Jack | ナノ


Natalia


イヴァンは、他の女に目もくれず、一心にナターシャだけを愛しました。美しい花嫁が、毎晩のように泣いているので、かわいそうになって、楽にさせるために薬を飲ませてやったり、酒を飲ませてやったりして、たくさん可愛がってやりました。


最初こそ抵抗をしていた女も、今ではすっかりおとなしくなって、あまりのしおらしさにイヴァンを困らせるほどでした。


「ナターシャ、ちゃんと食べないといけないよ」


見るに耐えられぬほど痩せ細った体を抱きながら、男は心配そうに言いました。


「食べられないのなら、その腕に管を通して、栄養をとらせるしかないな」


気遣う夫の言葉に、彼女は力なくうなだれていました。


このころから、彼女は人の言葉を話さなくなりました。ただ加えられる快楽にだけ、だらしないほど叫び、喘いでみせるだけです。どんな冗談にも決して笑うことはありません。それはそれでもかまいませんでした。彼女が人間らしさを失ったからといって、イヴァンの愛はついえたりしないのです。


しかし、このまま何も食べないでいることはできません。イヴァンは下女をして無理矢理にでも愛しい妻に食事をとらせました。


どこから狂っていたのか。
誰にわかったというのでしょう。


「愛してるよ、ナターシャ」


愛を語るには、何もかも不十分でした。女は病んだ体を穿たれ、揺さぶられるだけに過ぎません。寝具の他に何もない部屋は、娼婦の巣と何ら変わりありませんでした。そもそも売女とすることは同じなのです。(彼女に与えられるのは、賃金と違って何の価値もない、男の独りよがりな愛だけでしたが。)


そうやって、長年、抗うこともせず、されるがまま、快楽の道具として、事が済むのを待っていました。


抵抗する意志はありません。そんなものはとうの昔に削りとられてしまいました。人形として愛でられる日々は、着実に心を醜く歪めていきました。
ただ男に生かされているだけの、くだらない、息をする肉塊は、命が尽きる日を待つだけでした。


「ナターシャ、こっちを見なさい」


もう言葉も話しません。何をするというわけでもありません。何を考えているのかもわからない。ぼんやりと虚ろで、すべてを投げ出しているかのようでした。


「きいたよ。何日も食べていないそうだね。だめだよ。少しくらい食べないと。体を壊してしまう」


目と鼻の先に匙を差し出されようと、彼女は食べる意志を見せませんでした。導かれるままに椅子へと座らされ、床を見るともなしに見つめたまま呆けています。


「ナターシャ、お願いだ。食べてくれ」


男は懇願しました。それでも、彼女は目を暗くかげらせて、うつけのように呆然としています。


「ほら、食べるんだ」


ぽたぽたと匙から汁がこぼれ落ちます。匙を押しつけても、唇が開かれることはありませんでした。とうとう男は激昂して、女の顎を強く掴み、無理に強いて口を割らせました。


「食べろ! 食べろと言うのがわからないのか!」


強制される食事に女は激しくむせこんで、そのまま嘔吐してしまいました。衣服は吐瀉物に塗れ、あちこちどろどろになって、それはそれは汚らしい様子でした。
男は萎縮したように、一歩また一歩と後ずさりました。妻が、日に日に何も出来なくなっていくのです。泣きも笑いもしないだけでなく、ついには自分のことも何一つおぼつかなく、もはや人と同じように生きることも困難になっていました。


精神が先に朽ちてしまったように思われました。その内はどこまでも空です。何を言っても、何をしても、どこにも響かない。空洞の、それこそ本物の人形のようになってしまったのです。


「どうしてこんな酷い仕打ちを……」


男は後ろによろけて、壁際にどんとぶつかりました。はらはらと長い髪が顔にかかって、その隙間から恐れを抱いた瞳が女を凝視しています。


「私を、恨んでいるのか」


女は汚い口元を拭うこともせず、黙ったままでいました。


「サーシャのことで恨んでいるんだろう……。そんなに私が許せないか……」


女はじっと動きませんでした。


それから、しばらく経って、彼女は受胎しました。ミハイル以来の子です。サーシャの死から、もう七年も経っていました。


男は下女をつけて女を監視させました。彼は、この気の触れた女が、我が子を殺しかねないと危惧したのでした。


その心配とは裏腹に、腹の子は順調に大きくなってゆきました。女は大人しく、膨れた腹を抱えていました。


「ナターシャ、わかるかい?  この子は、私の子だ。私たちの子だよ。ああ、この時をどれだけ焦がれてきたことだろう。ナターシャ、愛している。愛しているよ」


男は絶えず愛を口にしました。言葉ばかりの、空疎な言葉は、何の恩恵を与えるというわけでもありませんでした。





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