部活は終わり、自主練の時間となった。僕はいつものようにシュートの練習をしようと思い、がらがらとボールが入ったカートを引っ張る。その途中で、ゴールの下に壁にもたれかかっている紫原くんの姿が視界に入った。


 「珍しいですね、紫原くんがまだ残っているなんて」


 声をかけると、紫原くんは顔をあげ、僕を見る。お菓子ではなく、ボールを腕に抱えている紫原くんはいつもと雰囲気が違うように見えた。


 「そぉー?」


 しかし、僕の思いすごしかのように、紫原くんはいつもどおりのゆったりとした口調で答えた。僕はそのことに少しばかりほっとする。


 「ええ、いつもならいち早く部室に帰っているじゃないですか」


 僕の頭の中では、今までの彼の姿が思い浮かぶ。紫原くんはどれだけ疲れていても、練習が終わりと聞いたら、すぐに部室へと帰る。赤司くんが命令すれば、参加していた時もあったが、自主的にこの時間にいることなど一回もない。だからか、青峰くんと黄瀬くんのone on oneや緑間くんの3Pシュート練習をしているという風景の中に、紫原くんが混じっているというのは、やはり違和感を感じた。


 「だって、お菓子食べたいもん」


 「はぁ…そうですか…」


 当たり前のように答える紫原くんに少し呆れる。けれど、彼のお菓子好きには呆れを通り越して、尊敬の念を感じることがある。彼は好きになったものにはとことん一途だ。お菓子はもちろん、赤司くんのこともそうだ。彼は決して赤司くんに逆らわない。いや、彼の言葉が紫原くんを動かす意志であり、逆らうことはありえないと思っているのだろう。その思考はどこか宗教的な考えに似ている。


 それにしても、彼はどうしてここにいるのだろうか…


 先程にも紫原くん自身が言っていたが、彼はお菓子を食べたいから、いつもはこの自主練の時間にいないのだ。けれど、今はお菓子も食べずにただここに座っている。

 誰かを待っているのだろうか…
 そう思ったが、すぐにその考えは打ち消した。それならば部室で待っていればいい話だ。そう、彼が大好きなお菓子でも食べながら……しかし、彼はここを立ち去る気はあまりないらしく、ボールをくるくると回しながら遊んでいる。
ここにはいない赤司くんを待っているのかと思ったけれど、赤司くんは今部室だ。桃井さんと一緒に明日の練習試合の相手のデータを分析しているらしい。赤司くんに会うのならば、部室に行かなくてはおかしい。
 ここにいる誰かと話がしたいのかもしれない…そう思い、紫原くんを見たが、なんとなく話しかけられなかった。彼の視線はボールだが、どこか遠いところを見ているような気がした。

 僕は紫原くんからボールが入ったカートへと視線を移した。
 気にしないでおこう…彼がもし話しかけてきたら、答えてやるぐらいがちょうどいいのかもしれない。
 そう思い、さきほどまでいろいろ考えていた雑念を取り払い、ボールを一つ取り出して、ゆっくりとボールをつく。



 ダムッ…ダムッ…



 その音が体育館に響いている他の雑音と混じる。ボールが跳ねる音、床とバッシュが擦れあった音、ボールがゴールの網を通り抜ける音…僕はこの音たちが好きだ。そう思いながら、ついていたボールを持ち、ゴールへと投げる。


 ガンッ





 まぁ、リングにはかなり嫌われていますが…



 リングにより跳ね返されたボールは跳ねた音を出しながら、転がっていく。僕はそれを無視して、また新しいボールをカートから取り出す。


 ダムッ…ダムッ…


 また少しのドリブルをして、ゴールを見据える。すると、紫原くんの顔がこちらに向いた気がした。


 「ねぇ、黒ちん」


 「なんですか?」


 僕は彼の呼びかけに答えながら、シュートを打つ。


 ガンッ


 やっぱり僕に用があったのか…またしてもゴールに入らなかったボールが転がっていくのを見送りながら、新しいボールを手につかむ。話しながらもシュート練習はできる。集中力はかけてしまうかもしれないが、練習をせず話すのは、時間がもったいない気がした。

















 「赤ちんって人間だったんだねー」







 「へ?」



 あまりにも突拍子のない言葉にボールを落としてしまった。軽い音をたてながら、そのボールは僕から離れていく。僕は慌ててそのボールを捕まえた。



 え?彼は何と言った?赤司くんが人間…?



 それは至極当たり前のことだった。まぁ、当たり前だとしても、赤司くんは実は宇宙人だったといわれたら、もしかしたら信じるかもしれないけれど…




 「俺、赤ちんのこと神様だって思ってた」




 今度はボールを落とさなかった。なんとなく紫原くんの言いたいことはわかったからだ。ようするに余りにも彼の存在が人間離れしたような存在だから、神様のように思っていたのだ。
 赤司くんが言うには、彼は人生で一度も負けたことがないらしい。人は何かしら勝負事をしたら、負ける。そこから、何かを得て、成長するのだ。しかし、彼は負けたことがないという。それはまさに神様のような所業だ。



 「…確かに、神様に近いとこはあるかもしれませんけど…人間ですよ、彼は」



 僕らと同じ血が通った人間だ。血は赤いし、よく何かを考えている。僕には絶対わかることはないと思うが、頭が良すぎる人は無駄なことでも考え込んでしまうらしい。そう思うと、赤司くんは外から見ると人間っぽくないけれど、人間くさい人物だといえる。



