Seeing is Believing

この店がボクだけの世界(すべて)だった――

ボクはとある小さな町で、父から継いだ小さなバーを営んでいる。

小さな店ながらも扱うお酒の種類は多いし、手製の肴もお酒が進むと評判だ。

この店は幼い頃からボクの居場所だった。

まだ店が父の代だったときからよく入り浸っていた。

たまに父の手伝いをするが、たいていは酔っ払ったお客の中に混じりながらジュースを片手に彼らの話を聞いていたものだ。

この町は大きな都市と都市の間にあり、行き交う人の数がとても多い。

多種多様な年齢、国籍、職業の人々がこの町を通り、その内の何人かがこの店を訪れた。

店内はいつも色々な言語や話題が飛び交い、彼らの声で賑わっていた。

それはボクの代になっても変わらなかった。

店の評判は人から人へと伝わりずっと繁盛してきたのだ。

とりわけ多い客層は旅人だった。

彼らは様々な目的、事情で旅をしていた。

世界一週、ハンター、財宝探し、人探し、亡命、難民……お気楽な理由もあれば命に関わる深刻な理由もあった。

他の町や都市の話題だけでなく、異国や密林、砂漠、はたまた聞いたこともない秘境に行った経験を持つ彼らの話は、町を出たことがない幼いボクにとっておとぎ話のようだった。

特に冒険をした旅人の話は面白く、わくわくさせてくれた。

『いつかボクも旅に出るんだ』――少年のボクが夢見描いていたことは結局は実現せず、店をそのまま継いで今に至る。

空想と現実の間はあまりにも大きすぎたのだ。


** *** **


扉が開き、チリンチリンとベルの音を響かせる。

「いらっしゃい」

注文された肴を作る手を一旦止めて店内に入ってきたお客を見る。

中年の男性が一人、見ない顔だ。

この店に数席しかないカウンター席の一席を勧める。

「お好きなものをどうぞ」

「ウイスキーをロックで。あと何か適当にツマミを」

「はい。少々お待ちください」

さっき止めた作りかけの肴に着手し、手早く完成させる。

「生魚のカルパッチョです。どうぞ」

こうやって完成した料理をすぐにお客に出せるのがカウンター席の長所だ。

この店の店員はボク一人なので、最も効率的な方法である。

先程受けた注文を作るべく、まずはアイスピックで氷を割り、グラスに入れる。ウイスキーのボトルを空けて中身を注ぐ。

冷蔵庫から開店前に仕込んでおいた魚の切り身を切り分けて皿に盛り付ければ、あっという間に肴が一品完成だ。

「ウイスキーのロックと締めた魚の刺身です。どうぞ」

お客の前にグラスと皿を置くと、男性は早速刺身を一切れ口に運んだ。

味わうように何度も噛んでから飲み込み、グラスをぐいーっと呷る。

「……うまい」

「ありがとうございます。お客さん、この店は初めてですよね?」

「ああ。旅先で連んだ奴らに良い店があると聞いたのを思い出して寄ったが、酒もツマミも確かにうまいなここは」

「じゃあこの店のサービスのことも聞きましたか?」

「サービス? ……ああ、旅の話のことか」

「はい」

店がボクの代になってから、とあるサービスを始めた。

それは旅人のお客がボクに旅の話を聞かせてくれればお酒を一杯分奢るという至極簡単明快なサービスだ。

自分の店にいながらも東西南北、四方八方の国や地域の話を聞けるのは、とても安全でとても効率的なボクにとって快適な旅なのである。

それにお客たちは自分の冒険譚を語ると無口な人でも途端に饒舌になり、何十分にも渡って聞かせてくれるので、お酒一杯分以上の価値があるのだ。

少なくともボクにとっては。

「お客さんもどうです?」

「まあ、話すだけで酒を一杯得できるのは良いな」

「そうでしょそうでしょ。何か面白いお話ありませんかね?」

「面白いねぇ……。マスターは今までどんな話を聞いてきたんだ?」

「ボクですか? 幼い頃からずっと色々聞いてきたんで……それはもう沢山。特に印象深いのはやっぱり幻のお酒とか、伝説の食材の話ですね。あ、ドラゴンやユニコーンみたいな不思議な生き物の話も興味深かったですよ」

