだと紫原は推察していた。赤司は教会で答えを得るのだろうか。紫原は赤司のように未来を読むことはできない。けれど、1つだけ理解している未来はある。紫原がその教会で捨てられる未来だ。
 赤司が望むのなら、紫原は喜んで捨てられようと思っていた。さきほどはひどくショックを受けたが、紫原のすべては赤司のものなのだ。自分の意思など関係ない。赤司が望むのなら、自分は赤司の前から消え去るべきなのであろう。女のようにいやだいやだと未練がましくしがみつくことなく、男のようになぜ別れるのかと理由をしつこく聞くこともなく。ただ、告げられたのなら従順にうなずき、赤司の前から消えなくてはならない。
 それは本当に愛しているのかと、紫原の考えを聞いた赤の他人は紫原にそう聞くかもしれない。人は愛しているからこそ、その人物に執着を持つ。嫉妬をする。独占欲が生まれる。離れたくないと叫ぶ。易々とその人物を離すなんてありえない。本当にその人物を愛していたのかと聞かれるかもしれない。
 けれど、その質問に紫原は悩まず答えることができる。
 だって、赤ちんが言ったのだから。俺はそれに従うだけだよ。
 その言葉は他人が理解できない赤司への愛であり、誰もが理解できる紫原の弱さであった。
 ザザアアン――――…ザザアアアアン――――…
 波の音が聞こえてくる。紫原が下げていた頭をあげて、前を見る。目の前にはきれいな教会。というわけではなかった。広い砂浜、そして遠くまでのびる青の海があった。
 「あれ…?」
 思わず、紫原は立ち止まってしまう。周りを見回しても、雑木林があるだけで教会らしきものは見つからない。道を間違ったのかと思ったが、赤司も紫原も真っ直ぐに歩いてきたつもりだ。紫原は周りを確認しながら歩いていないため、見落としていた可能性はあるが、赤司はそうではないだろう。紫原は赤司に声をかけようとしたが、赤司は立ち止まった紫原を気にも留めずに、砂浜へと歩を進めていた。
 「え、ちょっ…赤ちん!」
 教会なんてどこにもないじゃん!と、赤司に言うために急いで近づくと、赤司は急に立ち止まった。そして、紫原の方へと振り返る。
 「知っているか、敦。海は生命の始まりなんだよ」
 「は…?」
 いきなりの赤司の言葉に紫原は首をかしげる。
 「地球が生まれて、はじめて生命が誕生したのは海中の生物だと云われている。陸地は酸素も何もなく、安全ではなかったんだ。だから、最も安全な場所である海で生命が誕生したんだ。単細胞の生物が海の中で生まれ、変化し、融合する。そして、その生物が光合成をし、酸素を生み、オゾン層を生成させた。そこから、進化した生物が陸地へとあがっていく。海にいる生物、陸地にあがった生物はさまざまな環境に対応させ、種類が増える。その結果、ありとあらゆる生物が生まれ、僕たち人間が生まれたんだ。」
 赤司は紫原にわかりやすいように端的に話す。けれど、紫原はよくわからなかった。赤司の話ではない。ここに来た意味と、赤司がその話をする理由である。
 「生命の始まりはすべての始まりだ。だから、僕もここから始めようと思った」
 赤司はそういい、両手を広げる。紫原はその腕がすべてを抱きしめているようであり、すべてを投げ出しているようにみえた。
 「僕は15を迎えた今日から3年間『洛山の赤司征十郎』になる。洛山に僕のすべてを捧げようと、そう思っている」
 呆然と紫原は赤司の決意表明を聞く。どうして、赤司が紫原にそんなことを言うのかはわからない。けれど、そのために紫原は赤司に捨てられるのだと容易に想像がついた。赤司の中で感情論は存在しない。いつだって論理的で、1か0だ。勝利に貢献ができるのなら何事でも許し、逆に足かせになるのなら容赦なく切り捨てる。それが赤司征十郎だった。
 紫原が「卒業してからでもいいんじゃないの?」と聞く。それは無意識に生まれた反抗心だったが、紫原は気づかない。対して、赤司は少しだけ困った顔をして、「卒業した後では遅い」と返す。