 「でもね、黒ちん。おれは神様だって思ってたのー」



 そういって、紫原くんはボールの粒々を数えるようにボールに指を這わせる。






 『神様』、ですか…






 僕は後ろで3Pの練習をしている緑間くんをちらりっと見る。緑間くんもおは朝という番組の星占いを、正直引くぐらい信じている。きっと緑間くんにとったら、おは朝の占いこそが『神様』とでも思っているのだろう。



 「そういう話は、緑間くんの方が話は合うと思いますが?」



 僕は神様を信じないので、君の話には同調はできない。そういう意味をこめながら言うが、紫原くんに伝わったかどうかは微妙だ。彼はきょとんとした目で僕を見たからだ。

 後ろでガンッとボールがリングによって弾かれる音が聞こえてきた。
 緑間くんがシュートを外すなんて珍しい。もしかしたら、僕らの会話が聞こえていたのかもしれない。まぁ、真実なので取り繕うことはしないけれど。
 僕はもう一度、手に持っていたボールをつく。



 ダムッ…ダムッ…



 たしかに、赤司くんは『神様』のような人だ。僕にもう一度バスケの光を与えてくれたのは彼で、感謝をしているし、尊敬もしている。けれど、彼は決して『神様』じゃない。
 ついていたボールを手に持ち、ゆっくりと投げる。どれだけ丁寧に投げても、ボールはやはりリングと接触して落ちた。そんな僕のシュートの流れを見ていた紫原くんはまた口を開く。






 「今日ね、赤ちんの胸の上に頭乗っけたとき、ドクドク言ってたんだー」



 何で、そういうシチュエーションになったのかが気になったが、その疑問はどうでもいいようなものの気がしたので無視をしておく。多分、紫原くんが言いたいことは心臓の音が聞こえたということだろう。
 僕はまた新しいボールをつかんだ。


 「まぁ、生きていますからね」


 僕の声とボールをつく音が混じる。けれど、紫原くんには聞こえているだろう。


 「それ、赤ちんも同じこと言ってたー」


 ということは、赤司くんにも同じことを言ったらしい。多分、僕よりずっと意味が分からなかっただろう。
 ついていたボールをシュートする。……リングに当たりもしなかった。


 「紫原くんは赤司くんの心臓が動いてないとでも思ってたのですか?」


 そう聞くと、紫原くんは首を振った。まぁ、普通に考えたら、もし心臓が動いていない場合、赤司くんは死んでいる人っていうことになる。
 よく彼が赤司くんにくっついているのは見る。だから、赤司くんの体温を一番間近で感じているのは多分紫原くんだ。その彼が赤司くんは死んでいると思うのは、おかしいことだ。














 「ないと思ってた」













 筋肉が強張るのがよくわかった。彼は僕が考えていたことよりずっとおかしなことを言いだしたのだ。新しいボールをつかもうとした手は不恰好に止まったままだ。


 「赤ちんは神様とか天使様みたいな人だから、そんなもの必要ないと思ってた」






 彼は何を言っている?

 僕にとって『神様のような人』というのはその人が『人間』であるという前提だ。まるで神様のような才能に満ち溢れているから、崇めているのだと思ったのだ。
 けれど、違う。彼が言っていた意味とはまるで違った。彼の中での赤司くんは本当に『神様』なのだ。『人間』というのは前提ではない。『神様』が『人間』に化けているとでも思っていたのだ。
 心臓が重くなった気がした。汗が流れる。その汗は何の意味を持って流れたのかはわからない。手はいつの間にかボールに触れていたが、ボールに触れているという感触なんてないに等しかった。



 「でも、そうじゃないんだねー…人間なんだ…赤ちんは」



 僕の変化に気づかず、紫原くんは話を続ける。その言葉に少しだけ生命機能は回復した。ボールを持ち上げることができたのだ。まだ足は動かなかったが…
 彼は『心臓が動いている』という事実で、赤司くんが『神様』という認識から解放された。それならばいいではないか。彼の認識の仕方に恐怖を覚えたが、それが間違いだと気付いたのならそれでいい。

 しかし、気づいたのならば、これからの2人の関係は少し変わるのだろうか…赤司くんに対して紫原くんが絶対服従じゃなくなるという可能性を考えたが、僕はそれを上手く思い描けなかった。
 息を吐く。心臓の重たさは対して変わらなかったが、今ならシュート練習を再開することができるような気がした。こんな気持ちで練習を続けても、だめなのかもしれない。けれど、紫原くんの話を集中して聞くよりかは、何かに集中した方がいい気がした。




 「だからさ、黒ちん」




 彼の話はまだ続いていた。それにさきほどのような独り言のような言葉ではなく、僕に対して呟かれた言葉だ。僕はゴールを見ながら、少しだけ視線を下げた。
 紫原くんは笑っていた。僕を見ていた。その眼はどこか薄暗くて、僕は逃げるように視線を逸らした後、ボールを投げた。
















 「神様じゃない人に何をしても罰は当たらないよね?」


















 僕は何も答えなかった。軽い音をたてながら、転がっていくボールを見ていた。







 なんてことをしてくれるんだ…
 そんな言葉を吐くものだから、本当は素直に喜びたいのに、喜ぶ表情が出せなくなってしまった。







 ドクドクと心臓の音が耳に響く。それは主張するように大きく響いていた。































 赤ちんは俺にとって神様だった。
 そうじゃなかったら、天使様だと思ってた。
 どっちでもないといわれても、赤ちんは俺を幸せに導いてくれるために、ここに下りてきてくれた空の上の人だとずっと信じていた。
 だからね、赤ちんに逆らったりしたら、罰が当たるって思ってたんだ。
 でも、罰が当たらないなら…



END
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