褒めると


 無表情が多いくせに、その時だけ照れくさそうに笑う顔が好きだった。嬉しそうに笑って、もっと褒めてもらえるように努力を重ねる姿が好きだった。ぶっきらぼうに振る舞うけれど、小さくガッツポーズをしている姿が好きだった。眼鏡を押し上げて当然だという態度だが、微かに上がっている口角を見るのが好きだった。へにゃりと笑って、僕を抱き締める腕が好きだった。

 いつからだろう…?
 褒めなくなったのは…それが当たり前だと思ったのは…


 いつからだ?
 テツヤが笑わなくなっていったのは。涼太が努力をしなくなっていったのは。大輝が喜ぶという表情をなくしていったのは。真太郎が上がる口角の意味を変えていったのは。敦が僕に触れなくなっていったのは。



 「さようならですね、赤司くん」
 

 「テツヤ…」




 崩壊は簡単で、あまりにも呆気なかった。















 「……うっ…」
 肌がベタつく不快感を覚え、目を開ける。ゆったりとした動作で頭を上げていき、視線だけを下にさげると、さきほどまで読んでいた本が自分の腕の下敷きになっていた。
 練習中の楽器の不協和音。ボールを打つ金属の音。カビた本の匂い。それらの情報ですぐに今までの自分の状況を思い出す。
 放課後、一人で図書室にきて本を読んでいる間に眠ってしまったらしい。この季節は受験の追い込みで、自分込みの3年は必死に勉学を励む時期である。しかし、今まで学年一位から転落したことがない自分にとっては勉強なんて寝る前に少し復習するぐらいでいい。生まれてこのかた、記憶力には困ったことがなく、ノートを見ればその時に行われた授業の内容を思い出すことができるし、一度解いた問題集なら問題を見ただけで答えを簡単に導きだせる。まぁ、いくら勉強したというところで、スポーツ推薦をもらっている自分にとっては勉強などしなくてもいいのだが…

 ふぅと息をこぼし、読みかけの本をゆっくりと閉じる。続きを読む気にはなれなかった。夢のせいだろうとすぐに理由は思い付く。今だって、冬という季節なのに自分の身体は汗でじっとりと濡れている。それを気持ち悪いとか早くタオルで拭おうとは、なぜか思わなかった。


 ここにはテツヤとの想い出が多すぎる…


 記憶力は勉学面ではもちろん、日常でもその力を発揮した。たくさん敷き詰めた引き出しを開けると、脳裏には数々のテツヤとの思い出が次々と流れる。
 読書好きのテツヤと僕は昼休みに図書館で会うことが多かった。隣同士で本を読んだことはもちろんのこと、たまに勉強を教えたこともあった。テツヤが気に入った本を貸してもらったこともあるし、僕自身もテツヤに気に入った本を貸すことがあった。何もかも陰ることがない、きらめいた思い出だ。


 いや、この学校のどこもかしこもそんな思い出ばかりだ。


 廊下では女子に囲まれた涼太が女子から抜け出す口実として僕に話しかけてきた。それにムカついて無視をしたら、「無視はひどいっスー!」といってくっついてきた。教室では真太郎と勉強会を開いたこともあった。わからない問題を僕に教わりながらも、「いつかは俺がお前に教えてやる立場になってやるのだよ」と眼鏡を光らせながらいった。食欲旺盛の大輝とはよく食堂や購買でみかけ、食べる量の多さに呆れたりした。でも、「テツほどじゃないけど、お前も食べなさ過ぎなんだよ」といって、なぜか僕のほうが呆れられた。中庭は僕と敦のプライベート空間のようになっていて、2人でまったりと静かに過ごしたものだ。たまに「俺、赤ちんの隣が一番いい」といって甘えてきたりもした。


 「まったく女々しいな…僕は」


 彼らとの思い出を思い出していると、つい言葉が零れた。昔を思い出し、感傷に浸るなんて、女々しいにもほどがある。しかし、いくら一緒にいた過去を羨んでいたとしても、高校を別々にしたのを後悔したことは一度もない。それがあいつらのためになるからだ。自分が感じている寂しさなんて、これから先のあいつらの活躍を思ったら、なんてことはない。
 そこまで考えて、頭を横に振った。無駄なことしか考えてないような気がしたからだ。


