「花宮、保健室に来いって今吉さんが」

頭を抱えた。
よく名前も知らないチームメイトからそう告げられてひどく無視したい衝動に襲われる。急に呼び出すなんてどういうつもりだあの妖怪。気持ち悪いことこの上ない。ああ、最悪だ…。呼び出しに応じるべきか耽るべきか迷う。しかし保健室に来いとなると。なにかあるのだろうか。
仕方なく保健室へ向かうことにした。

「よう花宮、待っとったで〜」

扉を開けるなり気の抜ける声をかけられて思わず顔をしかめた。何へらへらしてんだクソ。そいつの立つ先のベッドに伏せている姿を見てもっと顔をしかめた。

「…おい何だコレ」
「ゲッ今吉さん何でこの人呼んだんですか!」

ゲッとはなんだこの野郎。いつもより顔を赤くさせたなまえが首元まで布団を被りながら表情を歪めた。いったい何をやっているんだかこのバカは。ため息がでるのも無理は無い。オレを呼んだことを抗議したなまえに今吉はけらけら笑いながら、他に友達おらんやろと返した。さり気なく突き刺さる言葉だ。というかオレはこいつの友達になった覚えはねぇ。なまえはその赤い顔で不満げに口を尖らせた。

「私は別に大丈夫だって言ったんですぅ」
「そないに熱だしといて何言うてんねん」
「ひとりで帰れますぅ。花宮先輩の手なんか借りずとも帰れますぅ」
「意地張ったってしゃあないやろ〜。ちゅーわけで頼むわ花宮」
「はぁ?」

けろりとなまえからオレに視線をうつして言う今吉に眉を寄せる。要は熱を出したこいつを送って帰れということか。何でオレが。布団に顔をうずめながらぶつぶつ言っているなまえを無視して今吉をじとりと睨む。というかそもそも今吉のヤローが送っていけばいい話じゃねぇか。オレの考えていることを読み取ったのか、今吉は薄笑いを浮かべたまま口を開いた。

「いや別にワシが行ってもええんやで?でもなぁなまえが嫌や言うてきかんから」
「今吉さん恐怖症なんです私」
「反抗期やんなぁ。せやから花宮呼んできたっちゅうんに」
「もっと嫌です。その二択どうにかしてくださいよ…」

何や仲良しやろ、と言う今吉に反論する気にもなれないのかなまえは勢いを消沈させると布団に深く潜った。そうとう弱ってるな。見慣れない姿にしみじみと感心する。確かにこれだと帰り道でぶっ倒れる可能性もありうる。いやオレは別にこいつがぶっ倒れようがどうだっていいのだが…。

「ほなしゃあないな。ワシが送って帰るわ。なまえ、おぶってやるさかい乗りぃや」
「………」
「呼び出してすまんかったな花宮。もう戻ってええで」
「…チッ、貸せ。オレが行く」

ああ屈辱だ。まずその気色悪いにやつきをやめろクソが!

しかし熱い身体だ。背中から伝わるなまえの温度にやるせない気持ちになる。オレに大人しくおぶさるなまえに調子を狂わせられつつ、こいつの家まで足を進めた。
…いや、待てよ。そもそもオレはこいつの家を知らない。どんなオチだよ。迂闊すぎるミスに自己嫌悪に至りながら仕方なくぐったりしているなまえに声をかける。

「おい、家まで案内しろ」
「…あっちです」

力なく指差した方向を確認しそちらへ向かう。いやそれにしても死にかけだな。ずり落ちそうになるのを背負い直して小さく息をついた。馬鹿は風邪をひかないというがそれもハッタリだったようだ。背中のなまえがもぞもぞと動く。気が散るなと思いつつこいつの身体が時折震えることに気付き再びどうしようもない気持ちに襲われた。

「寒いか」
「…べつに」
「………鞄の中にオレのジャージあるから。自分でとれよ」
「…優しい先輩がいる……まぼろしだ…」
「落とすぞ」

何だかんだ言いながらごそごそとオレのジャージを羽織るなまえはやはり寒かったらしい。この意地っ張りが。つーかオレも一体何をやってんだか…。送って帰らせるのも全部今吉のやつに任せておけば良かったのだ。オレらしくもないことをするくらいなら。…いや、今更後悔の念に浸ったところでどうにもならない。とりあえず早くこいつを届けてさっさと帰るしかねぇ。

「あ…、ここです」

やっと着いた。なまえを降ろすと妙に背中が寒いような気がした。あいつがどれだけ熱かったのかを改めて感じさせられる。これで風邪がオレに移ったらどうしてくれようか。まぁでも今日のところはいいとしよう。なまえからジャージを剥ぎ取って帰ろうと鞄を肩にかけたところで唐突に声がかけられて固まる。

