「お疲れっしたー」
「お疲れさまです!」

ぞろぞろと部室へ戻っていく先輩たちに挨拶をし、戸締まりを確認する。いつもなら居残って自主練をする人も少なくはないのだけれど、今日は切り上げるのが遅かったからみんな一斉に帰るみたいだ。早々に着替えて帰っていく先輩たちの姿を見送りながら時計を見る。ああ、九時が過ぎてしまった。いまだに部室で騒いでいる男、おもに高尾に多少の腹立たしさを感じつつ、おとなしく全員がここを出るのを待つ。思いのほか外は真っ暗で、きゅっと無意識に口元が締まった。
「あ、お疲れ様です、大坪先輩」
「ああ」
部室から出てきた大坪先輩に笑顔を浮かべる。でもさすが主将といったところか、私の作り笑いを見破ったらしい大坪先輩は目の前で立ち止まると再び扉を開けて部室内に声をかけた。

「宮地ー、みょうじのこと送って行ってやってくれ」
「大坪せんぱ!?」

その思いもよらない大坪先輩の発言に度肝を抜かれた。何を言っているんでしょうこのお方、優しさ?それは大坪先輩なりの優しさってやつなんですか。額から汗がだらだらと流れていくのを感じながら大坪先輩を制す。必死に止めに入る私に大坪先輩は疑問符を浮かべてきた。そんな顔したってダメですからね。大丈夫ですから、と言う私を見ながら納得いかなそうな表情を浮かべる大坪先輩。その後ろの扉がガチャンと開いたかと思えば、いつもは見ただけで天国になってしまう宮地先輩の姿。すでに制服に着替え終わった宮地先輩が私と大坪先輩を交互に見やって首をかしげた。

「なんだよ?」
「女子をこんな暗い中ひとりで帰らせるのは危ないだろう」
「ああ、そういうことか」

いや、納得しないでください宮地先輩。確かに真っ暗で怖いけれど、本当に本当に宮地先輩と一緒に帰れるというのは美味しい話なのだけれど。今日はダメなんです。本当は涙が出るほど、宮地先輩と帰りたいけど。溢れ出そうになる涙を噛み殺して、隣で眠たそうにしている宮地先輩を見上げた。いやいや、大坪先輩。頼んだぞ、じゃないですから。宮地先輩も、おう、じゃないですから。あわわと震える私に宮地先輩が帰るぞ、だなんて言ってくれている。普段の私なら迷わずその言葉に嬉し泣きながらスキップで着いていったに違いない。だけど、今日の私は。宮地先輩の肩にかかっているエナメルバッグをくい、と掴んでなんとか引き止める。宮地先輩が睡魔に負けそうな瞳をこちらに向けたのを確認して、ごくりとつばを飲み込んだ。

「あのですね、先輩」
「…ん?」
「ほ、本当に先輩と一緒に帰り道を歩けるのは死ぬほど嬉しいです。別れ際に抱きしめてもらったりキスしてもらったりその後のこととかを期待してドキドキしながら歩くのは私の夢です。今日を逃したらもう一緒には帰れないような気がして本当に泣きたいのですが…、すみません今日はちょっと寄るところがあって」
「…前半にツッコミ入れて欲しいか?」
「結構です」

あ、そう、と言い放つ先輩に寂しさを覚えながら足元に視線を落とす。ちくしょう、なんでこういうときに限ってこんな…ああ、悔しい。ポケットに突っ込んだ携帯が震えるのを感じて、はやく宮地先輩にさようならを言わなければと思う。いや、べつに一生の別れとかなんかではない。明日になったらまた会えるのだけど。どうしても今は一緒にいたいと思ってしまう。でも、はやく行かないと。うつむいたまま黙りこくった私の頭にぽん、と重みがかかった。顔をあげると、大好きで大好きで仕方のない宮地先輩の顔。

「寄るところあんなら、付き合ってやってもいいけど」
「…え!いや、大丈夫…です!結構時間かかるので、宮地先輩は明日にそなえて早く帰っておいてください。あ、あと筋肉はしっかりほぐすようにマッサージしておいてくださいね」

宮地先輩の優しさに心臓を鷲掴みにされた感覚に陥りながらも、必死に言葉を紡いだ。あ、危ない、流されてしまうところだった。おそるべし宮地先輩…!私の言葉に先輩は適当な返事をしつつ、私の頭をわさわさとかき回していく。いや、何してるんでしょう。宮地先輩の手によって髪が乱されていくのをされるがままにしているとふ、と笑われた。なん、だ、びっくりした。どくどくどくと波打つ心臓に手を添えながら宮地先輩を見上げる。