 ……帰ろう。いくらここにいても、以前のようにテツヤは現れることはないし、そもそも本を読むためにここに来たのだ。本を読まないのならば、ここに用などない。


 「……あれ?」


 椅子を引き、立ち上がろうとした瞬間、隣にカバンが置いていることに気づく。自分が寝ている間に誰かが来たらしい。誰のだ、と疑問に思うと同時に、答えを見つけた。チャックの隙間や机にスナック菓子のカスがあった。図書室は飲食禁止と言われているが、自分が思い浮かべている人物はそれを守ったことがない。
 どうやら、自分が寝ている間にやってきて、お菓子でも食べながら待っていたらしい。しかし、カバンだけ置いてどこかに行ったということはトイレにでも行っているのだろうか。
 まぁ、さきほどまで読んでいた本を本棚になおしたときぐらいには帰って来ているだろう。そう思い、すっかりと用がなくなった本を持ち、多く並んでいる本棚に向かって歩く。
歩きながら気づいたが、どうやら自分以外はもうこの図書室に人がいないようだ。
この図書室は教室からは遠く、利用している人数が少ない。それに加え学校から10分ほど歩くと、市民図書館があるため、近年ではますます利用者が減っている。授業のサボり場所としては最適だと誰かが言っていたような気はするが…


 もとあった場所に本を戻すと、ふと、誰かに見られている気がした。気配は薄いのに、けれど確かに感じる視線だった。昔によく似た感覚だ。何かを伝えたいとき、彼はいつもそうやって僕を見ていた。声をかければ簡単なのに、気づいてくれるのを待っているようなその視線は嫌いじゃなかった。


 「テツ…」






 振り返りながら紡いでいた声は途中で途切れた。予想が外れた。振り返っても誰もいなかった。しんっとする空間で、自分が自然と笑いながら振り返っていたことに気づいた。

 テツヤが近くにいると思ってしまうなんて、僕はまだ夢の続きを見ているのだろうか。それとも、さきほどといい、自分はどうにかなってしまったのだろうか。
 繰り返されるバカな行為に頭が痛くなりそうだ。久しぶりに図書室に来たせいだと再度思い込んだ。ここはテツヤとの思い出が染み付きすぎている。少々情けない話だが、残った気配に敏感になっているだけだ。


 席に戻ると、カバンを置いていった主はまだ帰っていなかった。トイレではなく、もしかしたら先生に呼ばれて職員室にいったかもしれない。けれど、だからといってこのまま待っている気分にはなれなかった。このまま敦を待って図書室にいたら、また自分がバカな真似をしそうになる。そう思い、敦と自分のカバンを掴んで、早歩きで図書室から出ていた。





けれど、すぐに後悔をした。もしかしたら、感傷に浸っていたほうがマシだったかもしれない。




 「……」




 敦、と口は動いたはずだった。




 それは何かのワンシーンのようだ。男女が抱き合っている。身長差から見ると、まるで親子のように見えるかもしれないが、紛れもないそれは恋情を併せ持った抱擁だった。
 脳裏でさきほどの映像が流れた。






 『さようならですね、赤司くん』





 テツヤは僕から離れるときにそういった。悲しそうに…でも、どこか嬉しそうに…





 お前も離れるのか?僕から…僕の手から…











 そんなことは絶対に許さない。













 「何をしているんだい?」




 僕の声に女の肩がビクリッと動いた。そして、真っ赤に染まった顔を僕に向ける。あぁ、見たことある顔だ。そう思ったと同時に、答えはすぐにおりてきた。
 そうだ、敦のクラスで見た。敦と同じクラスメイトの女だ。
 敦の手が女の肩に触れ、ゆっくりと2人は距離をあけていく。僕にはこの頃触れないくせに、なんでこの女には触れるのかと怒りが込みあがる。けれど、敦の顔はなぜか見ることができなかった。


 「あ、えっと…」


 「いきなり声をかけて悪かったね。でも、僕は敦に用があるから、君はさっさと立ち去ってくれないかな?」


 怒りを抑えたおだやかな声で言った。ここで独占欲丸出しに怒るなんて子供みたいだからだ。しかし、女は去ろうとはせず、何かを弁解しようとしているのか、口をもごもごとさせている。それが余計にイライラした。敦は僕のものなのに、今はまるで女のもののように、敦の隣を明け渡したくないかのように見えた。




 「僕が去れっていってるんだ。はやく消えろ」



 もう、おだやかさを出す必要はなかった。冷たく威圧感をある声を出せば、女は泣きそうな顔をし、僕の横を通り抜けて走って行った。僕はそんな女のことなどお構いなしに敦を見る。僕はイライラしているのに、当の敦はいつもと変わらず、へらりとした表情で僕を見ていた。


 「おきたのー?赤ちん」

 「今の女は誰だ?」


 大股で近づいていき、へらりと笑うその顔を睨みあげる。しかし、敦はとくにその睨みを気にしていない様子だった。というより、さきほどの出来事に何の疑問も持っていないらしい。