「あら、おかえりなまえ。お客さんかしら?」
「…あ、おかあさん……」

…嘘だろ。

「どうぞ上がって行ってちょうだいね」

にこやかな笑顔に思わず反射的に猫をかぶって頷いたオレは正しかったのか。今になってもその答えは出せないままだ。ただ、るんるんと家に入っていくなまえの母親の背を見ながら顔をひきつらせたのは、オレもなまえも同じだった。

「いやぁ…あのタイミングでおかあさんが買い物から帰ってくるなんて思ってなくて」
「ふざけんな死ね。帰らせろ」
「先輩が猫かぶるからじゃないですか…」
「クソが…」

小声の会話をくり広げているとなまえの母親がケーキを渡してきた。二人で食べてねというなまえ母に冗談じゃねぇと心の中で叫びながらこいつが熱を出している旨を伝える。そのままオレも帰らせてもらう流れにしようと試みたがやはりなまえの母。そう上手くいかない血筋のようだ。

「あら、そうなの?それじゃあ風邪移っちゃったら大変よね。でもケーキが勿体無いわ。せっかくだから食べていってちょうだい。リビングに案内するわ」
「えっ」
「なまえはお部屋で着替えたら寝てるのよ。後で薬持って行くわね」
「はぁい」

そそくさと自分の部屋へ向かおうとするなまえを母親の目を盗んで捕まえる。うっ、と声を漏らすなまえの足を踏みつけながら内心焦っていた。

「何が悲しくてお前の母親と二人でいなきゃなんねぇんだよ…」
「し、知りませんよそんなの…。おかあさん多分私が久しぶりに友達連れてきたと思って嬉しいんですよ…」
「はぁ?ふざけんな」

そう悪態をついたところで再びなまえ母から声をかけられて咄嗟に猫をかぶる。ああ最悪にもほどがある。今すぐにでも逃げ出したい気分に駆られつつ重い足をリビングまで運んだ。階段をあがって部屋へ向かうなまえが笑う声が背後で聞こえる。よし明日覚えてろよなまえ…。
丁寧に紅茶まで出してくれたなまえ母にひきつる顔を全力で微笑みに変えた。

「今日はどうもありがとうね。ええと、名前はなんていうのかしら?」
「花宮です…」
「そう、花宮くん。なまえとはお付き合いしている仲なのね」
「いやいやいや…」

さすがはあのバカの母親といったところか。なかなかに話がぶっ飛んでいる。そんな人物とオレが一対一で相手をしろだと。無茶を言うのもいい加減にしろ。目の前に出されたショートケーキに口元がひくついた。正直なところ甘いものは嫌いだ。大嫌いだ。というか食べたらおおかた吐く。しかし…。

「あの子ってほら、どこか抜けてるでしょう?だからいつも心配していたのだけど…」
「ああ…」

わかる。

「でも花宮くんみたいにしっかりしてる子が一緒にいてくれてるって分かって、安心したわ」

にこりと聖女さながらに微笑む目の前の人間に、どう言葉を返すべきか分からなかった。その娘をボロ雑巾のようにこき使っていることに対しての後ろめたさとかではない。なんとも形容し難い感情が湧き上がった。どことなくあいつの面影を感じる雰囲気と笑顔。決してなまえへの態度を改めようと思うわけではないが、ただ、何となくその母親を好意的に思った。有り得ない、と思いながらも。だからこそ死ぬほど嫌いなショートケーキも、この母親に出されたものだから、食べた。アホらしい。

「なまえのこと、よろしくね」
「…はい」

ああ、気持ち悪い。ショートケーキの甘さからか、自分に対してか。どちらかも分からないまま、立ち上がってそろそろ帰ることを伝えた。なまえ母はやはりその優しい表情のままでなまえの様子を見ていくかと聞くので思わず頷いてしまった。いまにも吐きそうだ。気持ち悪すぎる。ケーキの甘さもオレも全部。
階段をあがって突き当たりの部屋と言われて悶々しつつなまえのもとへ向かった。
ノックもそこそこに部屋へ入る。まぁ普通だ、と感想を抱きながらベッドの膨らみに目を移した。

「…いい感じに死んでるな」

返事がない。それこそただの屍のようだ、といったところだ。間抜けな寝顔を公開しているなまえをせせら笑う。おもむろに額に手を当ててみると、先ほどまでではないがまだ熱はあるようだった。まぁでもこれぐらいだったら明日には下がるだろと憶測を立てる。
…それにしても。今日は散々な日だったな。それもこれもすべてこいつのせい。あの母親あってこの娘か。納得せざるをえない。あの母親は苦手だと確信した。嫌いではない、と思う。
いやいや気持ちが悪い。どっと吐き気に襲われてなまえの寝るベッドへ手をつく。至近距離のなまえをしばらくじっと見つめた後。思わず唇を重ねたのは、オレにも多少熱があったからなのかは知らない。ただひとつ、気持ち悪さが薄れたのは事実だった。

「花宮くん、また来てね」

帰り際あいつの母親に言われた言葉には、なんと返したのだったか。


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