やってしまった。
まさか、こんな。こんなやつの前で、泣くなんて。ああ、もう最悪だ。花宮の前で泣くぐらいなら腹踊りでもしたほうが断然マシだ。
後悔してももう遅い。もう涙は止まることを知らないし、今更涙を止めたところでどうにかなることでもない。こいつの前では泣きたくなかったのに。花宮に無様な顔を見せまいと顔を伏せる。そうすれば余計涙は落ちてしまうのだけれど。もう、どうだっていいかなんて思ってしまって。

「…おい」

掛けられた声は低い。ああ、どうしよう。これでは今まで以上に酷くいたぶられるような気がしてならない。
泣けばどうとでもなるような、そんな簡単な女だと思われたくなかったから。花宮にだけはそう嘲られたくなかったから。だから今まで何があっても耐えてきたはずなのに。こんなところでこうもあっさりと打ち砕かれてしまうとは。自分の膝を見つめて唇を噛んだ。悔しい、ひどく惨めだ。力を込めて握り締めた手を、不意に掴まれる。思わず怯えたような声を出してしまった。恐る恐る顔を上げるとなんとも言えない表情をした花宮がそこに。

「ここで泣かれても困るんだよバァカ」

そう言うと花宮は私の腕をがっちり掴み、支払いも適当に済ませて店を出た。あまりの突然の出来事に頭が追いついていない中、ずるずると引っ張られてきたのは公園だ。…確か、高校生になって初めてこいつと会った場所でもある。あのときも散々な目にあった。そういう場所に、また同じ人物と一緒にいるのだから気が抜けない。しかし涙はもう止まっていた。悲しみや恐怖より、戸惑いのほうが大きかったからだと思う。

「座ってろ」

どさっと乱暴にベンチに座らされる。尾てい骨を打った、痛い。何をするんだと打った尾てい骨を摩っていると花宮はすたすたと何処かへ行ってしまった。まさかもう用済みだ、と置いていくつもりじゃ…。でもまあそれはそれで良いのかもしれない。そう思ったところで私の傍らに花宮の荷物があることに気づく。忘れたのか、それとも戻ってくるからなのか。いや、花宮のことだ。忘れたというわけではないだろう。さすが無駄に一緒にいただけはあって、それは当たった。

「ほらよ」
「…何ですか」
「泣き虫なまえちゃんにはジュースをプレゼントしてやるよ」
「結構です」

しかも泣き虫って。花宮の前で泣いたのは今日が初めてだもん、そう言われるのは心外だ。つーん、と差し出してくる缶ジュースを無視していると頭の上に乗せられた。このままキープしておくのは自分としてもつらいので渋々受け取る。なんだ、オレンジジュースって。子供扱いもいい加減にしてほしいところだ。缶を両手に持って視線を落とす。
でも、本当に。どうすれば花宮とは分かり合えるんだろう。もしかしたら、私がいくら話をしても聞いてくれないのではないか。わかってくれると、思っていたけれど。
ぐるぐると考える私を、立って見下ろす花宮にはとてつもない迫力がある。そういえば前回この公園にきたときは、私が立って、花宮が座っていたから。何だか逆だ。関係は逆転できていないけど。

「なまえ」
「…はい?」
「お前が惚れてるヤツ、当ててやろうか」

突然の台詞に、目を見張った。当ててやろうか、だって?花宮がそう言うときはいつも確信しているときじゃないか。私は宮地先輩にまで危害が及ばないように、悟られることがないようにしていたはずなのに。まさか、そんな。愉快そうに花宮の口から紡がれるその名前に血の気が引いた。ここで高尾和成、なんて言ってくれたら少しは笑えただろうに。

「なんで」
「んなもん見なくたって分かる」
「花宮先輩って本当のエスパーだったんですね」
「そういうお前はエスパーの素質ゼロだな」

そんなやりとりをしながらも私の心臓は忙しなく暴れている。もう何をしたら良いのかなんてわからない。そんな私に気をよくしたのか、花宮は私の隣に腰を降ろした。なんとも恐ろしい。不気味に口角をあげたまま、愉しそうに口を開く。

「まあ、そうだな…玩具扱いはやめてやるよ」
「えっ」
「泣く玩具はいらねぇよ」
「ほっ、本当ですか」

花宮の言葉に胸が高鳴る。やっと、玩具扱いをやめてくれるって!これは大きな進歩に違いない。隠すことなく目を輝かせる私に花宮は言葉を付け加える。
「それと、」
それと何なのか。私の瞳を見据える花宮に気圧された。しかし彼から紡がれる言葉を聞けばまた大きく胸が高揚する。

