時刻はもう夜の九時近かった。
花宮と別れて、公園から出て時計を見ながらため息をついた。もうさすがに学校に残っている人は居ないか、と諦め半分に。しかし弱気になれば必ず花宮に蹴られるだろうから、飽くまでも強気で。できるなら今日のうちに、気持ちを伝えたい。どくどくとうるさい心臓の音を紛らわすように走った。もしかしたら先輩はおろか、誰もいないかもしれない。それでも、良い。一刻も早くあの場所へ行きたかった。

目の前に体育館が見える。幸運なことに体育館内はまだ電気がついていた。誰が残っているんだろうか、なんて緊張しつつ。乱れた息を整えてから、体育館内へ入る。久しぶりにあんなに走ったので肺がずっしりと重たく感じた。疲れた、けれど。上下している肩を少し強ばらせて館内を見渡す。
人がいるようには、見えない。電気の消し忘れか、とも思ったが鍵はしっかり開いていたからきっと違うのだろう。自分の足音がやけに大きく感じられるほど、そこは静かだ。やはり誰もいないのだろうか。少し、不安になる。きょろきょろと辺りを見回したまま歩いて、体育館の中央まで来た。結局ここまで人の気配は無かった。
…何だ。誰も、いや、宮地先輩はもう居ないのか。がっくりと肩を落とす。

そういえば秀徳に入学した日、宮地先輩は迷子になった私を物騒な言葉を吐きながら助けてくれたなあ。それほど月日が経っているわけでもないのに、すごく昔のことのように思える。最初は怖いことを言う先輩だと恐ろしく感じることもあったけれど、まさかここまで好きになってしまうとは思わなかった。本当に恋愛は予想できないなとしみじみ感心する。
体育館の床からひんやりとした冷たさを感じた。体育館は、好き。宮地先輩がバスケをしている姿を見ることができるから。一番輝いている宮地先輩を見れるのは、いつだってこの体育館なのだ。
そう、初めて宮地先輩に好きだと叫んだときも、この場所で。
だから、今日はこの場所で、この溜まりに溜まった思いを吐き出そうと。そう考えていた。本当は、宮地先輩が居たならもっと良かったんだけれど。この際仕方がないから。宮地先輩にはまた明日、伝えることにして。
ひときわ大きく息を吸い込んで、ただ思いのまま。

「私、みょうじなまえは、宮地先輩が」

こんな言葉では足りないくらいに、

「大好きです!」

広い体育館に私の声はよく響いた。
ふう、と一つ息をついて肩の力を抜く。何だかとても気持ちが良かった。ずっと、言いたくて言いたくて仕方がなかったのだ。宮地先輩本人に言えなかったのは残念だけれど。チャンスは今日だけでは無いから大丈夫だろうなんて思いながら、さあ戻ろうと出入り口へと身体を向けると。

「……あれっ」
「………よう」

何故だか宮地先輩が扉に寄りかかるようにしてこちらを見ていた。
…え?どうして宮地先輩がここに居るのでしょう。
いつの間に、とか今までどこに、とかさっきのは聞いていたのかとか聞きたいことは山ほどある、けど。急すぎる出来事に身体が硬直した。本当に宮地先輩なのかと何度も凝視してみたがどう見ても宮地先輩である。表情を固まらせたまま突っ立つ私に宮地先輩は薄く笑いながら口を開いた。

「何してんだよ」

さっきのは聞かれていなかったかもしれない。いや、聞かれていてもいなくてもどちらでも良いには良いんだけれど。でも誰もいない体育館で一人、先輩への愛を叫ぶ頭のイカレた野郎だと思われては困るから、聞かれていないほうが良いのかもしれない。とりあえず一安心しつつ、ごほんと咳払いをして。

「何でもありませんよ?」
「お前さっき帰ったんじゃなかったか」
「…ちょっと忘れ物を取りに!せ、先輩こそ今までどこに居たんですか」
「校舎行ってた」
「ああ、そうなんですか」
「つーかさっきの何」

