花想2

学校からの帰り道、お友達の桔梗ちゃんと百合香ちゃんと並んでおしゃべり。

陽気はぽかぽか、吹く風が心地好いです。

道端の野草は瑞々しく茂り、小さな花を咲かせています。

桜の花はすっかり満開で、空の蒼さとあいまって薄紅色が一段ときれいです。

まさに春爛漫です。

家のお花見はつい先日しました。

両親や使用人たちと一緒にお弁当やお団子、桜餅を食べたり、お酒を飲んだり。

賑やかでとても楽しかったのですが、頭の片隅ではいつも思い出す人がいました。

一緒にいると、あんな風に賑やかではないけれど、心がこの陽気のように暖かく、穏やかになって、でも緊張でどきどきしてしまう人。

「日菜子さん」

そう、いつもこんな風に優しい声で私を呼んでくれる。

ううん、声だけじゃなくて呼ぶときの笑顔も――ってあれ?

振り返ると、郵便屋さんの制服に身を包んだ人が笑顔で立っていた。

「と、藤吾さんっ!」

思わず声が裏返ってしまい、慌てて口を押さえる。

両側にいる桔梗ちゃんと百合香ちゃんは興味深そうに私と藤吾さんを交互に見てくる。

「こんにちは」

「こ、こんにちは……。えっと、あの、藤吾さんがなぜこちらに?」

藤吾さんは普段通りの柔和なほほえみを浮かべているが、私は突然の鉢合わせに平静を装えない。

いや、いつもだってどきどきしてしまって平静ではないけれど、心の準備ができているからこんなに顔も体も熱くならないし、心臓の音も速くない。

しかも、さっきまで藤吾さんのことを考えていたから余計に……。

「上司からこちらの方へ用事を頼まれまして。その帰りなんですが、まさか日菜子さんに偶然お会いできるとは」

幸運ですね、と向けてくれた言葉にも笑顔にも胸がいっぱいになり、相槌を打つのが精一杯だった。

「そちらは学校のお友達ですか?」

「あ、はい」

藤吾さんが制帽を脱ぎ、軽く会釈する。

「初めまして、深森と申します。日菜子さんとはお付き合いさせていただいています」

二人が小さく黄色い声を上げるが、私はオブラートに包まずに間柄を話されたことが恥ずかしく、ただ顔を赤くするしかなかった。

「すみませんが、少々の間、日菜子さんをお借りしてもよろしいですか?」

「へ?」

「どうぞどうぞ!」

「私たちはちょっと先で待っていますから!」

二人は何か熱心に話し込みながら足早に立ち去ってしまった。

「すみません、お帰りの途中に」

「い、いえ。全然構わないですよ」

むしろ、藤吾さんといられる時間が増えるなんて嬉しいこと。

「明後日はお時間ありますか?」

「明後日ですか? ええ、空いていますが?」

「よろしければお花見に行きませんか? 日菜子さんのお家はもうしましたし、桜並木を歩くくらいなんですが……日菜子さんと見られたらいいなと思いまして」

「……! 行きます! ……私も、藤吾さんとお花見をしたいと思っていたんです……」

つい本音が出てしまい、気恥ずかしくなって顔をうつむけると、藤吾さんは大きな手でそっと頭を撫でてくれた。

上目を使うと、目を細める藤吾さんの優しい顔が見えた。

「よかった。では明後日、いつもの時間にお迎えにあがりますね」

「はい!」

「私はそろそろ局に戻ります。また明日、配達時に」

「ええ、また明日」

互いに手を振ってお別れ。

明日家に配達に来たときにまた会えるのだけど、それでも名残惜しいと感じてしまう。

「……藤吾さんとおでかけ……」

藤吾さんの姿が見えなくなったので小さく呟いてみる。

嬉しい。すごく嬉しい。

知らず知らずのうちに笑みがこぼれてくる。

さてと、私も桔梗ちゃんと百合香ちゃんのところに戻らなきゃ――と思った矢先、二人がこちらに駆け込んできた。

目が爛々と輝いている……。

「ちょっとちょっと日菜子! 恋人がいるなんて聞いてないわよ!」

「ひーちゃん、どういうことかゆっくり聞かせてもらうからね!」

「え、え〜っ……」

恋の話題に興味津々な年頃なのはわかる。

