ガタンゴトンッガタンゴトンッ…
 知らない駅。知らない風景。知らない町。遠くに見える青い海。みなれた高いビルの群れはなく、海の近くには小さな森があった。
 紫原は菓子を食べながら、ぼんやりとそれを眺める。景色をぼんやりと見るのは嫌いではない。怠惰を好む紫原にとって、そもそもバスケのような激しく動くスポーツをしているより、今のように菓子を食べながら、ぼんやりと時の流れに身を任すのが好きなのである。
 しかし、電車で遠出をするのは練習試合のみの紫原にとって、長時間の電車は慣れていない。そのため、数時間ずっと重心がかかっている尻が悲鳴をあげはじめた。紫原はもぞもぞと姿勢をかえながら、窓から視線を外し、前を見る。前にいる人物―――赤司は紫原が見ている限り、一度も姿勢を変えていない。今だって、紫原の視線が自分に向かっていることがわかっているはずなのに、赤司の視線はずっと窓の外に向けられ、展示されているマネキンのようにぴくりとも動かない。
 ガタンゴトンッガタンゴトンッ…
 紫原はこの電車がどこにいくのかを知らない。そもそも、自分がどこに向かっているのかでさえ、紫原はわかっていない。電車に乗る前に、紫原は赤司にどこにいくのかと聞いた。しかし、赤司はただ笑んだだけで、紫原に答えを教えなかった。
 ガタンゴトンッガタンゴトンッ…
 人気がないこの鈍行列車は、赤司とともにどこか知らない場所へと運んでいっているのだ。それだけが紫原が唯一わかっていることだった。けれど、それでもよかった。紫原は赤司と一緒なら地獄でもどこへだって行こうと思っている。月並みのセリフでいうならば、君がいるだけで幸せだ、とでも言おうか。
 ガタンガタンッ…
 <次はー…>
 景色の流れがゆっくりとなっていく。それとともに、静かな車内にアナウンスが流れた。当然のごとく、紫原が知らない駅の名前だった。
 アナウンスで流れた駅の名前を聞いても、赤司は動かない。窓の外にずっと気になるものがあるように、一点ばかりを見つめている。だから、紫原もここではないのだろうと思い、足を動かさなかった。ただ、菓子をつまんで、口へと入れ、咀嚼するという単純な動作を繰り返すのみだ。これは電車に乗ったときから、絶えず繰り返されている動作だった。
 電車は少しずつスピードを落としていき、止まる。そして、何拍か時間をあけたあと、プシューと音を立てて、扉が開いた。その音に導かれるままに、紫原は少しだけ首を伸ばして、ホームを見る。人っ子一人いない無人駅だった。駅のホームといえば、人がごった返しているイメージが強い紫原にとって、それはどこか現実離れしていて、不思議な光景だった。
 そもそも、なぜこんなことになっているかを紫原はゆっくりと思い出す。
 紫原はずっと赤司の誕生日に渡すプレゼントのことについて悩んでいた。考えることが嫌いだが、自分の大切な人の誕生日だ。いつものように考えを放り出して、誰かに頼るのは嫌だった。なので、紫原は珍しく頭を最大限までにつかって考えた。そして、悩んだ末に導いた答えが、自分が選ぶ最高のお菓子ベスト10をあげよう!ということになった。
 黄瀬あたりが聞けば、「え、恋人の誕生日にそれをあげるんスか」と呆れられそうだが、紫原からすれば最良の選択だった。紫原は赤司のほしいものなどわからない。いや、赤司のことだ。ほしいと思えば、容易にそれを手に入れると容易に想像がついた。なので、赤司のほしいものをプレゼントするという案はすぐに却下になったのだ。では、何をプレゼントにすればよいのか。紫原はありきたりな物をプレゼントする気にはなれなかった。特別、ということを強調したかった。その結果がお菓子だった。
 お菓子といえば、紫原。紫原といえば、お菓子。というように、紫原自身でも他人から見ればお菓子と自分はほとんどイコールで繋がっていることはわかっている。そこがまずポイントの一つだ。そして、その自分が選ぶお菓子ベスト10なのだ。おいしくないわけがない。だから、お菓子をあまり食べない赤司でも、喜んでくれるだろうと紫原は考えた。また、他の人とはかぶらない特別なプレゼントになると紫原は確信していた。
 しかし、赤司はそんな紫原の悩みなど露知らず、プレゼントをもらうのなら敦の時間がほしいと、昨日の帰り道、唐突に言ったのだ。「物なんかいらない。明日一日、お前の時間がほしい」と、非対称な目を紫原に向けて言った。
 紫原はそれを聞いたとき、はじめは呆然としたが、すぐに何を言っているんだと反論をしたくなった。紫原はすでに自分の時間など赤司に捧げていると思っている。いや、捧げているのは時間だけではない。いうならば、身も心も同様に赤司へと捧げているといっても過言ではない。
 たとえ、紫原と赤司が出会ったときよりずっと、赤司が勝利に執着した性格になったとしても。紫原を含む『キセキ世代』に対しての呼び名が変わったとしても。赤司の一人称が変化しても。『キセキの世代』の全員が別々の高校へと進学したとしても。赤司の左目が赤色ではなくなったとしても。他人が赤司は昔と変わったと言っても。赤司が紫原を敵だと判断していても。何も変わらない。紫原のすべては赤司のものであり、紫原の決定権はすべて赤司にあるのだ。
