アルビノ



“白城 雪南”
シラキユキナ

その名前は嫌と言うほど聞いていて、良く知っていた。
というのも、シラキというのは俺の前の席の人間で。



「杉本ー今日も白城は休みか」

そう問われるのが、俺の朝一での役目。
高校二年に進級し、二ヶ月。席替えもされていない教室で、出席番号順に並ぶ机。けれど俺はまだ、その“白城”というクラスメイトを目にしたことがない。男か女かも知らない。ただ漠然と、綺麗な名前だから女の子だろうか、と思っていただけで。


「知りません」

「おー、そうか」

そもそも、いくら席が空いていて、その奥に俺が見えるからと言って俺に出席の有無を問うのはどうかと思う。そういうのは“白城”と親しい人間に聞くか、直接家に電話でもして聞くものなんじゃないだろうか。いや、欠席する場合は自ら学校に連絡するのが普通かもしれない。サボリでないのなら。

ともかく、俺は顔も知らない“白城”に、少々うんざりしていた。毎朝繰り返されるその会話に。そのたびに、ぽつんと、空白になってしまっている“白城”の席に、同じ制服を着た人間が現れたら文句の一つでも言ってやろうかと思いながら。ただ、もうまるっと二ヶ月休んでいる“白城”は、きっと既に進級も危ういんじゃないだろうか、そんなくだらない心配をしてしまうほどには、俺の中に存在していて。

でも一番の問題は、“白城”を知るクラスメイトがいないということ。皆口を揃えて知らない、見たことない、と言う。そんな、謎めいた存在だった。

まあ俺も、“白城”を責めれる立場ではないかもしれないけれど。登校こそしてくるものの、サボってばかりだから。それは今日も、例外ではなく。朝のホームルームが終わるとすぐに教室を出た。

向かった先は。“立ち入り禁止”と張り紙がされていながら、鍵の閉められていない旧校舎。取り壊しの決まっているそこに忍び込む生徒は少なく、しかもお化けが出るなんて噂もあるから余計に。相変わらず簡単に忍び込めたそこ、真っ直ぐ廊下を進み、突き当たりの教室の前で足を止める。そして、“保健室”と書かれたプレートを一瞥して、ドアへと手を伸ばす。

今日もドアは躊躇いなく、開いた。


そろそろ梅雨入りするとニュースで聞いたけれど、その日は湿気臭くもなく、ただただ清々しかった。閉めきられているはずのそこには、そんな爽やかな風が吹き込んでいて。窓際へと目を向け、そこから見えた青い空と眩しい太陽に、ああ窓が開いているのかと気づく。

そして…


「は…、」


季節外れの、桜吹雪が見えた。いや雪だったかもしれない。何にせよそれは季節外れで、そしてキラキラと白く光っていた。目眩がするほど、眩しくそこで光を放って。それがなんなのか、瞬きも忘れて見入った。




「な、に」



ゆっくりと、それはクリアな形を現し。やっとその姿を捉えることが出来た。出来て、息をするのさえ忘れて、また見入ってしまった。
消えそうな声より、何より、“喋った”ことに、驚いたのだ。聞き逃してしまうのではないかというほど小さな声で、けれど確かに鼓膜を揺らしたそれに。

俺は完全に、そこが学校で、旧校舎の保健室で、なのにそんな日常からかけ離れた場所にいる、そう思い込んだ。そんな感覚に囚われていた。けれど、それを崩すように、また声は発せられる。


「……すぎもと…」

「っ、なん…で、名前……」

「なんでって…上履き、書いてある」

小さく笑ったその人に、ああ、同じ人間なのだ、と気づく。
もちろん、同じ白のカッターシャツに、灰色に濃いグレーのチェックが入ったスラックス、同じ上履。その人がここの生徒で、同じように授業をサボってここにいるのだと、思い至るのは簡単で。ただ、思考を邪魔しているのは、そこにいる“彼自身”で。

そう、彼。男。
ズボンをはいているのだから、普通に考えて男。けれど、真っ白のシーツを肩から掛けて、窓際のベッドに腰かけこちらを見ているのは、本当に男なのだろうかと…疑うほどに、綺麗だったのだ。