――食材に使えるかも含めて。

「へえ。ユニコーンっていうのは、もしかして西にあるエメラルド森にいるっていうユニコーンのことかい?」

「そうですそうです! やっぱり旅人の間では有名なんですか?」

お客が意味ありげに、にやりと笑う。

唇の隙間から金色の歯がちらりと覗いた。

「有名さ。偽者だったってな」

「ええ! に、偽者……?」

思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

どんな旅の話を聞いてもこんな声を出したことはなかったが、まさかの自分が信じていたものが覆されるという初めてのことに動揺を隠せなかった。

「ああ。白馬に作り物の角をくっつけただけだった。オレもこの目で直接見たから間違いない」

「そんなぁ……」

明らかに肩を落として落ち込むボクに、お客は豪快に笑い飛ばす。

「実は偽者だった話なんて珍しいことじゃないぞ。むしろよくあることだ。もしかしたら本当のことの方が少ないかもしれねえ」

「じゃあもしかして幻のお酒も伝説の食材もドラゴンも……?」

「全部嘘っぱちかもな」

「ええ〜……」

「今日本当だったことが明日は嘘になる、面白え世界だよ」

ボクにとってはこれっぽっちも面白くも何ともない。

幼い頃から聞いてきたあの話もあの話も、もしかしたら全部嘘だったかもしれないだなんて……。

「まあマスターがどんな話を聞いてきたか皆まで聞かないが、言えることはただ一つ。本当かどうかを確かめるには自分の目で見るのが一番ってことだな」

「自分の目で……」

ボクの世界はこの小さな店だけなのにどう確かめろというのか。

喉元まで出かかった言葉を押し留めて、ぐっと呑み込んだ。

「オレも、そりゃもう色んなことを自分の目で確かめてきたよ。真実か嘘かを」

「どんなことですか? 詳しく教えてくださいよ」
「自分で確かめたいとは思わんのかい?」

どすんと、黒く重たい塊が胸にのしかかるような感覚を覚えた。

「ボクも昔は夢見てましたから、それができたら一番いいんでしょうけど生憎ボクには店が……」

「休めばいいじゃねえか。一、二年くらいあっという間に過ぎるが十分旅はできるぞ」

また一つ、胸にのしかかる。

「でも資金とか準備とか必要でしょう……?」

「そんなことないさ。オレなんて紙幣数枚とリュック一つで旅に出たよ。ナイフ一つしか持たないで出た奴もいる」

また、一つ。

「あ、あと一人で不慣れな場所に行くのも大変そうですよねぇ……」

「そんな奴ごまんといるぞ。むしろ一人で行くのがいいんじゃねえか。で、旅先で会った奴らと打ち解ける。旅の醍醐味さ」

「……」

「旅に決まった形はねえんだからな」

なんだかもう、何を言っても論破されそうだ……。

黒く重たい塊のせいでボクの胸は苦しく、息苦しい感覚さえする。

この塊の正体は自分でもなんとなくわかる。

臆病心とかもどかしさとかやきもきする気持ちとか嫉妬とか、あまりきれいじゃない感情で、それに自分のせいだから一種の逆恨みで……。

自分でも無くすのが難しい。

「……結局ボクに足りないのは行動力なんだよなぁ」

独り言のような溜め息のような小さな声で呟く。

「わかってるじゃねえかマスター。あとは度胸と飽くなき探究心さえあれば旅なんて楽勝だ」

お客がまたにやりと笑い、金歯を見せる。

ボクは敵いそうにない言葉の説得力に苦笑いした。

その度胸も難しいんだよなぁ……。

「お客さん、今夜はそのウイスキーをサービスしますよ」

「おや。オレはまだ何も旅の冒険譚を話しちゃいねえが?」

「旅の先輩として色々聞かせてもらいましたから」

「はははっ、そうかそうか。得したな」

お客はグラスに残っていたウイスキーをぐいっと飲み干す。

皿の刺身も話しながらもきちんと食べたようで、いつの間にか無くなっている。

「それじゃあもうお暇するよ。ごちそうさん。またこの町に寄ったら来させてもらうよ」

お客が席を立ち、扉に足を進める――が、ボクは重要なことを伝え忘れていて慌てて引き止める。

「お客さん! お酒はサービスだけどツマミはお勘定に入るよ!」

お客は足を止めて、驚いた顔でこちらを見た。

すぐに吹き出し、今度は彼が苦笑いした。

「いくら?」

「五百ジュールです」

「うまい上に安いんだな、この店は」

お客は懐から財布を取り出し、銀貨を数枚ボクに渡した。

「毎度。あはは……なんかすみません。また来てくださいね」

