龍の生贄(いそうろう)

ある日、麓に村がある山の頂に龍が住み着いた。

村人達が言うには空を見上げると細長い大きな体が宙を舞い、その後山の中に消えていったという。

龍の怒りによる天災を恐れた村人たちは月々に供物を捧げることにした。

そのお陰か、龍は暴れることなく村は平和な日々が続いていた。

しかしその月は違った。

天候の不順により作物が全くと言っていいほど採れなかったのだ。

村人たちは考えあぐねた。

供物が少なければ龍の怒りに触れ、天変地異が起きてしまうのではないだろうか。

村長を中心に村人たちは話し合った。

供物の代わりになるものはないかと――

そして話し合われた結果決まったのは、村の若い娘を捧げることだった。

若い娘なら供物の代わりになるはずだ、龍も満足するに違いないと村人たちは考えた。

次に話し合わなければならないのは生贄となる娘を選ぶことだったが、こちらはすぐにその場で決まった。

春凜(シュンリン)という、気が強いが働き者で、器量も中々よい娘が選ばれた。

誰も自分の娘や姉妹、孫娘を、ましてや自分自身を生贄として進んで捧げたくなどない。

その点、彼女はつい最近に両親を亡くしていた。

だから身寄りのない少女が選ばれるのは仕様がないことである。

反対する者は本人しかいないのだから。

村の誰もが、春凜ですらそう考えた。

残酷で、迅速な決定であった。


** *** **


供物を捧げるこの日、祭や婚礼のときに着る絢爛な衣装を着せられた春凜は、輿に載せられ、村の男たちによって他の供物と共に祭壇へと運ばれた。

誰も春凜とは目を合わせようとせず、最後まで別れの言葉も慰めの言葉もかけなかった。

みんな彼女をただの供物の一つとして扱い、祭壇に供物を載せ終わると逃げるように足早に村へ戻って行った。

春凜も誰かが同情してくれるなど思わなかった。

供物になると決まった日から村人たちの自分を見る目は両親を亡くした少女に向ける哀れみの目ではなく、生贄の動物に向けるような哀れみの目へと変わった。

祭壇に座る春凜は龍を初めて見た日のことを思い出していた。

見るものを圧倒させる雄大な体は太陽の光を受け、体中を覆う白い鱗をきらきらと輝かせていた。

それは春凜が今まで見てきた光景の中で最も美しく、神秘的であった。

病気や怪我でもがき苦しみながら死んでいくよりは、あの美しくも雄々しい龍に一口で丸呑みされる死に方なんて潔くて良い死に方かもしれない。

そう思わせるほどの魅力があった。

目の前にある木々ががさがさと揺れた。

静けさの中考えふけていた春凜ははっと身を起こし、音がした方に耳を澄まし、注視する。

龍が来たのだろうか。空から舞い降りてくるものかと思ったが。

はたまた供物の匂いに誘われてきた野生動物だろうか。……熊だったらどうしよう。

音がだんだん近づいてきた。

春凜は体を強ばらせ、身構える。

木の陰から現れたのは一人の青年だった。

彼は春凜の姿を目に止めると、そのまま立ち止まることなく歩み寄り、彼女の前で立ち止まった。

青年は村の男たちのようにごつごつした体をしておらず、スラリと背が高い。

顔立ちは異国の彫刻のように端整な顔立ちをしていて、どこか老若男女問わず人を引き付けるような雰囲気を持っている。

しかしその美しい顔も春凜を訝る表情のせいで眉間に少し皺が寄っていた。

「……お前は何だ」

青年が低い声を出す。明らかに春凜を警戒している。

確かに山中に着飾った少女が一人、大量の作物に囲まれているのはおかしな光景だ。

