「高尾って恋したことあるの」

部活終了後、眠たそうにモップをかける高尾にそう言うと彼は一瞬驚いたような顔をしてからまあな、と返した。まあ、そりゃあ恋ぐらい誰だってしたことはあるか。高尾は何だか経験値とか高そう。高尾のこと好きっていう女の子多いもんね。今までにいっぱい付き合ったり告白されたりしてきたんじゃないかな。そんな過信もいいところな思いを抱えてそうかあ、と言えば高尾はすこし怪訝そうな目をこちらに向けた。ちょっと離れたところで緑間が早くモップを終わらせろとかなんとか言っているような気がするけれどそんな声は無視してもう一度高尾に向かって口を開いた。

「やっぱり胸がずきゅーんってなったの」
「え?あー…なった、かなー」

欠伸を咬み殺すように言った高尾にやっぱりなるんだ、と感心したような声を漏らす。そりゃあ私だって今までに何人かの男の人を好きになったことはあるから別に今回が初めての恋だったというわけではない。でもこれほどまでに、はまったというか落ちたというか。とにかくこんなに本気になった恋は初めてだった。宮地先輩を見るたびに花でも出せるのではないかというぐらいに高ぶる心とか、宮地先輩が笑うたびに撃ち抜かれたように衝撃を受ける心臓とか、もう全部。こんなの、今まで無かった。だからもうこれを初恋と言っても過言ではないぐらいに。私は宮地先輩に落ちてしまっている。そういう恋をみんなしているものなのかと、知りたくて。今まさに高尾にそれを聞いたところだ。

「高尾もそんな恋したの」
「まあ、した…んかな?まだ分かんねえけどそれっぽいやつならあったかも」

一通りモップをかけ終えて器具庫まで向かう。今日の練習メニューがよほど堪えたのか高尾は時折だるそうな声を上げて足を運んでいく。その姿を瞳に映しながら後を追った。そうか、やっぱり高尾もこういう恋したことあるんだ。妙に納得しつつ器具庫の中に足を踏み入れる。…あれ?でも今高尾って彼女とか、居ないよね。私が知らないだけかもしれないけれどそういった噂は聞いたことがない。今もまだ想ってる最中ってところなのだろうか。部室の方で宮地先輩の怒号が響いている気がした。また何かやっちゃったのかな、みんな。ちょうどモップを片付けたところで高尾が不意に、でも、と口を開く。何、と高尾に目を向けると高尾は器具庫の鍵を手で弄りながら低いトーンで言い放った。

「報われなかったけどな」
「…どういう事?」
「その子にはもう既にそういう本気の恋の相手が居たってワケよ」

自嘲するかのように高尾は笑った。その言葉に思わず身体が固まる。…何か、無神経なことを聞いてしまったかもしれない。そう思った私の心を読み取ったらしい高尾は別に気にすんなよ?と付け足す。高尾に促されて蒸し暑い器具庫の外に出ると少しだけ空気が涼しくなったように感じた。かちゃかちゃと鍵を閉める高尾の後ろ姿を見つめながら無意識に眉根を寄せる。…それって、つまり私からすると宮地先輩にはもう本気で好きな人が居て、私なんか見る暇もないくらいにって。そういうこと。もし私がその状態になったとしたら、絶対耐えられない。想像するだけで頭の中が真っ白になりそうだ。でも、それを、高尾は経験しているわけで。視線を落とす私を見かねた高尾はバツが悪そうにあー、と声をあげる。

「まじで気にすんなって。そんなのよくあることだろ?ただの片思いだったわけだしさ」
「でも」
「実際両思いになれるってほうが圧倒的に少ないんだよ、そういうのはさ」

だからなまえちゃんはすっげー幸せ者だわ、と言うその言葉に我ながら納得した。宮地先輩が私をどういった感情で見ているのかはさておき、可能性がゼロではないことに。ひどく安心感を得る。もうこうなったら尚更宮地先輩に当たっていくしかないと決心するとともに気づいたことがある。恋愛って本当に難しい。報われる恋なんてほんのひと握りで、その他は自分の気持ちを受け止めてもらえずに終わっていくんだ。