 赤司はすでに、洛山に入ったら主将となることが決定している。それは赤司が提示したものであり、推薦を受ける条件だった。練習には出ないといった青峰と同様に無茶な条件だった。しかし、洛山のカントクはすぐに首を縦に振ったのだ。むしろ、条件に出さずともそうした、とも言った。
 「僕は洛山の主将として、部員のことを誰よりも知らなければならない。さすがの僕だって、彼らの癖や性格、プレースタイルを数ヶ月で覚え、IHでゲームメイクをしていくのは難しい。それに、公式戦での彼らの勇姿がみたいしね」
 あと数日で開催されるWC。もちろん、IH、WCともに全校最多の回数を誇る洛山高校はその出場権を得ている。赤司はそこに赴き、そこでレギュラーメンバーの特性を見抜くつもりだった。そして、WCが終わってからの休日のみ、赤司は洛山高校で練習することを許されている。より早く赤司が洛山高校に慣れるためであり、周りの混乱をおさえるためでもあった。入学はおろか、卒業すらしていない中学生が一緒に練習をするのだ。『キセキの世代』だといわれていても、それはきわめて異例であり、異質だ。しかし、洛山高校も例外として認めており、帝光中学も赤司が望むのならと認めている。
 「もう僕は『帝光中学の主将、赤司征十郎』ではない。部活には顔を出すつもりはないし、お前たちのことを今までのように助言をしたり、注意をしたりしないだろう。けれど、お前たちと繋がっていたものを無理に切るつもりはないし、誓いは守り続けるつもりだ。でも」
 「無駄な感情は切り捨てる。だから、俺を捨てるんでしょう?赤ちん」
 赤司の言葉の上に被せるように、紫原は笑いながら言葉を吐く。赤司は紫原の言葉に少しだけ目を開く。しかし、すぐに小さく笑って、伸ばしていた両手を下ろした。紫原に勘付かれているとは気づいていたが、はっきりといわれているとは思わなかったからだ。
 「ああ。そうだよ。お前が一番厄介だからね」
 赤司にとって紫原は、誰よりも言うことを聞く良い子であり、誰よりも心をかき乱す悪い子であった。それは紫原の責任ではない。赤司の気持ちの問題なのだ。
 「敦、僕はね…テツヤたちと出会って、はじめて誰かを愛するという気持ちを知ったんだ。ともに勝ち続けていきたいと願った」
 ともにいる違和感がなくなったのはいつだったか。ともに食事をする違和感がなくなったのはいつだったか。話し声が雑音だと思わなくなったのはいつだったか。笑顔がきらめいて見えるようになったのはいつだったか。
 こいつらとともに生き続けていきたい。勝ち続けていきたい。
 そう願うようになったのは、きっと必然だ。
 「そして、お前と出会って、僕は愛される喜びを知った。いつまでも共に、隣にいたいと願った」
 赤司は知ってしまった。肉体が。心が。魂が。赤司は最愛の人に愛されるというぬくもりを知ってしまったのだ。ほかとはちがう。代えはきかない。誰よりも愛しい存在。
 ずっとそばにい続けたい。愛され続けたい。
 そう願ったのは、避けられない現実だった。
 「けれど、勝利と愛は比例しない。いつしか壊れてしまう。現に勝ち続けた僕たちは、いとも簡単にばらばらになってしまった」
 壊すつもりはなかった。けれど、1つ崩れれば、たちまちバラバラに砕け散ってしまった。砕けたそれはもう修復不可能だった。離れていった。赤司の手のひらには、1つだけの光が残った。
 赤司はそれを透明な瞳で見ていた。子供のように純粋無垢な瞳で、なぜ壊れるのかとわからないような顔をして、それを眺めていた。
 そして、気づく。愛、というものは脆いのだ。強く握らずとも壊れてしまう儚いもの。そんなものを赤司は持ち続けようとは思わなかった。そんな簡単に壊れてしまうものなど、必要ない。
 それが赤司の出した答えだった。
 「だから、僕は愛することをやめようと思った。勝利は不変であり、絶対だ。僕を決して裏切らない。」
 勝利は決して血液のように止まることなく、赤司に生を与え続ける。愛のように痛みを発生しないし、中毒性もない。赤司自身を形成し続けたもの。壊れず、いつでもそばにあった。
