最悪だ、あの野郎。
本当に、ああ、もう。呼び出しになんて応じなければ良かった。大人しくとことん無視していれば良かった。あんな、あんな目に遭うぐらいなら…ああ、最悪だ。昨日の自分を全力で殴りたい。そんなこと思っても、時間は遡ってはくれないのだけれど。もう、どうしてくれるんだ。あの最低男め…。
今日何度目かのため息をつきながら鏡を見る。うわあ、駄目だ、全然消えてない。なんてこった。首元にあるその鬱血した痕を見て涙目になる。なんてことをしてくれたんだあの悪童…。いつの間にこんな痛々しい痕を…、ああもう。
なんとかその痕を髪で隠し、今日を過ごしてきた私を誰か褒めて。でも、でもね。

「みょうじー、帰っぞ」

最後に難関が待ち構えていたんです。そう、あとは家に帰る。それだけ、なのに。幸か不幸か今日は昨日の約束どおり、宮地先輩と一緒に帰ることになっているのだ。夜道だから暗いし、宮地先輩もそれほど私を凝視することもないから多分コレが見つかることはないだろうけど。精神的に、くるものがある。…まあ、宮地先輩がコレを見たとしても何も思わないかもしれないけどね。それはそれで寂しい、けど。仕方ないよなあ。きっと宮地先輩からみた私はただの後輩のマネージャーだし、たまにすごく優しいから良くて妹みたいなもの、みたいな感じだろうな。薄々気付いていたけれど、うーん。

「オイ、先輩待たせてんじゃねぇよ〜」
「い、いひゃい、いひゃいれす…!ふみまへん、しぇんぱ…!」

ぐいぐいと容赦なく私の頬を引っ張る宮地先輩。うん、今日も格好いい。そして、近い、距離が、死ぬ。いつも以上に近い先輩との距離に柄にもなく緊張した。ああ、駄目だ、絶対顔赤くなってる。あと少しで顔から火が出るんじゃないか、というところで存分に私の頬をうりうりした宮地先輩はやっと手を離した。それに少なからずほっとしている私に先輩は満足げににやりと笑った。わあ、怪しい笑み。…でも、アイツの卑しい笑みとは全然違う。比べられない、比べたらいけない。
ほら行くぞー、と校舎から出る宮地先輩の後を追って走る。どくどくと未だに高鳴っている心臓を落ち着かせながら息を吐いた。

「…何か今日のお前変じゃねぇ?」

え。固まった表情のまま先輩を見上げるとその訝しむような目と目が合った。変、って多分宮地先輩からしたら普段から変人に属する私がそう言われるのだから今日の私は相当変だったということになる。変の変人、みたいな。なんだそれ。
宮地先輩はかったるそうに歩きながらいつも変だけど、と付け加えた。ああ、やっぱりそうですよね。それ以上に変だったということなんですよね。…おかしいな、いつも通り過ごしていたはずなんだけど。動きがぎこちなかった、とかだろうか。だとしたらきっと緑間と高尾にもバレてただろうなあ。あの人ら観察力だけはあるから。まああっちから何も言ってこないだけ良かったけれど。

「何かあるなら優しい優しい先輩が聞いてやろーか」

その代わりもちろん今度何か奢ってもらうけどな、と優しくもない言葉を付け足して私の表情を伺う。これは、一応心配してくれたってことで良いのかな。嬉しさと戸惑いが入り混じる中、ようやく私が絞り出した言葉はたこ焼き、だった。なんでたこ焼きという言葉が出たかなんて知らない。それだけ動揺してたってことだ。ただぽつりとたこ焼き、と言った私に宮地先輩はにやにやしていた顔を一瞬にして驚きの色に染めた。…すみません変なこと言って。自分でも混乱してて。ああ、どうしよう。

「…たこ焼き食いたいってか」
「いや、あの…すみません」
「たこ焼き好きなのお前」
「いえ宮地先輩のほうが好きです」
「よし大丈夫みたいだな、あー心配して損した、轢いてやりてー」