「ぐちゃぐちゃにしないでください」
「まあ明日にゃ一緒に帰ってやるよ」
「…えっ?」
「だからそう泣きそうな顔すんな」

そう言い終わらないうちに私からぱっと手を離して歩いていく宮地先輩。
…いまのは、反則だろうと思う。真っ赤になる頬を隠したところでやっとみんなが帰ったらしい。部室と体育館の鍵を閉めてさっきまでの宮地先輩を思い出す。なんであんなに優しくしてくれるんだろう。そんなに今日の私はあからさまに沈んでいただろうか。…宮地先輩は、ほかの人にもああやって優しくするのかな。私だけだったら、いいのに。私の勝手な思いを吹き散らすように、今日何度目かの着信が響いた。その音にはっと我に返って走りながら学校を出た。



「おっせんだよ、バァカ」

待ち合わせ場所である公園に入るなり、飛んでくる暴言。久しぶりに直接喰らったその言葉に顔がひきつった。小さな街灯を頼りにその声の主を探すと、そいつは優雅にベンチに腰を下ろしていた。私とそいつの距離、約5メートル。近づきたくない。公園の入り口付近から動かない私を見かねたヤツが比較的穏やかな声で私を呼んだ。その声とは不似合いな鋭い瞳に気圧されて私はおずおずとそちらへ歩く。そいつとの距離、約3メートル。脚を組んでベンチに座るその男に最大の警戒心を払いながら声をかける。

「…お久しぶりです、花宮先輩」
「ふはっ、相変わらずだなお前も」

そう言って笑ったと同時、ものすごい力で腕を引かれた。警戒を解いたつもりはなかったのに、あっという間に私とそいつとの距離は縮められてしまう。引っ張られたおかげで花宮のほうへ倒れ込みそうになるのをぐっと堪え、彼の太ももの横に膝をついた。異様に近いその距離に冷や汗が流れるのを感じ、できるかぎり上半身を仰け反らせようと試みる。そんな私を愉快そうに眺める花宮はやっぱりなにも変わっていない。むしろひどくなっているような気もした。依然としてぎりぎりと力を込められる腕の痛みに顔が歪む。

「嫌いなやつに対して露骨に嫌な顔するところも、変わってねえのな」
「…痛いです、腕」
「当たり前だろ、痛くしてんだよ」

ぎらり、と花宮の瞳が光る。ああ、これだから嫌なんだ。中学のころからずっとこいつはそうだった。私のことなんて大嫌いなくせに、こうしていつも突っかかってくる。なにがしたいかなんて知らない、知りたいとも思わない。私だって花宮が嫌いだから。だから私は極力こいつに接触しないように回避しながら生きているというのに、ふとした隙にいつの間にか傍にいて絡めとられる。基本的に頭の良いひとの考えることなんか分からない。なんでそこまで嫌いな私を近くに置いとかせようとするのかも、さっぱり。

「よりによって秀徳なんか行きやがって」
「痛い、痛いです先輩骨、骨折れたらどう責任とるんですか、ああああ痛い先輩せんぱいセンパイ」
「うるせえよ」

ごつん。ものすごい頭突きを喰らった。なんだこいつ石頭か、痛すぎる。花宮に掴まれていないほうの手で頭を抑える。それでも腕は離してくれなかったのでもう諦めることにした。花宮は私の腕に爪を食い込ませるようにして握ると八重歯を見せつけて笑う。

「オレ言ったよなぁ?高校は霧崎にしろって」
「霧崎なんて行けるわけないじゃないですか、私の頭で」
「だったら大人しくバスケ部なんか無えところ行っとけよバァカ」
「どうして花宮先輩にそんなこと決められなくちゃならないんですか」

私がどこの高校に行こうと、秀徳のバスケ部でマネージャーをやろうと、関係がない話なのに。ああ、宮地先輩に会いたい。秀徳のみんなに会いたい。この暗い泥沼から逃げ出したい。あの温かい場所に戻りたい。宮地先輩…、あ、そういえば明日は一緒に帰ってくれるって言ってた。本当に一緒に帰れるのかな。もしそうだったら、どうしよう。ああそうか、楽しいことを考えていればいいんだ。目の前の花宮なんて知らない。私は宮地先輩のことだけを考えよう。そう決めた瞬間に、眼前の顔がぐにゃりと歪んだ気がして、

「なまえのことが好きだから、離したくねえんだよ」

ぎゅう、と身体がぴったりと密着して、腰にも腕が回って。すっと髪を梳いて耳の後ろを撫でる花宮の指とか、首元に寄せられた唇とか。驚かなかったと言ったら嘘になるけれどすぐに分かる。だってこれは、どうせ。

「…なんて、言うわけねぇだろバァカ」

耳元でそう囁かれたと思えば、首筋に突き立てられた歯。ああ、痛い。
だからこいつは、嫌いなんだ。
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