なまえが居て、その隣に俺が居た。そいつは何故か俺の右手を握って今まで見たことのないようなだらしねぇ顔で笑っていた。何だこれ。何なんだ、これは。なまえはその馬鹿みたいな笑顔のまま、少し照れたように顔を一度伏せてから、それから呼んだ。俺の名を。…俺の、名前?
いや、違う。俺じゃない、これは、誰の。

「き、もち悪……っ!」
「うわっ!ビックリした!」
「…………………」

ひどい倦怠感と頭痛と吐き気が波のように押し寄せて目を覚ますとやはりなまえが居た。しかし、先ほどの気持ち悪い笑顔など欠片もない、アホみたいな面だ。…さっきのは夢だったらしい。あたりを見回すとどうやら此処は俺の部屋。そういえば俺の部屋の掃除を手伝わせるべくこいつを連れてきたんだった、と思い返したところで欠伸をかみ殺す。

「どうしたんですか先輩、私に掃除を丸投げした挙げ句爆睡した先輩」
「お前の…夢見た」
「それで気持ち悪いって言って起きるって失礼過ぎません?」

ホント勘弁してださいだとかぶちぶち文句を垂れながら渋々本棚を片付け始めるなまえは本当に夢の中の雰囲気などまるでない。できることならあんな夢、もう二度と見たくはないし思い出したくもないとさえ思う。あんな、気持ち悪い。どっと疲れた。落ちていた本を踏んで転びかけているなまえを眺めた後その背中を蹴った。んぶ、と間抜けな声をあげて本棚に顔面を打ち付けたそいつは涙目になりつつこちらを睨む。

「…なんなんですか」
「喉乾いた」
「そうですか…」
「飲み物もってこいよ」
「普通逆じゃないですか?私お客様なんですけれど」

知るか。やはり文句を垂れつつも嫌々飲み物を取りに部屋を出ていくこいつは素直というかバカというか何というか。一人になった部屋の中でふと時計に目をやればもう昼過ぎだった。そういえば今日は朝から何も口にしてない。掃除も飽きたしな…。ぐぐぐ、と一度背伸びをしてから適当に上着をとって部屋を出た。

「ん?アレ、今麦茶いれたところなんですけどどこ行くんですか!私の麦茶を犠牲にしてどこへ!」
「飯買いに行くぞ。さっさとしろ」
「麦茶は」
「いらねえ」
「心の底から鬼畜ですね貴方!」

なまえはコップに注いだ麦茶を何故か咄嗟に冷蔵庫に仕舞った。どれだけ麦茶を大事にする女なんだこいつは。適当に靴を履いてさっさと歩き出せば慌ただしく追いかけてくる。こいつの場合俺に置いて行かれたくないとかそういう理由ではなく昼飯を早く食べたいとかそんな事なのだ。本当に、心からしょうもない。普通に歩いていると容易になまえは姿を消す。足の長さは言わずもがな、もともとあいつは歩くのが遅いからというのもひとつ。
「あっ、ハト!」
落ち着きがないのもひとつ。
ハトに目を奪われるなまえに多少イラッとしつつ無視して歩く。
「じゃない!?カラスだった…」
眼科へ行け。
俺の後方五メートルほど離れたところでがっかりしてみせるバカを気にかけるのも面倒になって最終手段として腕を掴んでやることにした。リードがほしい。

「腕の…血が……止まってます…、先輩」
「お前の足が止まってたのが悪いんだよ」
「ちょっと上手いこと言わないでくださいよ…」

とりあえず近くのスーパーまで辿り着いた。やっとだ。なまえは弁当コーナーを視界に入れるなりきらきらと目を輝かせて導かれるようにそちらまで行ってしまった。何故こうも俺の傍でじっとしていられないのか。やるせない気持ちになりながらその後を追った。オムライスかカツ丼か迷っているらしいなまえは妙に真剣な顔つきで二つの弁当とにらめっこをしている。アホか。

「お前って料理できなさそうだよな」
「失礼な!できますよ」
「ふはっ、カップめんだろ」
「馬鹿にしすぎでしょう!私、オムライスだって作れます」
「へーえ…」

さして興味を示すでもなく視線を並ぶ弁当に落とすとその反応が気に入らなかったらしいなまえが珍しく俺に食い下がった。

「ホントですから!花宮先輩!作ります!」
「は?」
「オムライス!作ります!」
「…はぁ、そうですか」

なまえの勢いに思わず呆気に取られて変に言葉を返す。そうとなれば早くしましょうとばかりに俺の腕を掴んで歩いていくなまえに何とも言えない気分になった。こうしていつも普通に歩み寄ってくるなら、可愛げがあるのだが。なんてくだらない。掴まれた腕をじっと見つめて行き場のない感情をため息と共に吐き捨てた。スーパーに来た意味は何だったのか、と思いつつ帰路につく。