実際、私も藤吾さんとお付き合いする前は、どんな人が理想だとか、どんな恋に憧れるだとか、他の女の子たちと話していた。

でも、まさか自分が話題の種になるなんて……。

両脇を二人にがっちり挟み込まれてしまい、そのまま近くの甘味処に引きずり込まれてしまった。


** *** **


お花見当日。

いつも行く市街地とは離れた先に広がるのは、道の両側で咲き乱れる満開の桜の木々。花吹雪も舞っている。

宴会のようなお花見をする場所ではないので人はあまり多くないが、それなりに賑やかだ。

「きれいですね!」

「ええ、本当に」

私が笑うと、藤吾さんも笑い返してくれた。

差し出された手を取り、桜並木の中へと入っていく。

同じ歩調でゆっくり、ゆっくり歩く。

繋がれた右手は、自分の体温と藤吾さんの体温が重なり合って熱いくらいだ。

「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし、ですね」

「えっと、それは確か古今和歌集の……」

「はい、在原業平の歌です」

意味は――いっそこの世に桜がまったくなかったら春の人の心はのどかであろうに。

「確かに桜を見るとなんだか落ち着きませんよね。そわそわするというかわくわくするというか」

ちらっと横目で藤吾さんを見る。

……例え今ここに桜がなくても、のどかな気持ちにはなれないだろうけど。

「昔の人も今の人も、桜を見て思う気持ちは変わらないんでしょうね」

「そうですね……」

それはきっと恋も、好きな人を想う気持ちも変わらないはず。

「――桜の花も美しいですが」

藤吾さんが上気味に向けていた顔を今度は下に向ける。

「こちらの花も美しいですね」

桜の木の根元には、鮮やかな黄色の花を咲かせた菜の花が広がっていた。

私の名前の花――

「……私、小さいころは『桜』という名前にしたがっていたそうですよ」

「そうなんですか?」

「はい。今朝、母が言っていました。菜の花なんかより桜の方がきれいだ、自分も名前が桜ならよかったのにと、お花見していたときに大声で泣いたそうです」

「それはそれは……」

そんな小さなことで泣いて、両親と使用人たちを困らせていた幼い自分を想像し、思わず苦笑する。

多分、寂しかったのかもしれない。

みんなが桜ばかりを見て、根元で咲いていた、自分の名につく花を誰も見ようとしなかったことが。

「でも今は、好きです。花も名前も」

花に目を向け、花を、私を特別だと想ってくれる人がいるから。

「私もですよ、日菜子さん」

「……はいっ……!」

「――ああ、でも」

「?」

「日菜子さんなら、お名前が桜さんだったとしてもお似合いですね。菜の花も桜もかわいらしくてきれいですから」

「……」

にこっと笑った藤吾さんに私は何も返せなかった。

どうしてこの人はこちらが恥ずかしくなるようなことを平然と言えるのだろう……。

「あ」

「あら」

二人の足が同時に止まる。桜並木が終わってしまったのだ。

どんなにゆっくり歩いたところで、そこまで長くない道だからしょうがないけれど。

「歩き終わってしまいましたね」

「そうですね。このあとはどうしましょう?」

「そうですねぇ……寄り道でもしませんか?」

「寄り道、ですか?」

藤吾さんは、なんというか、いたずらでも思いついた子供のような笑みを浮かべている。

「よろしいと思いますが……」

「それでは、こちらに来ていただけますか。足元気をつけてくださいね」

藤吾さんの手に引かれて、桜並木の道から繋がった横道に逸れる。

道といっても、丈の短い雑草が茂っているだけの細い道だが。

先の方は結構な角度の曲がり道で、木々に隠れてこちらからは見えない。

「えっとぉ……? どちらに行かれるんですか?」

「秘密です。少し歩きますので、待っていてくださいね」

「はぁ……?」

とりあえず藤吾さんに言われるがままついて行く。

目の前にある背中は、細身にも関わらず大きい。

男性、という感じだ。

この背中を後ろから抱きしめたら、どんな反応をするだろうか。