 その事実を赤司は理解していると、紫原は赤司本人に言われたわけでもないのに信じていた。だから、プレゼントとしてそれを挙げられたことが信じられなかった。少しだけ裏切られた気分になったのだ。
 しかし、結局紫原はそのときに反論すら言えなかった。赤司の肯定をすることしか許さない瞳に、口を閉ざして頷くことしかできなかった。たとえ、2人の関係が部活仲間から恋人へと変化していたとしても、主従関係は変わらない。赤司の言うことは絶対であり、紫原は一切の反論をしないのだ。
 そして今、紫原は赤司に今日一日の紫原の時間を捧げた証として、電車に揺られている。
 「おやおや、珍しい。こんな時間に若い方が乗っているなんてねぇ」
 いきなりの声に、紫原は肩を跳ね上げた。自分たち以外この車両は誰も乗っていないと思っていたのに、第三者の声が聞こえたからだ。紫原はその声の方へと顔を向ける。
 そこには頭巾をかぶり、杖をついている老婆の姿があった。それは童話に出てくる悪い魔女が姿を現したようで、紫原は目を開く。紫原はもういちど、ホームを見る。人っ子一人いないホームは静かで、どことなく不気味な感じが漂っていた。
 さきほどこの場所から駅をみたとき、たしかに誰もいなかった。無人駅だった。しかし、老婆は今ドアから電車に乗り込んでおり、紫原と赤司がいるボックス席へと近づいてきている。
 <扉が閉まります。ご注意ください>
 まるで逃がさないとでもいうように、タイミングよく扉は閉まる。老婆は杖をカツカツと音をたてさせながら、こちらに近づいてきた。紫原の認識はすでに老婆は魔女となっており、今から自分たちはこの魔女に殺されるんじゃないかと考えてしまう。普段の紫原なら、魔女なんてありえないと一蹴していただろう。しかし、この特殊な状況にそう思わずはいられなかった。人気がない電車。無人駅。そして、知らぬ間に乗り込んできた老婆。まるで、ホラー映画に入り込んでしまったような気分になり、紫原の心に恐怖がじわじわとこみ上げる。
 「あ、赤ちん…!」
 恐怖に耐えられず、紫原が赤司の名前を呼ぶ。赤司は乗車してきた老婆に気づいていないのか、いまだに窓の外を見ていた。赤司が気づけば、このホラー映画のような状況を解決してくれるかもしれないと紫原は思った。
 紫原の声に、乗車してきたころから動かなかった赤司の視線が動く。瞳、顔、手、体と赤司は少しずつ意識を紫原に向けているように動かしていった。そのときに見えた、見たことがない透明な瞳に紫原はさきほどまで心の中を支配していた恐怖が消えた。そのかわりに、喩えようがないほどの不安が紫原の心臓を刺した。
 「あかちん…?」
 もう一度赤司の名前を呼ぶと、赤司の瞳からその色は消えた。そして、いつもの強気な瞳で紫原を見て、ゆっくりと視線を歩いてきた老婆へと向かわせた。紫原も続くように、また老婆へと視線を向ける。頭巾をかぶっていて、紫原からも赤司からも老婆の顔は見えない。ただカツンッカツンッと杖をつく音がなる。
 「この列車はよく“自分探しの旅”なんかに使われることが多くてねぇ。あなたたちもかい?」
 老婆は紫原と赤司にそう問いかけながら、2人の座っているボックス席の隣にあるボックス席に座る。そして、ゆっくりと赤司と紫原を見た。そのときにフードの中の顔も露になる。しわが多く刻まれ、鼻は少しだけ高い。鉤鼻ではないが、世間一般の日本人の鼻に比べれば高い。紫原はよりいっそうこの老婆は魔女なのではないかと疑いを深めていく。そして、フードから見えるその目は猫のような目で、赤司の目に似ていた。
 「…いいえ。」
 「じゃあ、旅行でもしにきたのかい?」
 「まさか。ただ、海に行きたいと思っただけです」
 赤司の言葉に紫原はようやく赤司の行きたい場所がわかった。けれど、それと同時に疑問も思い浮かぶ。海ならば、もっと近場にある。現に夏の合宿では、海に近い宿と体育館を借り、砂浜でトレーニングをしたぐらいだ。ただ海に行きたいのなら、鈍行列車に乗って、数時間も揺られることなんてしなくていい。
 それに今の季節は冬だ。泳ぐこともできない海に何の用があるのか。そもそも、誕生日に海に行きたいなど何を考えているのだろうか。紫原は赤司の頭の中を見ることができない。もし、見ることができたとしても、理解することはできない。
 「海にいって何をするんだい?」
 「捨てるんです」
 何を、とは言わなかった。けれど、老婆にはわかったようだ。老婆はそのネコのような目を紫原に向け、
 「それはつらい旅だねぇ」
 と、老婆は哀れみをこもった目で、しかし口元は笑いながら言った。
 「つらくは、ないです。先に進むのには大切なことですから」
 紫原の舌が次第に乾いていく。やはり、この老婆は魔女だったのだ。そして今、難解な赤司の頭の中を見たのだ。だから、赤司の言葉の意味を受け取り、紫原を見ているのだ。
 魔女は紫原から視線をはずし、また赤司と静かにぽつりぽつりと言葉を落とすように話している。しかし、今の紫原からすると、法廷の中、赤司と老婆が結果の見えている裁判を話し合っているようにしか見えない。魔女として裁かれるのは自分だったのだ。




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