赤ちんは俺にとって神様だ。
そうじゃなかったら、天使様。
どっちでもないといわれても、赤ちんは俺を幸せに導いてくれるために、ここに下りてきてくれた空の上の人だ。
だからね、赤ちんに逆らったりしたら、罰が当たるよ。
体育館の中の喧騒も好きだけど、静かな空間の方が好きだ。読書を没頭することができるし、外の世界を気にすることなんてまるでないからだ。だから、僕はこの中庭がひどく気に入っていた。
放課後はどうなのかわからないが、昼休みはここに近づく人は少ない。日差しがよく当たり、影が少ないここは外でお昼を食べようとする者には不評だからだ。体を動かして遊ぶものは、ここよりグラウンドが広いとわかっているうえに、ここは木が中央に一本立っていて、動き回るにはどこか邪魔なのだ。だから、この中庭は自然と昼休みになっても集まってくる人が少なくなり、僕はここを見つけた。
中庭を見つけるまでは図書室に行っていた。しかし、普段は静かな図書室でも昼休みになったら、人が多くなり少し騒がしくなる。だからといって、教室にいても、教室は当たり前のように騒がしい。学校の休み時間は騒がしいものだとわかっているが、やはり静かで落ち着けるような空間を求めていた。
ここは中庭だから廊下の窓から学生の声が聞こえるが、それは遠いもので気にするに値しない。僕はいつものように自分のブレザーを脱ぎ、きれいにたたんだ後、芝生の上に置く。枕代わりにするためだ。そして、窮屈なネクタイを少しゆるめ、ゆっくりと寝転がった。青葉が風で揺れて、その間から青い空がちらちらと見えた。
いつ来ても、ここは静かだな…
このまま眠ってしまうのも気持ちいいと思うが、今日は読書をするつもりで来たのだ。僕は持ってきた文庫本を開き、自分の世界に入り込んでいった。
何分ぐらい本に没頭していたかわからないが、静かな世界に突如声が割り込んできた。
「赤ちん、みーっけ」
よく知っている声と自分を呼ぶ言葉に本の活字から視線をはずし、その声の方へと視線を向ける。この学校で自分をそう呼ぶのは一人しかいない。予想通り、スナック菓子を腕に抱えながら、次から次へとその菓子を口の中に放り込んでいる敦の姿があった。
「探したよー」
敦はそういいながら僕の方へと近づいてき、僕の隣に座る。そして、へらりっと笑いながら僕を見た。
「どうした?何か用か?」
探したというのだから、何か用があるのだろうか?敦が僕に用なんて珍しい。
読んでいた本を胸の上に置き、敦を見上げる。敦は指についた菓子のカスをぺろぺろと舐めていて、急ぎの用ではなさそうだなと思った。
「ん?用なんかないよー」
当たり前のように答える敦に少しばかり目を開く。
「…じゃあ、なんで探していたんだ?」
「んー…赤ちんに会いたいと思ったから?」
敦は首を少し傾げながら答える。いや、疑問形で答えられても、僕が困る。
僕は誰かに会いたいと突発的に思ったことがないから、敦の行動の意味がわからない。誰かに会いたいと思うのは、その人物に何かしらの用があるからだ。しかし、用がなくその人に会いたいと思うのは、普通に考えればおかしい。
まぁ、敦は犬みたいな子だから、ご主人様がそばにいないと不安なのだろう。僕はそう思い、胸の上に置かれた本へと視線を運ぶ。
用がないのなら、本の続きでも読もうか。
敦と僕はあまり話すほうではない。いや、そもそも涼太と大輝以外はそうそうしゃべるメンバーではないのだ。あの2人が勝手にしゃべり、それについてツッコミを入れるのが真太郎だったり、テツヤだったり…それでいつもあのメンバーといると騒がしくなるのだ。だから、涼太や大輝以外のメンバーと一緒にいるときは大抵静かな場面が多い。その空間をほかのメンバーはどう思っているのかは知らないが、僕はその空間でも苦にはならないし、むしろ心地がいい。べつに涼太たちの作る騒がしい空間は嫌いではないが…むしろ好きだけど、やはり静かな方が落ち着くし好きだ。
「僕にそれといった用がないのなら、読書続けるけど、いい?」
「うん、いいよー」
なら、最初から無視をしとけばよかった。僕はふぅっと一つ息を吐くと、本を持ち上げ、続きを読もうとぺらぺらとさきほどまで読んでいたページまで捲る。
そのページまでたどり着き、再び読んでいこうとすると、いきなり胸に押しつぶされるような衝撃がきた。思わず、うっと息が詰まる。
苦しい…!殺す気か!