優しく笑うか、驚くか、それとも赤く――

「!」

こちらを振り向いた藤吾さんと目が合ってしまった。

鼓動が一気に速くなる。

「もう道を曲がって、すぐそこですからね」

「は、はい……」

これくらいで赤くなる自分には、抱きつくなんて度胸は到底持てないようだ……。

「あっ……!」

道を曲がってすぐに視界に飛び込んできたのは、先ほど目にした、しかし量は先ほどの比ではない一面に広がる鮮やかな黄色の群れ。

「菜の花畑ですね!」

「はい。地元の人もほとんど知らないところです」

顔を上げると、藤吾さんは驚かせたのが成功したと言わんばかりの満足げな表情をしている。

「きれいです……とても……! 藤吾さん、ありがとうございます!」

「喜んでいただけて私も嬉しいです――ふぁ」

藤吾さんが珍しくあくびをしたが、すぐに慌てて手で口を押さえる。

「す、すみません」

「お仕事でお疲れですか?」

「いえ、ちょっと昨日仕事がなかなか片付かなくて寝るのが遅くなってしまって。しかも今日はこんなにいい天気で暖かいものですから、うっかり……」

そう言って藤吾さんは微苦笑する。

今日が休みとは言え、前日までは当然仕事が舞い込んでくる。

たまの休日なのに自分と外出してくれるなんて……。

「それはお体にいけません。桜も見ましたし、ここでお休みになってはいかがです?」

「え、そしたら日菜子さんが退屈になってしまいますし……」

「私は藤吾さんと一緒にいられれば退屈なんてしません。……だからどうぞお休みになってください」

藤吾さんはいつも私のためを想って何かしてくれる。

私もそれが嬉しい。

私が藤吾さんのためにできることは少ないかもしれない。

でも今なら、疲れた彼を労わることならできる。

それに、一緒にいられれば退屈しないのは事実だ。

側にいられるだけで嬉しいのだから。

「……」

藤吾さんは手を顎に当てて何か思案し始めた。

「……日菜子さん」

「何でしょう?」

「少々膝を貸していただけませんか?」

「ひ、膝! ですかっ?」

突然の驚くべき願い出に素っ頓狂な声が出てしまった。

膝を貸すってつまり、その、膝枕をするってことですよねっ?

「え、ええと、あ、あのぉ……っ!」

真っ赤になって慌てふためく私を見て、藤吾さんが申し訳なさそうに笑う。

「すみません、桜のせいか調子に乗ってしまいましたね……。忘れてください」

「い、いえ!」

藤吾さんの腕を両手で掴む。恥ずかしがって、こんなより一層恋人らしくなれる好機を見逃すわけにはいかない!

「させていただきます!」

「いいんですか?」

「はい!」

「……じゃあ、お願いします」

このときの藤吾さんの笑顔が、今日見てきた中で一番嬉しそうに見えたのは気のせいだろうか……。


** *** **


よほど眠かったのだろう、藤吾さんは横になるとすぐに静かな寝息を立て始めてしまった。

寝顔ですら穏やかで優しい。

「……」

目の前には菜の花畑、下を見れば自分の膝に頭を乗せて眠る愛しい人。

私の初恋の人で、私の初めての恋人。

とても優しくて、とても大好きな人。

強く吹いた春風に、あの桜並木からの花びらがこちらの方にまで運ばれてきた。

今年の桜ももう終わりに近づいている。

「待てど言ふに散らでしとまるものならば何を桜に思ひまさまし……」

――待てといって散らずにいてくれるものならば、これ以上何を桜に望むだろうか。

長年人が望んできたことにも関わらず、それでも桜は散っていく。

次に咲く花に季節を託して。

そうやって季節は巡ってきて、これからも巡っていく。

そして桜の次に咲く花は――

「藤吾さん、今度は藤を見に行きましょうね」

あなたの名前に付く、私の特別な花を。





〈了〉










深山くのえさんの『桜嵐恋絵巻』に出会って少女小説に目覚めたあとなので、すごく趣味に走りました。


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