「ああ。仲間にも紹介しとくよ」

今度こそ店を出るためにお客が扉を開ける。

来たときと同じようにベルの音がチリンチリンと鳴り響く。

そこでお客は立ち止まり、顔だけボクの方に向けた。

「マスター」

「はい?」

「あんたに旅先で会えたら、今度はオレが酒を一杯奢るよ」

「……はい。楽しみにしてます」

店を出たお客はすぐに夜の町に溶け込んでいき見えなくなった。


** *** **


もう次の日になった深夜に最後の客が帰っていった。

店を閉め、ボクも自宅に戻った。

ベッドに仰向けに寝転びながら、ボクはあのお客の話を思い出していた。

偽者だったユニコーン、旅に必要なものと要らないもの、旅に決まった形はないこと……自分の目で確める。

「はあ……」

思わず溜め息が出た。

思考のループが止まらない。

悩んでも悩んでもボクの臆病な心はその先を、一歩踏み出した先のことを不安にさせる。

彼ら旅人とボクの大きな違いは、この一歩を越えられるか否かなんだろう。

ボクだって本当は旅をしたいのが本音だ。

だが、長年ごまかし続けて凝り固まった冒険への憧れと情熱はあっても、幼い頃には確かにあったはずの勇気はまるで錆び付いてしまっている。

ふと、本棚に入っている一冊の地図帳に目が入った。

起き上がって本棚まで行き、その薄い一冊を取り出す。

父に昔買ってもらったものだ。

地形と地名しか書かれてないお粗末なものだが、買ってもらった当時は世界の広さ、地形の複雑さ、そして数え切れないほどの地名の数々に目を輝かせたものだ。

でも今なんかじゃ「世界はもう少し小さくても良かったのに……」なんて思ってしまう。

随分矮小な大人に育ってしまったことだ。

地図帳をパラパラめくると、たまたまエメラルド森の表記が目に入った。

偽者のユニコーンがいた場所……。

地図帳のページを開いたまま傍にある机に置き、椅子に座ってペンを取った。

エメラルド森の文字の下に「ユニコーン×」と書き綴る。

でもバツの字を最後まで書いたときぴたっと手を止めた。

「……実はユニコーンが偽者っていう話も嘘だったりして……?」

お客を疑うわけじゃないが、その場に行き、自分の目で確めていないのだから本当か嘘か実際はわからない。

ボクは再びペンを構え、バツの部分をインクで黒く塗り潰す。

そのまま幼い頃からの記憶を頼りに、他の地名の下に聞き齧ったモノを黙々と書き綴っていった。


** *** **


「できっ……た……!」

全て書き終わった頃には窓の外が薄明るくなっていた。

いつの間にか夜明けの時間帯を迎えていたようだ。

「つ……疲れた……」

一気に身体中の力が抜け、そのまま机に突っ伏した。

仕事から帰ってきてから寝ないでぶっ続けに作業に集中していたのだから疲れるのも当たり前だ。

でも不思議と、心は穏やかな満足感に満たされていた。

微睡む中でボクは何度も思った――ボクだけの地図が完成した。


** *** **


「あら。マスター、何だいその荷物は?旅行かい?」

町を出ようとする途中で、いつもお世話になっている肉屋の女将さんに会った。

「いえ、旅にでるんです。と言っても一週間ほどですが」

ボクは頭を掻きながら力なく笑った。

そう、ボクは今から旅に出る。

ナイフ一つだけの準備はさすがに無理なので、それなりに準備万端だが……。

一週間なんて旅とは呼べないかもしれない。

でも臆病者のボクはまずこの旅からウォーミングアップをし、徐々に長い期間の旅にしていくのだ。

旅に決まった形はないと、あのお客も言っていた。

「まあまあ。そうなの? うちの父ちゃんが寂しがるわねえ」

「帰ってきたらまたよろしくお願いします」

「そうね。あ! 旅ついでにお嫁さんも見つけてきなさいよ。ほほほほほ」

「み、見つけられたらいいですね……ははは……」

女将さんの言葉をただ笑って誤魔化すしかなかった。

それはある意味、幻の生物や伝説の食材を探すより難しいのでは……。

「とにかく体には気をつけなさいね。」

「はい。ありがとうございます」

女将さんに軽く一礼をし、荷物を担ぎ直す。

「じゃあ行ってきます」

さあ、ボクだけの旅が始まる。





〈End〉










オフで書いた最後の作品でした。
恋愛要素がない…(驚愕)


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