ぐうっと背伸びをして足を進める宮地先輩。あ、そういえば今日は一度も宮地先輩への愛を叫んでいなかった気がする。…だから、かな?いや、そんなわけないか。でも、心配してくれたんだ。それは素直に嬉しい。好き、本当に宮地先輩が好き。宮地先輩が私だけを見てくれたら、どれだけ幸せなことか。なんて、勝手すぎるけど。どちらにしても、私は宮地先輩に最大限の愛をぶつけるつもりだ。それで、迷惑だから、と言われてしまったらその時は引き下がるしかないのだけれど。
…宮地先輩は今、私をどう思ってるんだろう。

「あの、宮地せんぱ…あれっ!?」

忽然、として宮地先輩の姿が消えた。
えっ、何処に…?迷子?高校生になって二度目の迷子…?
きょろきょろと宮地先輩を探すも、この付近にあるのは古びた美容院とピアノ教室に何かの屋台だけ。一体宮地先輩は何処に行ってしまったのか。うろうろと辺りを行ったり来たりを繰り返す私は何処からどう見ても不審だろうと思う。…私と帰るの、嫌だったとかまさかそういう…いやいや、宮地先輩はそんなことしない!私は宮地先輩を信じてる。
はああ、と今日一番の溜め息を吐くと何か食欲をそそらせるような匂いがしてきた。…何処からだろう。確かこの匂いは、

「おら、感謝しろ!」
「……たこ焼き」
「言っとくけどこれ貸しだからな!いずれ何かで返してもらうから忘れんなよ」

いいな、と言って私にたこ焼きを持たせる。…買ってきてくれたのか、わざわざ。そういえばさっき変な屋台があったけど、そうか、あれはたこ焼きだったんだ。宮地先輩が、私にたこ焼きを。
熱いたこ焼きから伝わる熱が手から全身に広がっていくのを感じる。昨日、キンキンに凍らされた心が溶けていくような。まさにそんな感じがして、どうしようもなくなって、ただ自然と泣きたくなった。…何でこんなに優しいの。馬鹿な私はこんなことでも一々嬉しくなって仕方がなくなってしまうのに。先輩はちゃんとわかっているんだろうか。

「み、やじ先輩」
「何だよ返品は受け付けねーぞ」
「私、本当に、本当に宮地先輩が好きです」
「……あ、ああたこ焼きよか好きなんだろ分かって、…あ!?どっ、どうしたんだよ…」

宮地先輩が困ったような顔をして私を見た。私が急に泣き出したせいだ。珍しく慌てたような声を出す先輩に申し訳ないと思いながらも涙は止まらない。ああ、宮地先輩が優しすぎるのが悪いんだ、絶対そうだ。いつもみたいに腹黒い台詞をぶつけてくれれば、こんなことには。
うっ、と可愛げの欠片もない嗚咽を漏らしながら手で顔を覆う。今の顔は絶対に見せられない。ぐちゃぐちゃだ、ぐちゃぐちゃ。ぼろぼろ泣き続ける私を宮地先輩はワケが分からないままただ静かに見守ってた。

「……宮地、せんぱ…っ、私、本当に…宮地先輩だけが、好き…で、」
「…みょうじ?」
「会って、まだ…経ってなくて、でも、私は……本気で、うう〜もうすみませんかえっ、かえりますぅう…」
「…は、あっ!?」

何だか自分でも意味が分からない言葉を思ったまま吐き出して、でも宮地先輩がそれを聞いててくれて、よく考えると恥ずかしくて恥ずかしくて死にたくなって。ああ駄目だこれ以上困らせたら、って思って帰ると歩き出したところで宮地先輩は混乱した声をあげた。ごめんなさいごめんなさいと思いながらもこんな顔を見せたくなくて手で隠しながら走ることにした。ばっ、と走り出した私の後ろで物凄い舌打ちが聞こえたような気もするけど今はそんなこと気にしていられない。
「待てや、コラァ!焼くぞ!」
ぐわん、と何故か私の身体の重心が後ろに傾く。あ、転ぶ。と思ったと同時に私はあの、あの大好きで大好きで大好きな人の匂いに包まれて、いて。……み、