「…なんかお前、今日無駄な行動多くねぇか」
「誰のせいだと思ってるんですか!」
「いや今のは完全にお前のせいだな」
「まぁ細かいことは気にしないでくださいよ」

やけにご機嫌だな。本当に珍しい。こいつが俺と二人で居るときにこうも生き生きしているなんて。ここで、ふと、その表情を崩してやりたいと思うのは。まぁ俺らしいというところだろう。陽気に鼻歌なんか歌いながら俺の家へと向かうなまえを数歩下がった場所から眺めた。なにか、面白いことは無いか。しかしここであいつの機嫌を損ねるともちろん、料理は作らないと言って逃亡する。これで昼飯を食いはぐれるのもな…。とかなんとか言い訳じみたことを考えつつとりあえず大人しく家まで行くことにした。
なまえの料理なんて、たかが知れてる。期待などしない。
そいつは家に着くなり台所へと嬉々として行った。

「よっぽど得意なんだろうな」

椅子に腰掛けて冷ややかに視線を送ると誇らしげな顔を返された。皮肉のひとつも通じない。

「ヨットに乗ったつもりで安心して待っててくださいよ」
「ヨットは安心できねーよ」

へらへら笑ってから早速料理へと取りかかるなまえの姿に内心首を傾げる。…なぜ下僕の後輩に昼飯を作って貰っているんだろうか。何というか、この光景はまるで、俺の嫌悪してやまない、そういった。思わず顔が歪む。嫌悪、というよりむしろ。
これは何なのだろうか。ああ、ああ。イライラしてしまう。
違う、これは作らせているだけだ。ただの、嫌いで嫌いで仕方がない後輩にさせているだけのこと。使役。それだけだ。何とかそう割り切って。
「あ、」
今度は何だ。
「…いやいや、何でもありません。少し、本当にちょっとした拍子に…ええそう、たまたま偶然声が漏れてしまった。それだけのことなのですよ」
「何だそのわざとらしい言い様は」
ガタリと椅子から立ち上がるとなまえの顔が引きつった。さぁさぁ何を隠しているのかと自然と愉快になって口端がつり上がる。中途半端な料理を横目になまえを台所の壁まで追い詰めるとこいつのシャンプーらしき匂いが鼻をくすぐった。まぁ、それはそれとして。

「…お手」
「……ワン」
「おかわり」
「…嫌ですわん」
「ハイ駄目ですワーン」

半ば無理矢理、頑なに背へと隠す左手をぐいっと引っ張り出すと案の定、それはそれは美しいまでの赤がその白い指を這って流れていた。これは見事に綺麗にスッパリいったものだ。思わず八重歯を見せて笑う。なまえは数分前とは打って変わって顔面蒼白に冷や汗。そうだ、こうでなくては。俺にだけ見せるその絶望的な顔はたまらなく。好きだ。あんな誰に向けたのか分からぬ笑顔より、断然。

「…あの、料理が途中なので」
「まあまあ」
「いやいや…まあまあではなくて……あの花宮先輩?」
「何だ下僕」
「まさか傷をどうこうしようと?」
「まさしく」
「ぎゃぁあ鬼!正真正銘の鬼がここに…!傷が消えなくなったらどうしてくれるんですか!ひぃいい」

それは名案だ。なまえにしては良いことを言うじゃないか。俺が、お前に消えない傷を作るなんて。何とそそられることだろうか。高揚した気持ちを隠すでもなく、ぎらついた目で傷を見つめる。強く手を掴んで、逃げ場をなくして、今まさにその傷に爪を立てようとしたところで。
ぐぅう、と間抜けな音がしたと思えば。

「…お腹が…空いたんですよ…自然の、原理で……」
「………」

深刻そうにそう申し出たなまえに何も言葉が出なかった。激しく殴りたくも笑いたくも泣きたくもなったが兎にも角にもムードをぶち壊しにされたのは確か。どうにも気分が削がれて盛大な舌打ちをした後なまえを解放した。ああ、もうどうしようもないバカだ…。今更ながら痛感して、腹立たしい反面何か別のものも感じた。
なまえは指から流れ出る血を適当なティッシュで巻き付けて止める。料理を再開するようだ。まぁ、興醒め。
再び容易にあっさりと、手のひらをパタリと返すように。俺とその下僕の空気は冒頭の温いものに戻ったのだ。

「ガッツ!どうですかこれ」

余談だがガッツというのはなまえが自信満々な場面にさり気に言う言葉である。よく分からないがまぁこのオムライスに自信があるということだ。ケチャップで得体のしれない生物が描かれている。なんだこれは。
「それは猫です。ちなみに私のはライオンです」
「アメーバにしか見えねぇよ」

味は、まあ。
甘くて苦く、本当にミスマッチな事この上ない奇妙な味だった。

(きみとしたくだらないささめきごと)

その後で、疲れて寝たなまえのアホみたいなツラを前にして何をしたかといえば、そう、限りなくしょうもなく馬鹿げていて、ドロッドロに甘ったるい行為。それだけ
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