僕はのしかかってきたその元凶をみるために、体勢はそのままで視線だけ下に投げる。すると、見慣れた紫色の頭。まぁ、視界にうつるものなんて予想はしていたが…
「敦…何をしているんだい?」
僕の声にもぞもぞと頭を動かして、敦は僕を見上げるように顔をこちらに向けてきた。目があうと、敦は嬉しそうに笑った。
「寝転がっている赤ちんが気持ちよさそうだったから、マネしただけー」
無邪気な敦の声に、胸にあった不快感が半減する。確かにここで寝転がるのは気持ちいい。しかし、だからって僕の胸を枕代わりにする必要はない。
「まねしたいからといって、なんで僕の胸に頭をのせる?」
「だめ?」
少々睨みをきかせながらいうと、しゅんと悲しそうな眼を見せた。本当に大型犬みたいだ。
どうやら、さきほどから会いたいと思ったから探しに来たり、このように胸に頭を乗せたりとするのは、甘えたいらしい。べつに甘えられるのは嫌いではない。僕は敦の頭に手を乗せ、ぐりぐりと髪をかき混ぜてやる。なんだかんだ、僕は敦に甘いんだと思う。
「……読書の邪魔をしなかったらいいさ」
「わーい」
敦が無邪気に喜ぶ顔を見せると、僕は片手を敦の頭の上に置きながら、本へとまた視線を戻した。すると、敦の頭は僕の胸の上で何かを確かめるように動く。一番しっくりくる寝方でも探しているのだろう。頭の片隅でそう考えていると、敦の頭は僕の左胸でぴたりと止まった。
敦はそこが一番良いらしく、動く様子がない。けれど、やはり心臓の上にのられると少し息苦しい。その息苦しさを多少でも和らげるために、少しだけ吐く息を多くした。
「しんぞーの音がする……」
いきなり敦は驚きを交えながらいった。
それは驚くところか…?左胸に耳をあてているんだから、心臓の音がするのは当たり前だろう。
僕はいささか敦の言葉に疑問を持ちながらも、本から視線を外さなかった。
「…当たり前だ。生きているからな」
「そっかー…」
その声は初めて知りましたというような声だった。僕が生きていない者にでも思われていたのだろうか。僕は普通の人間より特異な存在であると自覚はしているが、生きていないと他者から思われたことも自身が思ったことも一度もない。
むしろ、生きていないように見られるのは、常人より影が薄いテツヤの方の気がするが…
「お前は僕のことを何だと思っているんだ?」
それはごく普通に流れ着いた質問だった。きっと、敦の中では僕は人間ではないのだろう。他人からそう思われていると気づいたのは初めてだから、少し興味を持った。視線は活字に向いているが、すでにこの本には興味がなくなっている。
「んー…なんだろう…?」
…なんだ、答えはないのか。
答えてくれるものとばかり思っていたものだから、少しがっかりした。敦の言葉はたまに自分では考え付かない不思議なことを言うから面白いし、興味深い。だから、少し楽しみにしていたが、無駄なようだった。まぁ、だからってどうこうするつもりはないけれど。
もう考えなくてもいいよという意味を込めて、僕は少し敦の頭を撫でた。そして、ついでに正解を教えてあげた。
「僕は人間だよ、敦と同じで」
「そっか…俺と同じかー」
そういうと、敦は黙ってしまった。会話は終わりだろう。興味がなくなった本だが、敦は僕の胸から離れる気はないようなので、僕は読書を再開した。
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