04“イヌ”


ずいぶんと小雨になった空を見上げ、屋根のある外付け階段を上る。


「それにしても……大人しいなぁ、おまえ」
 

知らない人間を見ても吠えない。人間の言葉がわかっているような表情をたまに見せる。かしこい犬なのは明確だ。


「ただいま、」
 

鍵を開けてから、誰もいない部屋にそう呼びかける。
いつも通り静かな部屋だが、今日は犬の温もりのおかげで寂しさは感じない。

「ここで待ってろよ、」そう犬に言い聞かせ、びっちょりと濡れてしまった靴と靴下を脱ぐ。その間犬はおとなしく座っていた。


「とにかくシャワー浴びよう、」


犬を抱き抱えて風呂場へと向かった。

犬を置いてやり、俺もシャワーを浴びる準備をする。こちらをじっと見つめる黒目がちな目が気になったが、まあ犬だし、と服を脱ぎ始める。

濡れたTシャツが肌にへばり付いて鬱陶しい。どうにか苦戦しながら脱ぐと、あまりに頼りない白い肌が現れた。

『冬生まれだから。だから肌が白いのよ。餅雪みたいにね』

そう言ってふふっと笑う母さんの姿が脳裏に映し出された。……今思うとなんだその超理論は。


「しゅんっ」


そのとき、犬がくしゃみをした。そして、体をふるふると震わせる。
 

「ああ、ごめん。寒いよな」


俺もさっさと裸になり、浴室へと入った。
 

「熱かったらごめんな」


そう言いつつ犬にシャワーを当てる。すると、気持ち良さそうに鳴いた。
犬というのは水を嫌うイメージがあったが、どうやら違うらしい。


立ち上る湯けむりのなか、俺はあるものを見つけた。
 

「これ……模様?」


犬の茶色の背中に白くて丸い模様があったのだ。左側にある小さなそれは、どことなく奇妙だ。
それをなんとなくなぞってみる。
 

「おまえ、こんなの持ってたのか」


話しかけてふと思う。「おまえ」とか「犬」とか、こういう呼び方はあまり好かないな。

……なまえ、付けてみるか。どうせ明日には動物病院に連れていくのだが、飼い主気分を味わってみるのもいいだろう。


「うーん、……名前、なあ」


そのとき犬がこちらを向いた。急かすような、そんな瞳で見てくる。
 

「あんまり期待するなよ。
……なにか特徴ある名前がいいよな」


シャワーを止めて少し考える。背中の丸い模様。丸……マル、とかだとひねりがねぇよな。
 

「丸、円、マル、円……あ、」


俺は、頭に浮かんだあるひとつの言葉を口に出した。

 
「円(まどか)……とかいいんじゃないか? 俺の名前も環(たまき)で、円って意味だから」


笑いながら言うと、マドカも「ワン!」と吠えて同調した。うん、我ながら可愛い名前を付けたと思う。

マドカも心なしか笑っているようだった。――そのとき。



マドカが、まばゆい光を放ったのだ。


「はっ、?!」


閃光の衝撃で俺は尻もちをついた。その間にもマドカは元の姿を消していく。

仔犬だったマドカの背たけがどんどん人間らしくなっていく。人類の進化を見ているかのような感覚。俺の目の前でおきていることは、いったい――。


放心している俺の前に裸の男があらわれた。背中には気にならない程度の痕があるが、それ以外はまっさらで美しい。
何かをはらうように髪の毛を振り、「んー」と伸びをする、その男。


「なっ、えっ、」


焦ったような声を出した俺を、そいつは目に映した。そして――にこりと笑う。
 

「環、ありがとう」 


美しい声で、美しい表情で、言う。

 
「今日から俺は、環のイヌだよ」




――なっ……なにがおきているんだ?!
 


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