聞かれていた。
な、何だ…ばっちり聞かれていたんじゃないか。それじゃあ頭のイカレた野郎と思われているってことじゃないか。冷や汗が背筋を流れたような気がした。
でも、さっきの叫びを聞いていたならそれはそれで良い。そもそも私は宮地先輩に気持ちを伝えるためにここまで戻ってきたのだから。目的を果たせて好都合だ。とは思いながらも緊張するものはする。未だに体育館の中央に立ったまま、出入り口付近の壁に背中を預ける宮地先輩を見つめた。距離はあるけれど周囲が静かな上体育館は響くのでそれほど声を張らなくても届くというのがせめてもの救いといったところか。汗が滲む手を握りしめる。

「私は、ずっと逃げていたんです」
「……」
「肝心なところでいつも怖くなって、だから宮地先輩からも逃げて」
「……」
「でも、もうやめたんです。怖いと思うことよりも、宮地先輩を好きだって思うことのほうが大きかったから!」

だから、今度こそしっかりとした気持ちを伝えよう。もう迷うことなんてきっと無いぐらいの、この大きな気持ちを!

「宮地先輩、好きです!」

自分でそう言っただけで満足してしまいそうなほど、気分が良くなる。無意識に緩む口元を隠しもしないで宮地先輩に見せつけた。もう、何を言われても怖くないと思った。私の話を黙って聞いていた先輩がちょいちょいと手招きをする。口元を片方の手で抑えていて表情はよく分からないけれど、それに従い中央から先輩のもとへ向かう。
いつもは走ってあっという間に行けるその距離も、今はとても長いように感じた。自分の足音を聞きながら宮地先輩の前まで来れば、先輩の顔がよく見える。少し赤い、と頭の隅で思うと同時に手首を掴まれ、普段見上げなければ合わない視線が今は何故か見上げていないのにばちっと合う。
「…せん、」
何がと思っているうちにも唇に柔らかい感触があって、途端に宮地先輩の匂いが嗅覚を刺激した。目をまんまるくさせて驚く私をよそにすぐにぱっと離れて、宮地先輩は悪戯っぽく笑いながら私の頬を引き伸ばしてくる。痛いはずだけど、今はよく分からない。

「い、いまのって」
「帰るか」
「えっ、あの、宮地せん」
「お前荷物は?」
「あっちです。…じゃなくて!ちょっと!」
「何?うるさい」

そ、そんな私が迷惑かけているような顔をしなくたって良いじゃないですか!と内心叫びつつ。
い、いまのってキスっていうやつ、だよね?それって好き合ってる同士がする行為だったよね?宮地先輩も、私のこと好きなの?いや、前言ってくれたのは知っているけれど、ちゃんと今聞きたいと思ってしまうのは、駄目ですか。
呆れたような視線をこちらに寄越す宮地先輩の服の裾を引っ張る。今帰られては困る、というか私が寂しい。相変わらず精一杯見上げて、先輩と目を合わせる。

「先輩も私のこと好きですか」
「…分かるだろ」
「なんのことですか分かりません言ってください」
「おっまえなぁ…」
「…私は何回も言ってるのに先輩は言ってくれないんですね」
「………す、」
「…す?」
「っきだよ!刺すぞ!」
「痛い!」

不格好な愛の言葉を何とか述べると同時に頬をぐいっと抓られて思わず涙目になった。な、なんで最後までそんな怖いことを言うんですかと異議を唱える私に構わず宮地先輩はさっさと行ってしまう。酷い、けどそんなところも好きだと思う私はどうかしているのかもしれない。赤くなった顔を隠すようにすたすた歩く先輩の後を追う。ふふふと笑いながら隣まで来ると宮地先輩は気色悪いと言って私の頭を軽く叩いた。
ねえ、先輩。

「しあわせです」
「…そーかよ」
「あ、帰りにたこ焼き買ってください!」
「何でだよ」


純潔アバンチュール
(冒険はここからが本番ですよね!)

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