「みっ、みや、宮地、せんぱ、えっ何!?むっ、むり、死ぬ…!」
「うっせ黙れ殺すぞもー」

だって、だって宮地先輩。何で、何で私は先輩に抱き締められているんでしょうか。
いつも焦がれていた宮地先輩の胸が目の前にある。いつも触りたかった宮地先輩の腕が私の身体に回ってる。いつも憧れていた、大好きな宮地先輩の身体がこんなに近くにある、なんて。そんな馬鹿な…。

「…宮地先輩、あの、何で…」
「ふっ、泣き止んだかよ」
「え?あ、ああ…止まっ…」
「ったく、この馬鹿は…」

私を抱き締めたまま、会話が続く。…いや、私は正直普通に会話ができるほど冷静にはなれないのだけれど。絶対宮地先輩にまで聞こえてるだろうなあってほどの心臓の音に冷や冷やする。そろそろ離してくれないと流石に、心臓が壊れそうだ。ああ、でも。今なら少しだけ調子に乗っても、許されるかな…。
ぴとりと宮地先輩の身体に引っ付いてみる。や、ばい。口から心臓出そう。…でも、あれ、何か。
心なしか、宮地先輩の心臓の音も速いような気が、するようなしないような。

「…だいすき、です」
「知ってる」
「…たこ焼きより好き」
「オレも」

たこ焼きには勝ったらしい。良かった。たこ焼きに負けたらどうしようかと思った。
不意に宮地先輩の手が動く。その手はするすると上にあがってきて、私の首元にまで辿り着いたところで止まった。…ん?首元、って。
「…とりあえずコレ、消してこいよ、な」
ぐりっ、と痕がついている部分を親指で強く擦られた。痛い、なあ。…やっぱり、バレてたのか。でも宮地先輩は至って冷静だ。私に(多分)キスマークがついていても、何とも思わないのかなあ。そりゃそうか。

「…このキスマークが宮地先輩のだったら良かったのに」
「……は?」
「……え?」
「………は?」
「………えっ?あっ!?いっ、いまのは冗談、冗談で、」

すごい変態発言した今。どうしようドン引かれる。何だこの痴女って思われた絶対うわ消えたい。
宮地先輩が目をまん丸にして私を見ている。これまで消えたいと思ったのは初めてだ。消えたい!埋まりたい!顔を青ざめさせて首をぶんぶん横に振る。違う、いまのは、いや、違わないけど、まさしく本音だけど、口にしたらまずかっただろ!馬鹿野郎!
おたおたと取り乱す私を唖然として見ていた宮地先輩が急にぶっ、と噴き出した。えっ。

「ぶっ、は、何、じゃあソレ合意の上じゃねぇわけ?ぶふっ、」
「わっ、笑いすぎですよ!合意なわけないじゃないですか!私は、宮地先輩のことが好きなのに!」
「…ふーん」

じーっと私の首元を凝視する宮地先輩に思わず息が詰まる。見下げる先輩の目がすごく怖く見える。
…自分のことが好きだと散々言ってたのにキスマーク付けてるときたら軽蔑するのも当然、だよなあ。はあ…、んっ?もしかしてあの悪童、これが目的でこんなものを付けたのか…?私に好きな人が居るのを分かってて、私をどん底に突き落とすためにこんなキスマークだなんて。ああ、絶対そうだ。そうじゃなかったらあの花宮がなんの用も無しに私に触れるはずない。あああ、あいつの思うつぼだったってことじゃないか。最悪すぎる。
花宮への憎悪がむくむくと膨らんでいく中、宮地先輩は表情を変えないまま口を開いた。

「…ならいいわ、とりあえず刺すだけで許す」
「……えっ?」
「でも今度からは気をつけろよ、何かされたらすぐ言え、良いな?」
「は、はい!えっ、あの、ジェラシーですか!?」
「嫉妬なんてもんじゃねーよ!」

こちとらひやひやだよ!!
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