冷たい寂しい世界に、神様は私を放り投げてしまった。 どうせなら、もっと温かくて平和な世界に私を作って欲しかった。
あの、壁外調査の時、一度目にあの巨人が現れた時、私はリヴァイ班の一番後ろで馬を走らせていた。後ろから女型の巨人が凄い勢いで走って来た時は、流石にもう死ぬかと思った。 でもまぁ、それも運命なんじゃなかろうか。そう思ったのは秘密だ。そんなこと、リヴァイが知ったらきっと凄く怒るんだろうな。
二度目にあの巨人が現れた時、私はペトラ達と一緒にいた。全員刃を抜いて、斬りかかった。でもなんだか分かってしまった。きっと、私達は、勝てない。応戦するより、エレンを傷付けずに撤退した方がいい。そう叫んだのは私だけ。気付いた時にはもう、三人は死んでた。
『…っなんでだよ、』 『カルロスさん…っ!』 『エレンは下がってな』
私が持てる全ての力を使って、この巨人を削がなければ。それだけ、それだけを考えて、木と木を行ったり来たりした。ブレードの刃は巨人を削ぐことなく割れてしまった。
ああ、ここまでか。 全ての刃がなくなって、もうガスもわずかになって、そんなことより、もう私の身体は動かなくて。女型の巨人が私に向かって手を振り上げる。それをただ呆然と見ていた。
その次の瞬間に、エレンは巨人化した。
その後すうっと体の力が抜けて、昨日枝に座り込んだ。遠くで巨人どうしが戦ってる。エレンをどうにかしないと。あの巨人に、エレンを渡してはいけない。早く行かないと。分かってるのに、身体は動いてくれなかった。
『っ、チッ…!』
ああ、私は、巨人に食われる訳でもなく、ただ力尽きて死んで行くんだ。そういう、運命なんだろう。視界がぼやけて、白くなって、そのまま意識を手放した。このまま死ねるなら、それで。私は確かにそう思っていた。
現実に引き戻されたのは、リヴァイが私を引っ叩いた時だった。 『手荒いなぁ…リヴァイは』 『答えろ、カルロス・ソフィア。…お前は死ぬ気だったのか』 『…然るべき時がくれば、いつでも俺は死ぬ気だ』 『お前はあそこで死ぬ気だったのかと聞いている』 『……そうだよ。死ぬと思ってた』 『諦めたのか、お前は』 『負けたんだよ、俺は』
リヴァイはそれ以降何も私に言ってこなかった。ただ目を伏せて、去って行った。ごめんね、リヴァイ。
「ごめんね、リヴァイ。…さよならだ」
慰霊碑の前でリヴァイと話したあと、自室に戻った。 自由の翼を綺麗に畳んで、自室の机に置いた。調査兵団本部は、閑散としていて、私のヒールの音が響く。
「ん…?ああ、君は、ミカサ…」 「…どうも」 「どーも。…エレンはどう?」 「大丈夫…です」 「そう。良かった」 「…どこへ?」 「んー?…秘密」 「……」 「…ミカサは強いね。…羨ましいくらいに…」 「え…?」 「いや、今のは忘れてくれ。…じゃあね、ミカサ」
ミカサみたいに、私が強ければ、今頃あの四人は死なずに済んだかもしれない。あの四人が死んだことで、リヴァイが傷付かなくて済んだかもしれない。でも、私は強くない。強くないから、護れなかった。
調査兵団本部を出て、馬車を走らせてウォール・シーナ内地のソフィア邸に向かった。
「お帰りなさいませ、カルロス様」 「…久しいな、ミーナ」
私の身の回りの世話をしていたミーナが一番に出迎えた。もう60歳に近いが、見た目はまだ若く見える。ミーナの家は代々ソフィア家に仕えている。
「…旦那様が、奥の部屋で待っておられますよ」 「わかった。母上は?」 「奥様は…今はお休みに」 「……悪いのか、母上は」 「…最近はよく起きて、散歩などされておいでですよ。…まずは、旦那様に」 「ああ、分かってる」
奥の部屋にノックして入る。そこには白髪でターコイズブルーと紺色の王家の軍服に身を包んで、首から十字架のネックレスを下げている父がいた。
「お久しぶりです、父上」 「…まぁ、座れ」 「はい」
私は父の目の前に腰掛けた。紅茶を一口含んだ父は、一つ息を吐いて口を開いた。
「…どうだ、最近は」 「……まぁなんとか」 「エルヴィンから聞いた。…お前の身体がガタが来てると」 「恐ろしいですね、スミス家との繋がりは」
私が笑うと、父は顔を顰める。やめてよ、なんて言えるわけもなかった。
「我が家は代々、王家にお仕えして来た。…我々は、王の盾となり、剣となるべくしてこの世に生を受けた」 「重々、承知してます」 「ならば、…そろそろいいではないか、カルロス」
そろそろいい、というのは、私がそろそろ調査兵団をやめて家を継げということだ。父はもう年で足腰が悪いし、母は病弱。私はこの家を継ぐためにわざわざ男として生きてきた。 この話になることは、お呼びがかかった時から気付いていた。私は勿論、それを受けるつもりでここにきた。
と、言うより、私にはもう、あの場所に立っていられる程の力はなかった。だから、逃げてきた。
「…父上どうぞ、おっしゃって下さい」 「いいんだな。…分かってるだろうがもう、壁の外へなどは」 「分かってます。壁の向こうへの夢は、捨てました」 「……なら、お前にこれをやる。…お前はこれからカルロス・サラ・フォン・ソフィアを名乗れ」
父は私に、自身がかけていた十字架のネックレスを渡して言った。
「サラ、も名乗るんですか」 「それもまたお前だ。サラという自分も受け入れろ」 「しかし、俺は、男として…!」 「サラ。…お前は、サラであり、カルロスであることを、忘れるな」 「女であり、男であることを、ですか」 「そうだ。…だから何事も一筋縄ではいかんわ。それを弁えてなければならん」 「…っ、はい。…分かり、ました」
十字架を受け取り、首から下げる。 これでもう、自由の翼を掲げることはない。さようなら。そう言える自信なんてなかった。
「カルロス・サラ・フォン・ソフィア。ソフィア家の爵位と全ての財をお前に譲る」 「はい。この命許す限り、王家にお仕え申し上げ、当家の更なる繁栄に、尽力します」
私は一礼して、その部屋を去る。重たい扉に手をかけた時、引きとめられた。
「…お前が追いついていないのは、身体だけではないのではないか」 「…どういう、ことです」 「心もまた、矛盾のなかでついて行けていないのではないか」 「そんなこと、…あるわけないじゃないですか」
バタンと重いとびらを閉めて部屋を出た。ネックレスを見ると禍々しい十字架だ。王族の証だとか、そんなことをむかし聞かされたことがあるが今となってはどうでもいい。
ベッドに身を投げて、目を閉じた。 まぶたの裏には死んでいった仲間の顔が焼き付いている。
「っ…ごめん…ごめんな…っ」
誰も見てないとこで、人知れず泣いて、それで私の心は均衡が保たれる。これでいい。そうすることで今まで生きてきた。辛いかって聞かれればイエスと答える。逃げたいかって聞かれればノーと答える。辛くて辛くて仕方ない。逃げられないほど怖いんだ。
逃げてしまえれば、まだマシだった。 それすら出来ない私は、きっと自滅して消えて行く。
涙を拭うことなく、眠りについた。 出来ることならこのまま、もう目覚めたくない。
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