だがこの青年は、ここが龍への供物を捧げる祭壇だということを知らないのだろうか。

山狩りに来た猟師という見た目でもない。たまたま来てしまった他所の村の者だろうか。

何にしろここにいては龍が来たときに危険だ。関係ない人を巻き込むわけにはいかない。

「私は麓の村の人間よ。ここは龍への供物を捧げる場所だから早く山を降りた方がいいわ」

「龍への供物……?」

青年の眉間の皺がより深くなった。

龍を見たことない人からしたら俄かには信じ難い話だから当然の反応だ。

「そう。この山には龍が住んでいるの。私はその供物よ。きっともうすぐ龍が……」

「ぷっ――ははっ!」

春凜が話している途中だというのに青年が突然吹き出した。

自分の話が嘘か冗談にしか聞こえなかったのか。

龍を実際に見たことがない人に信じろという方が無理もあるが、真剣に真面目な話をしているのになんて失礼な人だ。

「信じられないなら信じなくて結構よ! そのまま龍に食べられてしまえばいいわ!」

「龍がいるのは信じるさ。でも龍は人間なんて喰わない、だから人間を供物にするなんて無用だ。お前も山を降りた方がいい」

「……なんであなたが、龍が人間を食べないなんて言い切れるのよ? 龍と知り合いだっていうの?」

「知り合いっていうか……龍本人だし」

「……は?」

春凜は青年の頭からてっぺんまでを二、三度見渡す。

どこをどう見たってあの日見た龍のような大きな体ではないし、角も鱗もない、ただの人間にしか見えない。

「信じられないって顔してるな。特別に証拠を見せてやる」

青年が左腕を伸ばし、服の裾を捲くる。至って普通の人間の腕そのものだ。

しかしそれはすぐに白い鱗に覆われ、手は大きく厳つくなり、指先の爪が長く伸びていく。

あっという間に春凜の目の前で青年の腕は龍のそれへと姿を変えた。他の部位は一切人間のままで。

「龍はな、普段は人間に擬態してるんだぜ」

春凜は大きな目を丸くさせる。驚きのあまり言葉が出せなかった。

「これでわかったか? 龍は人間なんて喰わない。むしろ人間を食うくらいなら、そこら辺に生えてる雑草でも喰ってた方がましだ。だからお前も自分の元いた村に帰れ」

「いやよあんな村……戻りたくないわ。皆どうせ私が逃げ帰ってきたと思うに決まってる……」

「じゃあどこか別の場所に行くんだな。俺はこの作物だけ貰って帰る」

龍の供物として来たのに、龍はいらないと言う。

だが村には帰れる場所がないし、他に行くところも当てもない。

春凜は無意識に彼の裾を引っ張った。

「待って! ……私を、あなたの所に置いて頂戴……!」

「龍の所にいたいって? はあ……変わってるなお前」

「別にあなたといたいんじゃなくて、他に行く所がないだけよ!」

「ふうん。まあ、俺の所にいたいなら炊事、洗濯、掃除、畑仕事、その他諸々の雑用をやってもらうぞ?」

「ええ、それくらいいいわよ。何だってしてあげるわ」

「そうかそうか。なら、あと――」

青年は人間の腕のままである右手を伸ばし、春凜の顎を捕らえる。

そのままぐいと上に向かせ、彼は不敵な笑みを浮かべた。

「夜の相手も、な?」

「なぁっ!」

春凜の顔が一瞬で真っ赤になる。

だが、青年はすぐに真顔になり、彼女から手を離す。

「嘘に決まってんだろ。誰がお前みたいな芋臭い女を抱くか」

「っ……!」

「おーおー顔を真っ赤にしちゃって。もしかして期待した?」

「誰がっ!」

龍は高貴で神秘的な生物だと思っていたのに何て俗っぽく性格の悪い生き物だ! 何が雄々しくも美しいだ!