「だから、なまえちゃんが宮地さん一筋なことで報われないヤツも居るってわけ!」
「…なにそれ」
「さあ」

肩をすかして茶化すようにケラケラと笑う高尾に首を傾げる。つまり、ええと。好きな人が出来た女の子が居たとして、その女の子を前から好きだった男の子は報われなくなって…ああ、もう難しい。とりあえず、そう、恋は…奥深いのである。と、無理やりまとめていった私に高尾は苦笑いをするわけだけれど。でもその奥深い恋の話を聞くと恋って怖いと思う。その代わり報われたら、自分が世界一幸せって気持ちになれるんだって何処かのテレビドラマでやっていたような気がする。まあ、でも。それほど器用でもない私は今はとにかく宮地先輩にぶつかっていこうと、思って。着替えのために部室へ入っていこうとする宮地先輩に向かって走っていくとすごくげんなりした表情で汗臭いから近寄んな!って言われた。…汗臭い、って。私ですか、そんなに汗臭いか私。そんな私を高尾は遠い目をして見ていたけれど。みんな酷い。

そして今日も今日とて宮地先輩と帰り道を共にする、予定だったのだけれど。急用が入ったとか何とかで宮地先輩とは帰れなくなってしまった。あからさまにショックを受ける私に宮地先輩はのど飴をくれた。のど飴はそれほど好きじゃないけど宮地先輩はくれたものならすごく好きになれるような、でも、のど飴で機嫌取りってどうなんだろう。もらったのど飴を口に放りこみながら首をひねった。

「んならなまえちゃんチャリアカー乗ってく?」
「あ、大丈夫。ただでさえ高尾死にそうなのにひとり増えたら大変なことになるでしょ」
「ちょ!何で俺が漕ぐこと前提なの!」
「え?ちがうの?」

なまえちゃんひでぇー、と零す高尾に手を振りながら校門を出る。一人で帰るのは何だか久しぶりだ。多少の心細さを感じつつ暗い夜道を歩く。よっこらせと重たい鞄を肩に下げて、迫り来る眠気に堪えた。宮地先輩のことを考えれば多少は眠気も覚めるけれど。はーっ、と長い息を吐いてみる。暑い。もう夜になるというのに、この暑さ。そしてこの暑さの中あんなに動き回れるバスケ部の皆さん。尊敬に値すると改めて感心した。ああ、そういえば今日、みっちゃんと木村先輩喋ってたなぁ。どことなくぎこちなかったけど。でも、良かった。きっと、報われる時が来るよね。赤に変わった信号機を眺めながら少しだけ笑みを浮かべた。でもどれだけ報われない恋でも、きっといつかは本当に自分を愛してくれる人が現れて、幸せになれるんだよね。私はできることなら、宮地先輩がその人になってくれたら良いと…思ってる、けど、と。そう思った突如。信号待ちに止まっていた私の膝がかくんと少し崩れる。何だ、と膝裏に当たったものを確認するため背後を振り返るとそこには悪魔のような笑みを携えたヤツがいた。

「…挨拶が膝かっくんってお茶目な事しないでください花宮先輩」
「お前ちょろすぎだろ。少しは背後に気をつけろよ、まあお前なんか襲うヤツ居ねえだろうけど」
「いきなり何のイジメですか」

開口一番からズバズバと心をえぐるような言葉は突き刺さり思わず気が滅入る。信号が青になったのを視界の端で捉えてよし今だと逃げようとするもばっちり後ろ襟を掴まれてそれは適わなかった。畜生、と小さく漏らす私に花宮は微塵も哀れまずに容赦なく私の家とは反対方向へと引きずっていく。え、嘘。何これ誘拐、拉致、いやいや無理無理、勘弁してください。そんな私の抗議は一つも聞こえないといったふうに飄々と私をずるずると引きずる花宮はすごく楽しそう、否、愉しそうであった。その薄く貼り付けてある笑みがとてつもなく恐ろしい。絶望に顔を引きつらせる私に目もくれず歩き続ける花宮が連れてきたのは思いのほか無難で一般的なファミレスだった。…え?何で普通にお茶する流れになってるの。そんな久しぶりに会った旧友みたいなノリで良いの。理解できずに向かいに座る花宮に首をかしげた。

「コーヒーひとつと……オレンジジュースひとつ」
「かしこまりましたー」
「…オレンジジュース飲むんですか先輩」
「いやオメーだよ」

とんだ子供扱いだ、と嘆く私に冷たい視線が突き刺さる。いや、待てよと。思う。本当に何でファミレスなんかに寄ったの私たち。別段親しいわけでも、接点があるわけでもないのに。むしろ嫌い合ってる二人なのに。なんともシュールである状況に笑いさえも起こらない。テーブルに頬杖をつきながら暗くなった外を見つめている花宮に真意を問いただしたかったが何だか怖かったのでやめた。しばらく無言だった花宮はそわそわと視線を泳がす私を見かねてハッ、と冷たく鼻で笑ってから口を開く。

「そういや秀徳、誠凛とかいう新設校に負けたらしいな」
「…そう、ですけど」
「素直に俺らんとこ来てりゃさくっと勝てたかもしれねえのに、なぁ?」

挑発するように蛇のような目を私に向ける。思わずかっとなって声を荒げてしまいそうになったけれど、絶妙なタイミングで飲み物を運んできた店員さんのおかげでそれははばかられた。目の前に置かれたオレンジジュースのストローを加えながらふつふつと湧き上がってくる怒りをおさめる。突っかかってこなかった私に少し感心したようにふうん、と小さく声を零す花宮はコーヒーカップに手をつけて口端を吊り上げた。…本当に嫌だ、さっさと帰りたい。特に美味しいとも思わないオレンジジュースを口にしつつ拗ねるように目の前の男から顔を背けた。

「ふはっ、拗ねるなよ。何ならパフェでも頼んでやろうか」
「子供扱いはやめてください、私もう高校生です。じぇーけーというやつなんですよ」
「ハッ、そりゃおめでてーこったな」

馬鹿にするように返される言葉に苛立ちを覚える。何がしたいんだろうか本当にこの人は。もう会話をする気さえ起きなくて無心にオレンジジュースを啜る。早くこれを飲んで帰ろう。明日はきっと宮地先輩と一緒に帰れるから。今日頑張れば、明日は楽しいから。私と宮地先輩の間に突如はだかった大きな障害に苦痛を感じつつ、花宮って恋とかしたこと無いんだろうなと勝手な思い込みをする。せっかく顔は良いのに。中身はともかく、こんなにイケメンなのに。勿体無い。これで中身がもっと良ければ幸せな毎日を送れたに違いないのに。こいつは一度失恋とかしてみるべきだと思う。愛の大切さを思い知れ、と言ってやりたい。

「花宮先輩も彼女とか作ったらどうですか、余裕で作れますよね」
「…キメェこと言うなカス」
「カス!?…先輩って恋したことあるんですか」
「キメェこと言うなカス女」
「カス女!?」

会話が成り立っているのかそうでないのかよく分からない言葉を交わす。その調子だと恋の経験とか無さそうだなあ、遊びとかならありそうだけど…まあ、私が気にすることではないけどね。きっとそのうち花宮先輩の暴言さえも愛してくれるすごく心の広い女の人が現れるだろう。たぶん。自己完結してうんうんと頷いているとふとチカチカと光る携帯に目が留まる。着信である。こんな時間に着信があるなんて珍しい、と思いながら発信者を確認すると、思わずオレンジジュースを口から噴き出しそうになった。ディスプレイに映し出された名前は紛れもなく。宮地先輩で。動揺した私は口に含んだジュースをごくんと飲み込んで手汗が吹き出す中その通話ボタンを押そうと、そう、押そうとしたその瞬間。ばしんと物凄い勢いで携帯を持った手が叩かれて、痛い、と思ったときにはその衝撃によって飛ばされた私の携帯はとんでもない勢いで床に落ちた。
「……」
「……」
何が起こったのか分からず、ただ目の前に座る花宮に目を向けると彼は感情の見えない冷たい眼差しでこちらを見ていた。ぞく、と背筋が凍る。花宮によって叩き落とされた携帯はまもなくして着信を知らせるのをやめた。ああ、切られてしまった、と思いながら。訴えるような目をヤツに向けるも花宮は何故だか逆に何かを責めるように目を細めて私を見やった。…何で私が怒られる、みたいな、そんな顔をするのか。私は何も分からない。
ただ叩かれた手が痛い

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