「じゃあ、それを本人にどうぞ」
「え?」
いきなりの言葉に間抜けな声が漏れる。すると、テツヤはおもむろに携帯画面を見せてきた。そこには、通話中と書かれている。本人とは、きっと敦のことだ。だとすると、この通話相手は…。そこまで、考えると、自分の顔から血が引いていくのがわかった。
「おまえ…!テツヤ!いつのまに!!」
僕が慌ててその携帯をとろうとするが、その前にテツヤはそれを上へと上げる。スカッという音が聞こえそうなほど、僕の手が空を掴む。
「赤司くんが来る前からずっとです」
テツヤは笑みを浮かべた。やられた。相談を受けた時点で、きっとテツヤは敦の味方だったのだ。テツヤは僕の性格をよくわかっている。このあと、いかにしてこのことを敦に伝えないか考えていたのに、それを読んだ上で、こんな行動をうつしてきたのだ。本当に厄介なやつだ。
「切れ!!!」
僕の大声に、周りがざわざわとしだす。静かな空間が一瞬にして崩れ去った。周りの視線を気にせず、僕はただテツヤの携帯をとろうと奮闘する。全て聞かれてしまった。僕の気持ちも言葉も。
「いやです。君は話し合うべきだ。紫原くんと」
「話すことなんてないと言っているだろう!切れ、テツヤ!!」
前に乗り出したせいで、メロンソーダが入っていたグラスが倒れた。テツヤがそれに気を取られている間に、僕は携帯を掴む。グラスを倒して、机は水浸し。大声を出して、周りから注目を浴びまくり。今までの僕だったら、あるまじき失態の数々だ。僕の傍に誰かが近づいてきた。きっと店員だろう。しかし、騒がせてしまったことを詫びるより先に、通信を切るほうが今の僕には大切なことだった。
「切っていいよ。赤ちん」
いきなり聞こえてきた声。店員の声ではない。今までの話の中心人物の声。もちろん、携帯からではない。肉声だ。僕はゆっくりと顔を横に向ける。嘘であってくれと願いながら。
「やっほー、赤ちん。来ちゃった」
片耳だけイヤホンをさした敦がそういいながら手を振ってきた。もちろん、手を振りかえす余裕なんて僕にはない。
「そ…んな…あつし…?」
信じられなくて声が震える。だって、敦は秋田にいるはずだ。練習が休みだとしても、そう簡単に来れる距離ではない。驚いて、身体が固まっている僕に、敦は携帯を握っているほうの腕をつかむ。そして、僕の手から携帯をとると、投げるようにしてテツヤに渡す。
「じゃあ、ちょっと行ってくるね、黒ちん」
ぐいっと腕を引っ張られ、強制的に敦の隣に立たされる。僕が呆然と敦を見ている間に、敦は喫茶店から出ようと早足で歩き出す。引っ張られることで、意識を取り戻した僕は慌てて足に力を込めて、ここに留まろうとするが、力の差は歴然だった。
「おい、離せ!敦!!テツヤ!!」
「はいはい、うるさいよー、赤ちん」
「いってらっしゃい、赤司くん」
ずるずると引っ張られていく僕が大声で2人を呼ぶが、敦は軽く一蹴し、テツヤは悠長に手を振っている。くそ、最初から仕組まれていたのか。と悔しがるが、もうあとの祭りである。
店に出る前に、周りを見ると、呆然としている店員と客。あぁ、せっかくいい喫茶店を見つけたのに、これからいけそうにない。
ぐいぐいと引っ張られて、連れてこられた場所は人気が全くない路地裏。近くで猫がにゃあと鳴いた。昼だというのに妙に薄暗いそこは、きっと一般人なら誰も来ないだろう。言ってしまえば、絶好のカツアゲ場所である。まぁ、べつに今からカツアゲされるというわけではないが。
「赤ちん」
現実逃避をしていた僕に敦が声をかける。少し怒っているような、悲しそうな声だ。あぁ、この声苦手だな。敦の顔を見たくなる。さきほどのこと全てを聞かれていると思うと、全く顔があげられない状態だけど。
「……なんだ」
「何で、あんなメール送ったの?」
「それはテツヤからの電話で聞いたと思うが?」
声が震える。なんであんな簡単に僕は言ってしまったのだろう。こんなことなら、最後まで言わなければよかった。はぐらかしておけばよかった。テツヤが一筋縄でいかないなんて、前から知っていたことなのに。
「赤ちんの口から聞きたい」
両手で頬を挟まれ、上へ、敦の顔の方へと向けられる。強い力でされたわけではないが、そこには確実な強制力があった。僕の視界に敦の顔がうつる。敦の瞳がよく見える。捨てられる前の子犬のような目をしていると思えば、そうではなかった。芯の強い瞳が僕を見ていた。こんな敦をあまり見たことがなくて、つい心臓がドキリッと跳ねた。
「…今のお前に、もう僕は必要ないと思ったからだ」
跳ねた心臓がバレないように、平静を装いながら真っ直ぐ敦を見つめかえす。テツヤと僕の会話を聞かれたので、嘘をつくことができない。なんて、滑稽なんだろう。
「なんで、そう思ったの?」
「それが、お前のためだからだ」
「違うよね?」