春凜はとんだ勘違いをしていたと自分に腹を立てた。

それとは反対に青年はころころ笑う。

「俺は露雲(ロウン)。お前は?」

「……春凜よ」

こうして元生贄の人間の少女と、龍の青年の不思議な同居生活が始まった。


** *** **


露雲と生活を始めてから数週間が経った。

春凜が朝目覚めると、体がとてもだるいことに気がついた。

頭もぼーっとし、喉も痛い。

「ごほっごほっ……。風邪引いたみたいね……」

それでも居候の身としては風邪で休んでなどいられない。

ここにいるためには働かなくては。

だいたいあの意地の悪い露雲が風邪なんかで休ませてくれるだろうか。

春凜は手早く着替えて、朝食を作るために台所へと向かった。

「おはよー」

「おはよう。ごほっごほっ……」

「え、お前風邪引いたのか?」

「そうみたい。昨晩結構冷えた……し……?」

露雲が自分の額を春凜のそれに寄せる。

彼女の瞳に彼の長い睫毛がくっきり映るほど顔が非常に近い。

「えっ……あっ……」

「あー……熱もちょっとあんな。寝てろ」

「え?」

「ほらほら」

露雲は春凜を軽々と掬い抱え、そのまま寝室へと運ぼうとする。

「お、降ろして…! 自分で歩くわ!」

「病人は病人らしく大人しくしてろ」

春凜の抵抗も虚しくベッドに下ろされ、布団を何枚も掛けられる。

今までにないくらい露雲が自分に構い、春凜にはちょっと気持ち悪かった。

「たかが風邪よ! 働けるわ!」

「されど風邪だ。ありがたく寝てろよ」

「いたっ」

露雲が春凜の額を指で弾く。

一体彼は何だと言うのか。

今まであんなに自分のことを扱き使っていたくせに風邪を引いたくらいで休めと言う。

春凜の不審がる表情に気付いたのか、露雲はベッドに腰を下ろしておもむろに口を開いた。

「俺の姉貴はさ、昔人間と結婚してたんだ」

「……え?」

露雲に姉がいたなんて初耳であった。

そもそも彼は自分の故郷や家族の話など一切したことがなかった。

「でさ、俺の義兄に当たる人が風邪を引いたんだよ。でも貧しかったみたいで薬も買えないで、単なる風邪だからって碌に休まず働き詰めだったんだって」

「……」

「そしたらある日突然血を吐いて、急いで医者に見せたら肺を患ってる、しかも手遅れな状態だったらしい。そのままたった数日で死んじまったそうだ」

「……」

「人間って脆いな。俺達龍なんて病気なんかすぐ治るし、何百年も生きる。でもお前たち人間は違う。病気をすれば悪化することもあるし、最悪死んじまう。……だから休んでてくれ。な?」

露雲は優しい、しかしどこか悲しげな微笑みを春凜に向ける。

「……それって私に死んでほしくないってこと?」

「んー、死んだら困るな。春凜の飯、俺好きだし」

……何それ。ご飯のためだけ?