 「んー、俺と同じクラスの子ー。さっき好きだって言われたのー」


 どうやら、僕を待っている間にあの女がきて、そのまま廊下で告白されたらしい。放課後になって結構な時間が経っているため、人通りも少ないここでしたのだろう。いくら僕でも、女がどんなふうに告白して、敦がどんな返事をしたのかは全く予想はつけられないが、2人が抱き合っていたということは、女の告白を承諾したのだろうか。


 「付き合うのか?」

 「べつにー」


 その返答に少なからず安堵した。敦の心はまだあの女に奪われたわけではないらしい。しかし、それではあの抱擁の意味がよくわからない。付き合ってもいないのに、どうして抱き合う必要があるのだろうか。


 「じゃあ、なんで抱き合っていた?」

 「最後に抱きしめてほしいっていわれたからかなー?」


 図々しい女だ。僕のものに触れるなんて。しかし、それを聞く敦も敦だ。ほんの少しまたイラついて、目の前にある敦のネクタイを引っ張り、僕と顔を近づけさせる。敦はほんの少し驚いた顔をみせたが、すぐに嬉しそうに笑った。


 「敦は誰の言うことにも聞く子になったの?」

 「俺は赤ちんの言うことしか聞かないよー?」

 「じゃあ、なんであの女の言うことは聞いた?お前は僕の言うことさえ聞いてればいい。他のやつのいうことなんか聞くな」




 「じゃあ、命令してよ。俺がまた悪いことしないようにー」




 その言葉に少し面食らう。敦は他のやつらと違い、命令に逆らうことは絶対にないが、自分から命令しろなんて誰が言うだろうか。けれど、敦のその言葉に心が軽くなっている自分がいる。敦はまだ自分が支配しているという安心感がある。
 ネクタイをまた少し引っ張る。その力で敦はさきほどまでは腰をかがめていたが、ぺたんと廊下に座り込む。そのまま見上げてくる敦に僕は膝立ちになり、敦と距離を縮める。敦を見下げることなんて滅多にない。だから、少し新鮮な感じがした。





 「僕から離れるな。ずっと傍にいろ。僕だけを見ていればいい。」




 ゆっくりとそう唱えるが、僕を見つめたまま敦は頷かない。まだ命令を待っているような犬の目でじっと僕を見上げてくる。



 「……それだけ?」


 そういって、すっと敦の目が細くなる。さきほどの寝汗が冷えてしまったのだろうか。ゾクリッと背中に冷たい物が走ったような感覚がした。敦の目はまるで僕の心の内を読んでいるかのようだ。女に触れていた敦にイライラしていた僕を見られているようだった。それを正直に言わないといけないような気がした。










 「……以前のように…僕だけに触れろ」









 震える声が出ないように、しっかりと言葉を紡ぐ。すると、敦は満足そうに笑って、自身の頬を僕の頬に擦り付けてきた。敦の長い髪が鼻や唇にかすり、少しくすぐったい。

 「うん、わかったー」

 耳元で囁かれる低い声に肩が揺れる。そして、敦の腕が僕の腰に回り、ぐっとさらに近くに引き寄せられた。
 なんだろう、これ……捕食したはずなのに、捕食されている気分だ。けれど、久しぶりに敦が触れてきているので、悪い気分にはならなかった。
 敦は頬をすりつけていたが、そのまま首筋に移動していく。さらさらと髪の毛が首筋や鎖骨をくすぐる。



 「ふっ……ん…」



 くすぐったくて、息が漏れる。敦の熱い息が僕の鎖骨にあたる。


 「ん……敦…?」


 何かが以前と違う。久しぶりのせいか…前はもっと安心感があったのに、今はどこか怖い。そう思いながら、敦のほうに視線を向けると、敦は僕の肩をのせて、じっと僕を見上げてきた。




 「赤ちん、今から俺の家に行こう?」



 「は?」


 いきなりの提案に思わず間抜けな声がでてきてしまった。敦の家にはテツヤたちと数回ほど行ったことがある。両親が共働きで夜遅くまで家にいないから、好き勝手し放題だよーと言って、夜遅くまでみんなでゲーム大会をした思い出があった。

 だが、何故今なんだ?

 僕が首をかしげると、敦はへらりと笑った。


 「どれだけご主人様のことを思っている忠犬か教えてあげるー」


 そういいながら、僕にまたすりついてくる敦に僕は首を縦にふった。断る理由がないからだが、なぜか断ったらいけないような空気がそこにはあった。













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