空が暗い。朝雨に傘いらずと飛び出してきた少女は仕方なくトンネルの中へ入った。ぽつぽつと濡れて色を変えていくアスファルトを見つめながら、しばしの足止め。
彼女の望んだ通り、朝方に降った雨はすぐにやんで、昼の間は少し晴れたりもしたのだ。しかし、なかなか、うまくはいかないものである。雨の脚は心細い。
気持ちの移ろいやすい空模様にはうんざりする。天の機嫌を窺うのはもうこりごりだ。少女は、トンネルの入り口に小さくうずくまった。
少し濡れただけの腕がやけに冷える。塗り固められた要塞は、その見た目のわりに頼りなかった。雨隠れにしかならない。入り口が大きくあいて、吹き込む風を防ぎようもないのだから。びゅうっと風が鳴った。少女は身をすくめて、縮こまった。
あたりに目をこらした。けれど、雨下(うか)の中には何も見いだすことができなかった。世界は自分を置いてどこかに行ってしまったらしい。彼女は憂いを帯びた顔に暗いかげを落として、背を丸めた。
天を厚くおおう灰色の陰気な雲。雨の勢いは増して、横殴りのものになっていった。少女は跳ねかえる滴をよけて、じりじりと尻を動かして奥へ引っ込んだ。
帰りたい気持ちもした。けれど、かんしゃくを起こして外へ出た手前、雨にふられたくらいですごすごと帰りたくもなかった。
そして、きっとあの男も自分の態度に腹をたてているに違いない。傘を持っていけと言ったのを無視して出てきてしまったのだ。
この空みたいに、あの男も、もう自分に優しくなどしてくれないだろう。
少女はひどく感傷的になっていた。悲しみを抱え込みやすい人間にありがちな愚かさである。彼女は冷たい膝に顔を埋めた。雨音はやまない。
ばしゃばしゃと騒がしい音がした。と思えば、男の、荒い息づかいが聞こえた。
顔を上げて、その姿を認めた。驚いた勢いで立ち上がる。そこに待ち人はいた。
彼は、顔を険しくさせて、肩で息をしていた。雨合羽(あまがっぱ)一つで駆けてきたようであった。トンネルの中の乾いた地面に水が流れ落ちる。雨天のもと、青白い顔は常よりもずっと血の気がない。
「ジャック……?」
少女が弱々しく呼びかけると、男はもの言いたげにぐっと口元を強ばらせたが、静かに目をつむって、肩の力を抜いた。ためらいがちに少女へ歩みよる。
「帰るぞ」
彼は手にしていた雨具を少女に着せた。抱えて走ってきたのか、どことなくぬくい。大きな手が、彼女の頬に触れた。
「つめてえ」
男はぽつりと呟いた。しかし、その手は驚くほど熱い。少女は不安げに男を見上げた。
「…………行くぞ」
男は少女の手を握って、雨の中を進んだ。
探しまわったのだろうか。男の足下は膝まで水に浸かってきたかのようだった。
少女は男の手をそっと握りかえした。彼はちらと振り向いて、またすぐに前を向いた。
こんな時にも、彼は自分の手を痛いほど強く握ったりはしないのだ。少女は男にぴたりと寄り添うように歩いた。男も、来たときのように急ぐことをしなかった。
雨は穏やかなものに変わっていった。ふたりに言葉を与えず、ただ降り続いた。
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