しかしそれでも、故郷の村人たちとは違って自分自身を必要としてくれていることが嬉しくて、春凜は目頭が熱くなった。

「そういうことならまあ、ありがたく今日は寝かせていただくわ」

「ああ、好きなだけ寝てろ。あとで薬草採ってきて薬を作っといてやるから」

露雲が歯を見せて笑う。

その笑顔に何だかほっとして、春凜は目を閉じる。

そしてすぐに深い寝息を立て始めた。


** *** **


その夜、春凜は高熱を出した。

額からは汗が流れ、息も荒い。

朦朧とする意識の中、彼女は幼い頃のことを思い出していた。

あの頃は体が弱く、何かと熱を出していた。

その度に母はずっと傍にいて看病をしてくれたし、父も仕事から帰ってくると寝室まで顔を見せて励ましてくれた。

父は頭を撫で、母は額の汗を拭ってくれた。

熱で顔が熱い自分にとっては二人の手が冷たくて気持ち良く、何よりその愛が温かで心地好かった。

優しかった父と母。

二人は自分を愛し、大切にしてくれた。

二人のお陰で自分は生きて来られた。

なのに、父も母も自分の前からいなくなってしまった。

自分の手の届かない遠いところへ逝ってしまった。

春凜はまどろむ意識の中で、何かが頭に触れたのに気がついた。

その何かは優しく自分を撫でる。

冷たくて気持ちいい。まるであの頃に戻ったような感覚を覚えた。

「父さん……母さん……」

懐かしくて恋しくて二人を呼ぶかのように声が漏れた。

目からは自然と熱いものが流れる。

ゆっくりと瞼を開けるとぼんやりと影が見えた。

段々とはっきりしてきて、それが父でも母でもなく、居候先の龍の青年であることがやっとわかった。

「露雲……」

「春凜、大丈夫か?」

いつもより少し低い、掠れた声。

いつもとは違う、包み込むかのような優しい声。

そして壊れ物を扱うかのように頭を撫でる大きな手。

「……父さんも母さんも昔こんなふうに頭を撫でてくれたわ」

「うん……」

「父さんも母さんも死んで、一人になった。悲しかった。寂しかった」

「うん……」

「……でも二人を心配させないようにって、強く生きていこうって、お葬式のときも泣かなった」

「……」

「だけど……だけどやっぱり私は……」

春凜の目から熱いものがとめどなく流れ落ち、頬と枕を濡らしていく。

「春凜、お前は強いよ。泣いたところでそれは変わらない。だから、好きなだけ泣け」

春凜の体は無意識に動き、露雲にしがみつく。

彼は彼女を腕の中で包み込むように抱き止める。

彼女は今まで溜めていたものを全て吐き出すくらい、子供のように大声をあげてひたすら泣いた。

その間彼はずっと春凜を抱き寄せ、頭を撫で続けた。

彼女が泣き疲れて眠るまで、ずっと。


** *** **


翌朝、春凜はベッドの中で目を覚ました。

鏡を見ると目が赤く腫れているが、顔つきが昨日までよりすっきりしている。

心だけでなく体も軽い。
涙と一緒に熱も引いたらしい。

着替えて台所へ行くと、露雲が朝食の支度をしていた。

「……お、おはよう」

「あ、起きたか。どうだ体調は?」

「ん、治ったみたい」

「そうか。それならよかった」

「……」

病み上がりだからか、それとも昨夜のことがあったからか、まだ露雲が妙に優しくて戸惑う。

昨夜……そう、自分は昨夜露雲の腕の中で一晩泣いていた。

恋人でもない男の腕の中で……。

改めて思い出したら恥ずかしくて穴に入りたくなった。

露雲の前で泣いたことも、露雲の腕の中で泣いたことも、何もかもが恥ずかしい。

知らず知らずのうちに春凜は顔が赤くなっていく。

またからかわれると思って露雲から顔を逸らすと、その行動と意図に気が付いたのか、彼は意地の悪い笑みを浮かべる。

「しっかし昨夜は面白いもんを見れたなー」

「面白いですってっ?」

春凜は思わず声を荒げる。

露雲はそれを見てますます顔をにやにやさせた。

「普段は強気な女が子供みたいに泣くのは面白いことだろ? しかもつんけんした態度をとっている男の腕の中で」

「あ、悪趣味だわ! 昨夜は熱が出たからちょっと気持ちが弱ってただけよ! あんなこともう二度とないわ! 二度と!」

「おやおや、それは残念」

露雲がわざとらしく肩を落とし、それが一層春凜の神経を逆撫でさせる。

この男、本当に最低だわっ!

人間の少女と、龍の青年の騒々しい生活はこれからも続く。

そしてこの二人が恋に落ちるのは、もうちょっと先のお話。





〈了〉










これは素敵な漫画にしていただきました。いい思い出。
描いた方が文を書いた私よりキャラの心情をうまく言葉にされていました…笑


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