「恋もして良い」

まさか花宮からそう許しがでるとは思わなかった。いきなり何が彼をそうさせたのかよく分からないけれど、そう言うのなら私は言葉に甘えたいと。思ったけれど。
ちょっと、待って。これではなんだか上手く行き過ぎなのではないか。あの花宮が、何の考えもなしにそんなことをあっさり言うものなのか。いや、そんなはずはない。きっとなにか企みがあるはずだ。
「けどな、」
予想通り、言葉は加えられて。見事私の考えは当たったようだ。エスパーの素質はゼロじゃない。

「お前に恋愛なんていうものはできない」
「どういう、」
「するなと言ってるんじゃねぇよ、できないんだ」
「…何が、」
「お前は肝心な時に逃げるだろ」

恐ろしいまでに的を射た発言だと思った。
現に私は逃げていたから。宮地先輩からも、自分の得体の知れない感情からも。
宮地先輩は好きだ。誰よりも、何よりも。ただ、自分のどうしようもない不安感がまとわりついて消えない。だから怖くて今もなお逃げていた。一体何が怖いっていうんだ。分からないけれど。でも、

「…不安で仕方がないんです」
「いずれ別れることになるのが?」
「それも、あると思います。でももっと、不安で怖いのは」
「………」
「私が、宮地先輩の恋愛の選択肢を消してしまったんじゃないかって」

そう、そうだった。私はずっと、これが怖くて。どうしようもなく不安で。
私が好きだ好きだと言い寄るから、私は宮地先輩に自由な恋愛をできなくさせていたんじゃないかと。宮地先輩から好きだと言われたときは嬉しかった。もう、死んでも良いと思える程に。でも素直に喜べないのはそういう思いがあったから。もし私が宮地先輩を好きにならなかったとしたら、宮地先輩はもっと素敵な人と恋をしたんじゃないか。私は宮地先輩の素敵な恋を、殺していないか。それだけが怖かった。
缶ジュースを強く握る。そのひんやりとした温度は冷え切った私の手にひどく突き刺さったように感じた。

「俺の思った通りだな」
「…そうですね」
「じゃあ」

肩を押される。軽くやっているように見えて実は結構な力で。そのまま抗えずにいると背中をベンチに打った。痛みを感じるより焦りのほうが大きかった。ええと、これは。覆いかぶさるようにして目の前に映る花宮に、顔が青ざめる。ひどく愉しげな表情だと思った。

「花宮先輩」
「もうやめて、大人しく俺のものになったらどう」
「…いやで、」
「怖いんだろ?お前があいつの本当の恋を殺したんだろ」
「……、でも」
「なまえごときに恋を殺される程度のやつなんだろうよ」
「っ、ちがう」

宮地先輩は、そんな人じゃない。

「宮地先輩はどんなときも、自分の意思がある人なの!それを何も知らない花宮が分かった気になるなんて一万年早い!ナメないでほしいわ!」

馬乗りになった花宮をありったけの力で押し返す。花宮は私の言動に呆気にとられたのか案外あっさり退いた。
そう、そうだよ。宮地先輩をナメていたのは私だったんだ。自分で勝手に不安になって、逃げて。宮地先輩が私なんかに殺されるわけないのに。宮地先輩はいつだって、バスケにも勉強にも何にだって一途な人なんだ。だからきっと。私が不安になることなんてなかったのだ。

「だったら行けよ」
「…え?」
「勝手にしろ。まあ、お前には無理だろうけどな」
「先輩…、あ、えっと、ありがとうございます」
「ふはっ、バァカ!まあせいぜい当たって砕けて泣いてろよ」

なぜ砕ける前提なのかよく分からないけれど。そう、もう砕けたって良いような気がする。これだけこの悪童に痛めつけられたのだから、これより怖いことなんてきっと無い。それより早く、宮地先輩にこの気持ちをぶつけたい。宮地先輩は受け止めてくれるかな。どんなに大きくても、あの宮地先輩ならば、必ず受け止めてくれる。自分で不安になって逃げていては、何も。今まで私がしてきたことは意味をなさなくなるから。
初めて、花宮に感謝をした。礼をしようとしても、きっと馬鹿にされるだけだから今は。

「私、花宮先輩のことすごく嫌いです!」
「ハッ、俺もだよバァカ」

これでいいかな。

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -