皆さんご存知でしょうか。この秀徳高校バスケットボール部の伝統、一軍強化合宿というものを。近々そんなものがあると耳にはしていたけれど、最近ごたごたが多かったせいか私の容量の少ない頭の中からは綺麗さっぱり抜け落ちていて。だから、そう。まさか夢にも思わなかったのです。その合宿が、まさに、今日であるということを。
「あと二十分以内に来なかったら轢き殺す」
語尾に星マークでも付いていそうな宮地先輩からの声が入った留守電に顔面蒼白。今までにない速さで身支度を整えた後、合宿に必要なもの最低限をバッグに突っ込み、それからはひたすらに走る。何でもっと早く、言っておいてくれなかったの。確かに昨日のミーティングは寝てたかもしれないけれど、もうちょっとこう、明日から合宿だね!なんて会話があっても良かったんじゃないの。まあ合宿を忘れる人なんてそうそう居ないだろうけれど、そこは私なんだからもっと気を利かせて欲しかった。と、責任転嫁も良いところに嘆きながら足も息も何もかもが限界に達したであろうころ、やっと私はみんなの集合場所にたどり着くことができたのである。

「ちょっとなまえ大丈夫?」

今にも倒れそうな私に気づいたみっちゃんが駆け寄ってきてくれた。そのみっちゃんに続き先輩達が呆れたような目をこちらへ向け、高尾がげらげらと笑っている。ちくしょう、とにかくギリギリ時間間に合ったんだからそんな顔しなくたっていいじゃないか。よろよろな私をみっちゃんが支えてくれて、何とかみんなの輪の中に入ると早速監督からプチお説教を喰らった。立っているのもままならない私にそんなお説教なんてなんという鬼畜、と小さくつぶやくとそれを聞き取ったらしい大坪先輩に軽く肘で小突かれた。うぅ。

「つーか何で合宿とか忘れんのなまえちゃん、マジ朝からウケる!」
「もう許して…」

いつまでも噴き出しては爆笑する高尾にげんなりしつつ、ぞろぞろとバスに乗り込んでいく。バスときたらこれはもう宮地先輩の隣に座るしか、と意気込んだのはいいものの今の自分がとても宮地先輩の近くに行ける姿ではないことに気づき涙を飲んで引き下がった。ぴょんぴょんと四方八方に跳ねている髪の毛を右手で抑えながら席に座ると隣にみっちゃんが座った。

「髪、直してあげようか?」

その言葉に勢いよく頷くと、みっちゃんはくすりと笑いながら私の髪に触れた。とりあえず髪のことはみっちゃんに任せるとして、問題なのは他にあって。何しろ今朝ふと起きた時に宮地先輩の留守電を聞いたわけだから本当に、何も準備なんかしていなくてこうして着替えて合宿の衣類なんかを持ってくるだけで精一杯だった、わけで。要は、朝ごはんを食べていないってことなんだけれど。今にもお腹が鳴りそうだ、とため息をつく。大体こうなったのもほぼアイツのせい。あの悪童が世にも恐ろしいことを言ってくるものだから私は寝るにも寝れなくて。アイツは今吉のことを妖怪と言うけれど私から言わせてみれば花宮のほうがよほど妖怪だと思う。狂気とかホラーとかそういった意味で。

「なまえ、何かあったの」
「えっ」

悶々と考えに耽っていると私の髪を弄っているみっちゃんが不意に口を開いた。唐突もなく何かあったのかと言われて思わず間抜けな声が漏れる。その私の反応を見てやっぱり、と言ったみっちゃんは読心術でも習っているのだろうか。是非見習いたいものだと感心する私をみっちゃんは少し怒るような声をあげた。

「誤魔化しても駄目だからね」
「う」
「なまえはすぐに顔に出るからわかりやすいよね。そのくせ私には何の相談もしてくれないし」
「ご、ごめん。でも、」

でも。こんなどす黒い私と花宮の問題を真っ白なみっちゃんに話して良いものなのか分からない。それは宮地先輩にも然り。きっと秀徳にいるときの私と、あいつといるときの私は別物だから。言葉を詰まらせる私を見かねたみっちゃんは私の髪から手を離し、少し寂しそうに目を伏せた。ああ、そんな顔をさせたかったわけじゃないのに。
「やっぱり私は頼りないかな」
「違うよみっちゃん、そうじゃなくて…」

ぐらりと差し掛かった急カーブに身体が揺れる。ああ、もう、どうしたら良いだろう。本当に悪の根源である花宮の口に今すぐこんにゃくを突っ込みたい。あと生きてるタコを投げつけたい。吸盤に張り付かれて墨吐かれてしまえばいいんだ、もう。悲しそうな表情なみっちゃんにあたふたとしながら、少し周りを見渡す。誰にも聞かれないと良いんだけれど。とりあえず後ろに座っている高尾は寝ているし、大丈夫だろう。そう確認してから、改めてみっちゃんに向き直る。あのね、と声をかけるとみっちゃんはその瞳をこちらへ向けた。

「私、怖いの。すごくね」
「…こわい?」

うん、と頷いてから。

「私は宮地先輩のことが大好きだけど、それだけで宮地先輩にまとわりつくのって本当はすごく自分勝手なことなんじゃないかって。私が宮地先輩を好きなことで、宮地先輩に迷惑がかかっちゃうかもって、思って」

みっちゃんは黙って聞いていたけれど、少し考えるように首をひねってから何で、と問うた。…何で、と聞かれると何だか答えにくい。花宮のことを話すわけにはいかないし、みっちゃんには余計な心配をかけたくないから。ゆらゆらとバスに揺られながらうーん、と唸って。やっとこ出てきた言葉はこう。

「私の命を狙ってる悪魔が居たとして、もしその悪魔が私は宮地先輩のことが大好きだってことを知ったら悪魔は宮地先輩を傷つけてしまいそうでしょ」
「…なにそれぇ?」
「例え話だけどね。でも私は宮地先輩に傷ついて欲しくないなあって思って、だからやっぱり相手を思って身を引くことも大事なのかなって」

納得がいかないような表情のみっちゃんに苦笑を返す。やっぱり、わかってもらえないかな。でも例えるなら、さっきの話が一番しっくりくると思ったんだけれど。花宮の手によって宮地先輩が怪我しちゃったりするのは、本当に嫌だから。そういった意味合いを込めて言った言葉に、みっちゃんはううーん、と考えてからやっぱりあんまりスッキリとしない表情で、でもしっかり芯のこもった声で言った。

「でも宮地先輩って、なまえが守らなきゃいけないほど弱い人なの?」
「……え」
「私はむしろ、なまえのほうが守られなくちゃいけないと思うんだけど」

違う?と純粋にそう首をかしげたみっちゃん。私は何も言えなかった。確かに、私は宮地先輩に傷ついてほしくないと思っている、けど。仮にも宮地先輩は私より、ましてや花宮より年上なわけで、ちゃんと男の人で。頭も良いし、守らなくちゃって私が必死になるのは可笑しかったかもしれない。今まで考えたこともなかった視野で捉えたその新しい発見に、思わず目を見開く。私の反応を見て微笑んだみっちゃんは少し肩をすくめて言う。

「それとももう諦めるの?私は宮地先輩に一直線だったなまえが好きだったのに」

ああ、と。何て優しい子なんだろう、この人は。そう言われたら何が何でも私は宮地先輩を諦められなくなるって分かってて。こうしてみっちゃんは私を簡単に元気付けてくれるのに、私はみっちゃんに何もしてあげられていない。それがどうにももどかしいと思った。でもきっとみっちゃんのことだから、このことを言ったらなまえのおかげで木村先輩にアタックできるようになったんだよって言うんだろうなあ。どこまでも優しい子。その優しい子は、今思いついたようにふと口を開く。

「でも、その悪魔の話って何か嫉妬に似てるよね」
「嫉妬ぉ?」
「悪魔がなまえのこと好きだからなまえの大切なものは全部奪いたいって、そういうのってあるでしょ」
「…ぶふっ、なにそれ、笑え、」

ない。
そういえば花宮のやつが好きだよとか言っていたような気もするけれどあれはいつもの演技なのだろうか。なんだか演技というにはちょっと違和感があったけれど、かといって本気だとは思えない。本当に何考えてるんだろうあの人。この間はもはやホラーの域に達しそうな感じだった。もういい加減私に飽きてくれると良いんだけど。…まあ、良いか。今は合宿だし、花宮とは合わなくて済む。その話はまた後で考えることにしよう。それにしてもお腹すいたな。やっぱり何かしら食べてくるんだった。
ふう、と一息ついたところで突然頭部に衝撃を感じた。何かが落ちてきた、と慌てて落ちてきたものを手に取るとそれはコンビニのパンだった。どこからパンが、と周りを見渡す。思い当たる人物といったら、あいつぐらいだけどまさかね。なんて思いながら身体を後ろへ向ける。

「緑間、パン投げたでしょ」
「投げてないのだよ」
「ぶふ!嘘つくなよ真ちゃん!あのななまえちゃん、緑間のやつがそのパンうったんだぜ。シュートみたいに!」
「食べ物で遊ばないでくださ〜い」
「あっちなみにそのパンは宮地さんがくれたんだぜ!ね、そっスよね!」
「うっせ高尾」

宮地先輩が高尾に保冷剤を投げつけている。あれは痛そう、と思いながら宮地先輩のさりげない優しさにまたもときめく始末。ああどういっても宮地先輩には敵わないんだなあと思いながら最高の笑顔を浮かべて宮地先輩に手を振る。

「宮地先輩ありがとうございます今日も大好きです〜!」

「おいみょうじ〜、ちゃんと前向いて座れ」
「すみません監督!」

そんな光景を眺めてみっちゃんは笑った。

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -