「あのねなまえ」

朝、まだ眠い目を擦りながら体育館に足を踏み入れると、数少ないマネージャー仲間であるみっちゃんが私を呼び止めた。正直私の寝起きは良いほうとは言えないのでまだ意識が虚ろである。そのことを知っての上なのかよく分からないけれどみっちゃんは私の腕を掴んで体育館の隅に引っ張った。何やらいつになく真剣な表情をして、それでいてどこか照れたような動きで周りを確認するみっちゃんは可愛い。これから部活が始まるとはいえ、まだみんながくる時間にはちょっとだけ早いからそんなに心配しなくても立ち聞きされることはないと思うけれど。びっくりしないで聞いてね、と先に言うみっちゃんに頷いてから、耳を傾ける。するとみっちゃんは弱々しい声で言った。

「私、木村先輩のことが…好きなの」
「……え?」
「だから、私、木村先輩が…」
「…えっ!?」

ちょっと声大きいよ!と顔を赤くするみっちゃんに、私は目を丸くした。さっきまでのみっちゃんの様子じゃ恋の話だろうとは思っていたけど、まさか相手がその…木村先輩だとは。今まで私に重たくのしかかっていた眠気がぱっと吹き飛んだ。き、木村先輩ってあれですよね、宮地先輩とすごく仲が良くて八百屋の息子の…。ぽかんとする私にみっちゃんは誰にも言わないでね!と念を押す。それに何とか返事をしてから、改めて頭の中を整理してみる。みっちゃんは木村先輩のことが好き。みっちゃんは、木村先輩のことが。…ああ、驚いた。みっちゃんはどちらかというとすごく可愛い服とか着て可愛いものを集めてたりするイメージがあるから、好きな人とかもこう、いけめぇん、な人かと思っていた。木村先輩にはちょっと悪いけれど、みっちゃんが好きになるような人だとは思ってなかった。

「え、いつから好きなの?」
「いつ…かなあ、この間のインターハイの時の試合見て何かこう…かっこいいなって思ってて…」

結構最近だー!それじゃあ私が気づかないのも無理はないか。みっちゃんの思わぬ告白に衝撃を受ける。何だ、みっちゃんは緑間か高尾あたりのことが好きなのかと思ってた。木村先輩、かあ。まあ木村先輩って優しいし、男らしいし、気難しそうな宮地先輩ともやっていけてるぐらいの人だから言われてみると好きになるというのも分からなくもない。あ、もちろん私は宮地先輩しか見えないけど。恥ずかしそうに目を伏せていたみっちゃんは歯切れが悪く言葉をぽつりぽつりと吐き出していく。その曖昧な言葉の理解に苦しむ私を見かねたみっちゃんは意を決したようにばっと顔をあげて私と目を合わせた。お、びっくりした。

「お願い、協力して!」
「協力…?私、自慢じゃないけどそんなに役に立てる自信ないよ?」
「良いの!ちょっと私と先輩との接点を増やしてくれるだけでも…お願い!」

顔の前で手を合わせて可愛くお願いするみっちゃんを私は断れるはずもなく。もちろん良いよ〜!とどさくさに紛れてみっちゃんに抱きついて胸の当たり具合を確認しているとあくびをしながら通りかかった高尾に変な目で見られた。絶対何か誤解された気がする。でも、まあ、私の愛しのみっちゃんのためにも今日は頑張ってみようかと思います。木村先輩のタイプとかって聞いたことなかったけどどんな子が好きなんだろう。もし私が男でみっちゃんに告白されたら即おっけーなんだけど、木村先輩もそうかな?…もしかして、宮地先輩も……

「みっちゃん!木村先輩はあげるから宮地先輩は駄目だから!ね!みっちゃんには木村先輩がいるから、宮地先輩は私にっ」
「わ、分かってる!分かってるから声!声が大きいってなまえ!」

そっか、なら良かった…。こうなったら私はもう必死でみっちゃんの恋を応援してやります。めらめらとやる気を出して見せた私にみっちゃんは心強いよと笑った。みっちゃんはすごく優しい。だから別に私が何かしなくたって、うまくいきそうな気がするんだけど、なあ。そう簡単なことじゃないのか。やっぱり恋って難しい。みっちゃんと部活の準備をしながらうーん、と悩んでいるとみっちゃんは私を見ながらどこか羨ましそうに口を開いた。

「でもなまえはすごいよね、そうやってちゃんと好きって気持ちを言えて」
「え?そうかな、むしろ迷惑かけてるような気もするけど」
「ううん、すごい。こんなに想われて宮地先輩も幸せ者だよ」

幸せそうには見えないけれど。みっちゃんの発言に首を傾げながらいつもの宮地先輩を思い浮かべる。何だかあんまり考えていることがよく分からなくて、急に怒ったり呆れたりするけど、やっぱり急に笑ったりしおらしくなったりして。パッと見怖い感じしかしないけどちゃんと優しくて。そんなところに私は見事に心を打ち抜かれているわけで。まあ大体は私が強引に押しかけて、それを宮地先輩が呆れながら受け止めてくれるという感じだと思う。だから私はその優しさに甘えている。宮地先輩が私に好意を持ってくれている、というよりは宮地先輩がただ優しいだけだと私は思う。たまに、極まれに。私に本音を見せてくれるときがあるけれど、あれは。少なからず私に心を開いてくれていると思ってしまっても良いのかなあ。

「だって宮地先輩って、なまえと一緒にいるときすごい笑うじゃん」
「宮地先輩が普段笑わない人みたいな言い方だよそれ」
「あ、違うの、何か…こう、私たちに見せる顔とはまた別の…すっごい優しいかんじの!」
「だと嬉しいけどね!」

何だかみっちゃんの優しさが胸にしみる。これだけ嬉しいことを言ってくれるみっちゃんの恋をなんとしてでも成就させてあげたいな。あんまり、恋のこととか得意じゃないんだけど、みっちゃんのために私は頑張るよ。部活の時間が近づくにつれて続々とやってくる部員たちに挨拶をしつつ、意気込む。木村先輩はいつも部活にくるのが早い。宮地先輩もだけど。入口付近から早速やってきたその二人を見つけた。思わずいつものように宮地先輩に飛びつきそうになるのを堪えて、となりで顔を赤くするみっちゃんの手を引っ張ってその二人のもとへ向かった。え?本当は宮地先輩目当てだろうって?当たり前です!おはようございます!と言ってからみっちゃんを木村先輩のほうへぐいっと押す。作戦通り木村先輩に倒れ込んだみっちゃんがこれ以上ないほど顔を真っ赤にしている。

「大丈夫か?」
「あっ、す、すみません木村先輩…!」
「いや、大丈夫だけど、」

ぎこちない動きで会話をする二人を見てつい笑いそうになった。そんな私を宮地先輩がすごく不審そうな目で見ていたことを私は知りません。私を責めるように視線をやってきたみっちゃんに爽やかな笑顔を返してから宮地先輩を見上げた。このまま二人にしてあげよう。私、優しい。そして私も宮地先輩と二人になりたかったとかそういう下心はありません。…嘘です、まさにそれです。

「宮地先輩、今日レモンのはちみつ漬けってやつを作ってきたんです!マネージャーっぽいですよね!よかったら味見してください!」
「お前のはちみつ漬けは甘ったるいからやだ」
「え?そりゃあ私の愛がたっぷりですからね」

さあさあと宮地先輩の背中を押していくと後ろからみっちゃんの慌てた声が聞こえた。それを無視して去っていく私たちにみっちゃんと木村先輩は気まずい空気を醸し出していた。何だか中学生のお付き合いしたての男女を見ているようで和む。私もみっちゃんみたいな性格だったらもっと宮地先輩とそんな雰囲気になれたのか。気づかなかった、そういう手もあるんだ…。半ば無理やりレモンの入ったタッパーを宮地先輩に渡すと顔をひきつらせながらも受け取ってくれた。それを手にとって口に運んでいく様子を眺めながら、でも私は今のこの感じが一番好きだなと改めて思った。そりゃあ宮地先輩ともっと親密な関係になりたいとは思うけれど、でも今のままでも十分贅沢すぎる気がする。

「あっま」

眉間にぐっと皺を寄せる先輩に思った通りの反応だ、と思う。それを分かっていてもなんだかんだで食べてくれる宮地先輩は本当に優しい。舌で自分の指を舐める姿に卒倒寸前になりつつ、冷静を保った。駄目だ、今日はちゃんと落ち着こう。みっちゃんのこともあるんだから、我を忘れたら駄目だ。

「砂糖入れすぎだろこれはどう見ても」
「そんなに甘いですか?」
「自分で食べてみろよ」
「宮地先輩が食べさせてくれるなら食べます!」

グッ、と親指をたてて言い放った私に宮地先輩は軽蔑するような目を向ける。ではなくて。いつもならそんな顔をするだろうと思っていたけれど、今日はすこし違った。妙な真顔で私を凝視してから、何を思ったのかレモンをひと切れつまんだのです。まさか本当にやってくれるとは思っていなかったのでただ呆然と宮地先輩の行動を見つめていると、相変わらず真顔な先輩が口開けよ、なんて言ってのけた。まさかまさかの発言に私は驚き以上の何かを感じつつ、おずおずとそれに従ってゆっくり口を開けた。どうせ荒々しく突っ込まれて終わる、そう思ってどくどく鳴る心臓を抑えていたのだが、思いのほか宮地先輩の手の動きは丁寧だった。
「…んむ、」
そっと口の中に入れられたレモンに安心して口を閉じようとしてみるも、何故か。何故か宮地先輩の手が引っ込んでいかない。それどころか宮地先輩の綺麗な指は私の口の中に侵入してきた。声も出せないまま混乱する私をよそに宮地先輩はいつもとは違うぎらついた瞳をしながらその指を私の舌に触れさせた。びく、と思わず身体が強ばる。何、宮地先輩、どうしたの。ぐにぐにと宮地先輩の人差し指が私の舌を弄る。そのなんとも言えない感じに目を細めた。ぐにぐに、ぐにぐに。何だか真剣に私の舌で遊ぶ宮地先輩に違和感を感じながらも、さすがにこれ以上は心臓が持たないということで両手でその手を掴んだ。

「…あ、わりぃ。つい」

ぱっと私の口から指を抜いた宮地先輩がちょっとだけ焦ったように言った。ついって何ですかついって。やっと緊張から解放された口を閉じると顎が痛かった。う、うーん。宮地先輩のおかげでレモンの味がよく分からない。でもちょっと宮地先輩の指が甘く感じた。ごくんとレモンを飲み込むと宮地先輩が気まずそうな顔で私の顔をじっと見る。その視線に戸惑いつつ首を傾げると少し考えてから口を開いた。

「俺はお前が思ってるより優しくねーよ」
「え?」
「…それだけだ!おら、さっさと始めっぞ!」

そう言ってコートまでさっさと行ってしまう宮地先輩の心情を私はこれっぽっちも理解できないわけです。何とか気を取り直してみんなの元へ向かうと、そこには大きな荷物を持ったみっちゃんとそれを手伝ってあげている木村先輩が居たので何だか現実に戻ってきたような気になった。ああ、そっか、さっきのは夢か。私の下心がうんだ妄想か。なるほど…。

「なわけあるかー!」
「どったのなまえちゃん」
「高尾!ちょっと私叩いて!」
「えっなにキモイ!」
「そういうことじゃないんだよ!」

でも、優しくない宮地先輩だって大好きなんですよ。なんて。
(ああ、はずかしかった…)
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