「指が綺麗だな」

初めて花宮に褒めてもらえたのは、指だった。どこがどう綺麗なのか私にはよく分からなくて彼を見たけどあとはもう何も言ってくれなかった。ただ花宮が人を褒めるなんて、明日はどんな恐ろしいものが降ってくるのだろうと不安になったのを覚えている。とにかく酷く困惑した私は、原に聞いた。私の指をどう思うか、と。すると彼は言った。

「なんもしてなさそうな指だねー」

確かに私は料理も水仕事もしないから特に手が荒れているわけでも無い。こんなまっさらな指ならば原の言うことにも頷けた。傷がなくて綺麗だ、との意味だったのかはたまた何もできないような指だと皮肉った言葉だったのか。何だか後者のような気がしてきて少しだけ落ち込んだ。これではいけないと思いその日は珍しく料理をした。慣れない包丁の作業で見事指を切ってしまった。それでもこれなら少しは何かができるのだと思ってくれるだろうか。指を古橋に見せると少し目を細めてから言う。

「不器用なのか?」

この絆創膏が貼られた指では不器用に思われてしまうらしい。しかし私も昨日の一回限りの料理で傷を作ってしまうのだから不器用であたっている。でもこれを花宮に見られてはもっと役の立たない人間だと思われそうで嫌だった。その日はずっと袖を伸ばして指を隠すようにして過ごした。花宮に見られたくないと思ったからだ。それにしてもどうしたら皆のように何でもできそうな手になれるのだろう。考えるのに疲れたので、山崎に尋ねてみることにした。彼は怪訝そうに首をかしげて言った。

「綺麗だって言われたんならそのままにしときゃいいじゃねぇか」

あまり納得のいく答えでは無かったけれど確かにそうすることが一番良いのだろうか。そう判断して今までどおり料理もろくにすることなく私は何もできなさそうな指のままになった。ふとお母さんの指を見てみる。家事で荒れた手はお世辞にも綺麗とは言い難かったけれどとても羨ましいと思った。花宮だって、何もできない女なんて嫌に違いない。やっぱり料理を続けることにした。すると予想通り指の傷が増える。私の指は綺麗ではなくなった。不器用にも見える。でも傷は日に日に少なくなっていったから少し嬉しかった。

「その傷は何だ」

ふと花宮から声がかけられた。傷というのはきっと私の指のことだろう。花宮と会うのはあの褒められた日以来久しぶりだ。だから私が料理を始めたことも今知ったのだと思う。何もできないような女の指では無くなった私のそれが初めて花宮の目に映る。私はとても自分の指を誇らしいと思った。この間と比べて大分作れる料理も増えた。これで花宮にだって作ってあげることもできるのだ。それなのに花宮の声は不機嫌そうだった。

「誰に許可とって傷作ってんだって聞いてんだよ」

普段より幾らか低いトーンで発した声を聞いて思わず身体が強ばる。やはり花宮は私の何もないままの綺麗な指が好きだったのかもしれない。花宮の褒めてくれた指でなくしてしまったのは残念だけれど私は今のこの指が好きだ。謝りはするが治す気はない。そう告げると花宮は眉間に皺を寄せてから私に貼られている絆創膏を乱暴に剥ぎ取った。痛い。ぐにゃりと顔を歪める。花宮もどこか歪んだ表情のまま私の指の傷を親指でぐりぐりと押す。痛い。せっかくふさがりかけていた傷なのに。

「お前は何もしなくて良い」

その赤い舌で私の指をべろりと舐める。熱くてとてもしみた。痛みに耐え兼ねて私が抵抗の意思を示すと今度はがぶりと指に噛み付かれる。包丁で切ったときの痛みとは比べ物にならない痛さに視界が滲んだ。どうして花宮はこんなことをするのだろう。最初こそは私も花宮に好かれるような指でいようと思った。けれどもう違うのだ。私は何でもできるような女になりたい。でも花宮は私に、何もできない女でいて欲しかったのだ。そんなのは嫌だ。

「良いから」

花宮の手を振り払おうとしたときに彼が呟いた声がとても悲しいもののように聞こえて動きを止めた。花宮は何がそこまで怖いのだろう。私の何が、彼を不安にさせているのだろう。少し、考える。私は今まで何もできない女。花宮は自分の檻の中で私を飼っていたのだろうか。だから、私が生きる術を覚えて逃げて行ってしまうのが怖いの。そんな気がしてしまった。何もできないほうが、都合が良かったんだ。ああ、何て可哀想な人なのだろう。

「傷を治せ」

弱々しくも私を抱きしめた花宮には今までの悪童の面影はない。それがなんとも可愛いと思った。滑稽なことに、今となっては彼の方が私に飼われているようではないか。不安に揺れる彼の背中に腕を回す。そう、花宮がそこまで願うなら私は綺麗な指を保とう。貴方の傍にいてあげよう。だから、その代わりに。私が彼の耳元で囁くと花宮は少しだけ驚いたような瞳をこちらに向けてから、またすぐに恍惚に目を細めて私の唇に噛み付いた。

「花宮は、脚が綺麗だね」

二人共逃げられないの。

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