 「俺も裏切らないよ。赤ちんが言う“勝利”みたいに。ずっとそばに居続けるよ」
 「無理だよ、敦。言ったじゃないか。勝利と愛は比例しないと。いずれはお前も僕から離れて行ってしまうよ」
 赤司はゆっくりと紫原に言い聞かせるように言う。赤司の考えはどれだけ紫原がいっても変わらない。けれど、紫原は不服だった。自分の気持ちを他のやつと同等に扱われているような気がしたのだ。
 「そんなことねーし。あいつらは赤ちんに全部をあげてないからだよ。俺は全部赤ちんにあげてる。身も心も全部、全部だ。だから、赤ちんがどんだけ勝利しても離れないし、裏切らない」
 弱くなった相手に何も思わない。仲間とともにするバスケなんて望んでいない。勝てばいい。負けなければいい。バスケは好きじゃないし。それが紫原の抱いている感情だった。だから、この感情は一生赤司を裏切らないし、離れないと思っている。もちろん、紫原はバスケを好きになるという可能性は考えていない。
 「べつに俺は捨てられてもいいよ。俺はずっと赤ちんのこと好きでいる自信あるし。でも、俺の気持ちまで否定すんなし。信じてよ」
 紫原が主張したいのはそれだけだった。赤司のいうことは聞く。別れるのなら別れてやるし、死ねというなら死んでやるぐらい、紫原は赤司の命令に忠実でいる自身がある。だけど、すべてを、自分が赤司をずっと好きだという気持ちは否定してほしくなかった。
 「むりだ。ぼくは、そんな…」
 けれど、赤司は信じない。いや、信じるのを怖がる。子供のような透明な瞳で赤司は紫原を拒否した。
 「ねぇ、何がそんなこわいの?赤ちんだってそばにいたいって思ってくれたんでしょう?じゃあ、いようよ。なんも怖いものなんてないよ」
 紫原には赤司の気持ちはわからない。バスケ部がバラバラになったせいで、赤司にどのような影響をもたらしたのか。彼にどんな感情を芽生えさせたのか。けれど、赤司が紫原とともにいたいと願ったのならば、無理して離れる必要はない。そう言ってしまったは、やはり自身が捨てられたくないから言っているのか、紫原はわからない。けれど、目の前の赤司に紫原は自然と言わざるを得なかった。
 赤司はまるで何も見たくないというように両手で顔を隠した。赤司には理想と現実が見えていた。眼がしっかりと映し出していた。
 「〜〜〜〜〜っ!!!」
 「あかち…」
 「うるさい!僕はこれ以上不確かなものを信じたくないんだ!!これ以上離れて行ってしまうかもしれない怖さにおびえたくない!!お前が離れていかない保証なんてどこにある!?時が流れば、考えも気持ちも変わる!お前だってテツヤのようになるかもしれないだろう!?それが怖いんだ!いやなんだ!そんなものに僕は振り回されたくなんかない!なら、捨てるしかないだろう!!僕にあるのはこれだけなんだから!!」
 今までと打って変わってヒステリーに叫ぶ赤司に、紫原は一瞬目の前にいる人物が誰なのかわからなかった。赤司はいつだって冷静で、正しい道を選ぶ。だから、紫原は赤司についていっていたし、どんなことでも従っていた。けれど、はじめてみたその姿に、紫原はようやく目の前にいる人物は“ただの”赤司征十郎なんだと知る。
 「…赤ちん」
 思わず、赤司の名前を呼ぶと、赤司は吹っ切れたような、すべてに諦めたような表情で紫原に笑いかける。その笑顔があまりにも痛々しくて、紫原はいつのまにか長い手足を使って、赤司を腕の中に隠した。
 「……お願いだ、敦…あとはお前だけなんだ。涸れさせてくれ。お前に対する僕の愛を溢れさせて、消費させてくれ」
 愛は限りがある。なら、いっそ枯れるまで愛させて。そういった赤司に紫原はもう何も言わなかった。
 「ぼくから、『しょうり』もとりあげないで」
 そういって、左目から涙を流す赤司に紫原はそっと唇を落とした。愛に見捨てられ、愛を見放す小さな子供を紫原は全力で愛そうと思ったからだ。



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