赤司くんには、幼なじみがいるらしい。
とは言っても噂で聞いたことしかなく、詳しいことは何も知らない。ただ青峰くんや桃井さんたちの話を聞くかぎりでは、活発、無垢といったところだ。周りは騒がしいだバカだと散々に言っていたがあの赤司くんの幼なじみがそんな性分とは些か信じられない。
近いうちに会ってみたい、かもしれないと思った。
そんなことをぼんやり考えつつ部活に向かう。いざ体育館に足を踏み入れようとしたところで見慣れない姿を目にした。…誰だろう。首を傾げつつさして気にすることもなく、まあどうせ向こうも僕に気づくことはないのだからとその横を通り過ぎようとする。しかし。
「あっ、ねえ!」
声をかけられた。
いつもは自分が相手を驚かせる立場であるはずなのに、この時ばかりは僕自身が驚いてしまった。目を見開いてその声の発信源へ視線をやるとやはり見慣れない女子生徒の姿がある。一見、上品そうにも見える彼女に思わず身体を強ばらせた。ねえ、と呼ばれたのは僕で合っているのだろうか。多少不安になって周りを見回してみるがここには僕と彼女しかいない。ハイ、とぎこちない声色で返事をすれば彼女は少し声をひそめるような素振りで口を開いた。
「征十郎って、まだ来てないよね?」
「…えっ」
「来てたら結構まずいんだよ!だってここに来てるって知られたらミンチにされること間違いなしだもん!」
征十郎、という名前を聞いて状況を理解するまでに時間はかからなかった。まさかついさっき会ってみたいと考えていた人物にこうも簡単に会えるなんて。驚きと感動が入り混じる中も赤司くんの幼なじみである彼女は饒舌に話を続けた。
…なるほど、こう見れば青峰くんたちが言っていたことにも頷けるかもしれない。と失礼極まりないことを思ってしまった。内心申し訳ない気持ちになりつつ、確か赤司くんは監督に呼ばれているとかで遅くなるという話を思い出す。
「えっと、赤司くんですよね。まだ来てないと思います」
「本当!良かった!あ、私はねみょうじなまえっていうんだよ。貴方は?」
「黒子テツヤです」
「黒子くん!よろしくね!」
子供らしい笑顔を浮かべたみょうじさんが僕の手を取って握った。どきりとしたのは驚いたからだったに違いない。ぶんぶんと勝手に握手を交わすみょうじさんになんとも形容し難い気持ちになる。赤司くんと幼なじみって、例えばどういう話をするのだろう。この人と赤司くんが会話をするイメージがどうにも湧かない。それどころか、一緒にいる絵さえ浮かんでこない。仲は、いいのだろうか。聞くところによれば良いとの噂だった、けど。と訳の分からないことを考えている間にもみょうじさんは忙しなくあたりの様子を伺っている。というかそもそも何の用があってここに来たのだろう。
「えっと。バスケ部に、何か用があるんですか?」
「え?いや用という用はないんだけどね、何か最近征十郎が疲れているようにも見えたからちょっと心配で。ってそれをこの間青峰に言ったらソレお前のせいじゃね?とかって言われたんだけどそんなことないよね!黒子くんも違うって思うよね!」
「え……どうなんでしょうね」
「黒子くんまで!」
とまあ、そんな具合に。赤司くんが疲れているようで心配になって様子を伺いに来た、ということらしい。本人には見つからないようにこっそりと。傍から見ては分からないが赤司くんは疲れているのだろうか。確かに学校生活でも部活でも、きっと恐らく家庭でも自由とは言えない身なのであろうから、そう言われてみればそうなのかもしれない。幼なじみというものであれば、そういう些細なことも見破れるのだろうか。よく分からない。
もう少しで部活が始まる時間だ、とふと時計を見やる。
「あの、みょうじさん」
「何?征十郎が来たとかだったら私は今すぐにダッシュで逃走するよ!」
「いや、違います。大丈夫ですクラウチングスタートしようとしなくて」
一瞬きょとんとしてから、立ち上がって僕を見上げる。可愛いかもしれないと思ったのもきっと小動物へ抱くそれと同じものだと思いたい。部員が徐々に体育館へと入っていくそのざわついた空気の中、僕は赤司くんの幼なじみとただ対峙するという奇妙な状態のままで。
「赤司くんのことは、好きですか?」
ただ純粋な、興味で尋ねた。
「好きだよ。当たり前じゃん!」
答えは分かりきっていたのに。
「でもちょっと怖いよね。あ、いやあっちの征十郎が怖いのはもう当然のことなんだけど、こっちの征十郎が怒る時が何ていうか違う意味で怖いの!本当は優しいんだけどね。本当だよ!」
あっちとかこっちとかよく分からない表現を使うのはみょうじさんだからなのだろうか。いまいち理解に苦しむ。あっちの赤司くんとこっちの赤司くんって、まるで彼が二つあるように。若干目を細める僕に何を勘違いしたのか少し考えるようにしてから再び言葉をつなげた。
「そう!あっちとこっちで呼び方変えようかなって思ったときもあったんだけどね!やめたの。どっちにしろ私に対する接し方は変わってないって気づいたからね。これってどうなのかと思う!」
「え、あの…あっちとこっちっていうのは…」
「え?だからそれは、」
「黒子っち!もう部活始まるっスよ!」
このタイミングで。
みょうじさんの声を遮って聞こえた喧しい声に思わず苛立つ。とは言っても表情には出さないが。無表情のまま声のする方、もとい黄瀬くんのほうへ視線を向ける。空気を読めという意味での視線だったのだが彼にそれが通じるわけもなく、呑気に手を振っているあの男にもはや怒りすら感じない。僕の隣のみょうじさんに気づいたらしい黄瀬くんは少し驚いた顔をした。
「あれ!みょうじっち!何でここに!?」
「わーっバカ!声が大きいよ!しーずーかーに!」
「って一番みょうじっちがうるさいじゃないっスかぁ〜」
口元に人差し指をあててしーっとジェスチャーで示すみょうじさんは黄瀬くんの指摘に面白いほど顔を引きつらせ周囲を警戒した。やっぱり今日は大人しく帰ろうかな、と怖気づいている彼女を横目に、僕も黄瀬くんのほうへと向かった。
準備運動を開始したところで不意に背後から声がかかる。
「何でなまえがここに来ていたんだ」
「っ!?…あ、赤司くん…居たんですね。いつの間に」
この幼なじみコンビは僕を驚かせるのが上手いと思う。どくどくどく、と心臓が暴れている。本当に、びっくりした…。
「ああ。ついさっき戻った。…それにしてもなまえはいただけないな。何度オレの言いつけを破れば気が済むんだ」
酷く苛立った様子の赤司くんに冷や汗を流す。ここまで赤司くんが感情を露にする相手など見たことがなかったから余計に。みょうじさんに向けての怒りというよりは他の、何かに対するような怒り。みょうじさんはまぁ、置いておいて。赤司くんにとっての彼女とはどういう位置にあるのだろう。ボールを両手にしっかりと持ちながら、恐る恐る尋ねてみる。赤司くんは今、疲れていますかと。ただそれだけを言うと赤司くんは怪訝そうな顔つきをしてから何故、と言うので、何となくすっきりしない感じのままで答えた。
「みょうじさんが、そう見えたと言っていたので」
静かにそう言えば、赤司くんは僅かに口端で笑って見せてからひとつ言葉を残していった。
「なまえがそう言うのなら、そうかもしれないな」
ああ、本当によく分からない。