敦の目が細くなる。まるで、捕食されている気分だ。いや、今の自分は本当に捕食される前の動物のようなものだ。こちらはすでに全てを、弱みというものを曝け出しているのだから。
「俺が好きだから、だよね?」
敦がゆっくりと言い聞かせるように聞いてくる。こいつの思惑がわからない。僕に何をしたいというのだ。一度聞いた言葉をもう一度言わせるなんて、どんな拷問だ。
「答えて」
「……ああ、好きだから、お前に幸せになってほしいと思った」
嘘じゃない。本心だ。言うつもりは全くなかったが、これが僕の本心だ。すると、敦は少しだけ悲しそうな顔をする。どうして、そんな顔をする。どちらかというと笑顔を見せてほしい。僕は敦の笑顔が好きだ。
「室ちんとは本当にそんな関係じゃないよ」
ただのチームメイトだとでも言いたいのだろうか。敦の表情から嘘ではないのだろう。でも、僕の考えは変わらない。
「今はそうじゃなくても、いずれはそうなるよ」
「何で、そう思うの?」
どうして、僕はこんなことを言っているんだろう。好きなやつに向かって、違うやつと恋人になると言っている。僕のいうことは絶対だが、それは僕の描きたい未来と反している。本当におかしな話だ。
「ねぇ、答えてよ」
「お前たち2人を見て、そう思ったから」
敦と彼の安らいだ笑顔を見たから。その笑顔を見て、この2人はきっと遠い未来もそんな笑顔を交し合っているような気がしたのだ。それと同時に、僕と一緒にいたら、そんな敦の笑顔が見ることができないような気がしたのだ。
「いつもの、予想?」
「ああ」
「赤ちんの予想外れないもんね」
敦が悲しく笑った。中学のとき、ずっとそばにいいた敦ならわかっているのだろう。僕が予想したものは大体あたる。だから、きっと敦と彼が一緒にいたほうが幸せになれるというのも当たるだろう。
「ああ、だから…」
「それでも赤ちんとずっと傍にいたい」
もう、僕のことは気にしないでくれと言いたかった。けれど、敦は言わせないというふうに言葉を重ねる。
「俺、すっげー悩んだんだよ。何で、赤ちんがあんなこと言ったのかなって。何で、連絡とれなくなったのかなって。俺のこと嫌いになっちゃったのかなって。室ちんにもいっぱい話を聞いてもらって、一緒に悩んだ。室ちんは優しいし、赤ちんと同じくらいいろんなこと知っているし、頼りになるよ。一緒にいてて楽しいよ。室ちんの暑苦しい性格で、バスケの見方がちょっとだけ変わった。これは本当」
「じゃあ…」
敦もわかっているじゃないか。ちゃんと。彼と一緒にいたほうがいいって。そのほうがいい方向へと進めるって。けれど、敦は首を横に振る。僕の思ったことを全て否定するように。
「それでも、俺は赤ちんと一緒にいたいって思ったんだ。赤ちんが中学時代全然好きだって返してくれなくても。俺がいつか室ちんと一緒にいといた方が良かったって後悔しても。それでも、俺は今室ちんより赤ちんと一緒にいたい。好きだって言い続けたい。憧憬なんかじゃない。捨てられるから言うんじゃない。赤ちんが大好きだから」
「あつし…」
声がかすれる。目の前がぼやける。敦はこれから先の幸せより僕をとりたいと言うのだろうか。なんてやつだ。そんなの許されない。許してはならない。
「大好き、赤ちん。十分なんて言うなよ。俺、もっといっぱい赤ちんに言いたい。もっともっと大好きだって言いたい。傍にいたい」
「あつし、でも…」
僕は本当に幸せなんだよ。お前が幸せになってくれたら、本当に僕は幸せなんだ。
「言うことなんかきかない。だって、赤ちんが言ったんだよ。好きに生きろって。だから、好きに生きるよ、俺。赤ちんが嫌がったって、室ちんの方がいいよって何回言われたって、そばにいる。ずっといる」
メールでいった最後の命令がここで使うなんて卑怯だと思った。好きに生きろと願ったのはたしかに僕だ。自分の意思でここに来たという。そばにいたいという。あぁ、そういうのなら僕はもう断れない。命令できない。だって、敦が自分で選んだのだから。
「後悔、してもしらないからな…」
自然と笑みがこぼれるのがわかった。そんな僕を見て、敦が笑う。無邪気に綺麗に。その笑顔、僕はずっと好きだった。
「それでもいい。だって、俺は今赤ちんが大好きなんだから」
敦の両手が頬から離れる。そして、ゆっくりと僕を抱きしめた。優しく、でも強く。その抱擁に僕は全力で返す。離れないように、離さないように。隙間なく抱きしめあっているせいで、呼吸が苦しい。でも、今はすごく心地いい。
「あつし…あつし…!」
「赤ちん、大好き」
そういって、敦が腕の力をゆるめる。僕もつられるまま、力をゆるめる。見上げると、敦の顔が近づいてくるのがわかった。僕は自然と目を閉じる。
「大好き」
それは敦が言ったのか、僕が言ったのか。その言葉は僕たちの口の中へまた戻っていった。
END