真っ白な肌に、色素の薄い青みがかった瞳。そして、異様なまでに白い、髪。

その白い髪から覗く小さな顔が、どうしても男だとは思えないのだ。一言で言うのなら、それはやっぱり“美しい”で。性別云々でも、ただ美形だと言うわけでもない。そう、その白さに、ただだただ純白としか言い様のない姿に、俺は一瞬で心臓を鷲掴みにされた。


「……そ、うだな…」

光を浴びた肌が白光りして、もしかしてこれは噂のお化けなのだろうかと、ふと思った。でも、こんな朝から出るなんて聞いていないし、本当にお化けがいるはずもない。想像もできないおかしな話だ。

「……もしかして、ここ、使うつもりだった?」

“ここ”と、その人は自分の腰かけるベッドをとんとんと叩き、申し訳なさそうな声色で、けれど全然申し訳ないといった顔はしないで、そう呟いた。

「あ、…まあ……」

「ごめんね、どうぞ」

シーツを肩から落とし、軽く整えてから、その人は隣のベッドへ移動して上履きを脱いだ。ベッドに横になると、そのまま俺を見上げて、首をかしげた。

「使わないの?」

「っ、使う…けど、俺の方こそ、悪い…」

どうして髪が白いのかとか、それは金髪なのかとか、そもそもそんな頭で何も言われないのかとか、ていうか同じ制服を着たただの侵入者かもしれないじゃないかとか、一気に思考は巡り。呆然とその人を見つめるしか出来なかった。
だってこんなにも目立つ生徒がいて、騒がれないはずがない。いい意味でも悪い意味でも、だ。


「いいよ。俺、日の当たらないベッドで寝るつもりだったし 」

彼は凛とした声でそう言うと、静かに目を閉じた。睡魔なんて彼を見た瞬間にどこかへいってしまったはずだったのに、彼の寝息に再びそれは俺を襲ってきて。倒れるように、さっき彼が腰かけていた窓際のベッド…去年から俺のサボり場所になっている埃っぽいベッド…へと体を沈めた。

ああ、そうだ、去年からここへ足を運んでいるのに、彼を見掛けたのは初めてだから…余計に不思議な感覚に陥ったのかもしれない。“彼”だけでなく、他の誰にも、この旧校舎で遭遇したことなどない。唯一あるのは週に一度ほど聞こえてくる、見回りの教師の足音。それだけ。
そう、その程度…


意識は、そこで途絶えた。
それからどれだけ眠っていたのか、目が覚めたのはちょうどチャイムが鳴っている時だった。室内の時計を見やり、それが止まっていると気づいてスラックスのポケットから携帯をとりだし、時間を確認した。ああ、一限の終わりのチャイムかと胸を撫で下ろし、ふと隣のベッドへと視線を向ければ。

そこには何もなくて、俺は夢でも見ていたのかもしれないと、その場をあとにした。そう、夢だったのかもしれない。あんな変わった生徒が、いるはずない。
俺はすぐにその事を忘れた、忘れようとした。けれどできなくて、あの白い残像は脳に焼き付いていて、どうしても消すことはできなかった。ただただ、消えない白い存在。


それはまた、俺の前に現れた。


「っ、」

次の日、同じ時間。
その白い塊は、そこにあった。

いるだろうかと考えたものの、期待はしていなかった。なのに、居たのだ。昨日と同じようにシーツを肩から掛け、ベッドに腰かける白い塊が。


「おはよう、杉本」

「っ…」

また夢かと、思うより先に声をかけられた。ちゃんと俺の名前を呼び、無表情に少しの笑みを浮かべた彼。息をのみ、その姿へ近づく。

「今日は雨が、降りそうだね」

まるで前から知り合いだったように、友人のように、彼は言葉を紡ぐ。違和感を抱きながらも、変わらないトーンの低い声が心地よくて…

「俺、晴れより雨が好きなんだ」

なんで?など返していないのに、彼はたんたんと一人で声を漏らす。

「眩しいのは、嫌い。目眩がする」

「……名前…あんた、何ていうの?」

「…シラ……ナ」

「シナ?」

「…うん、シナ」

目が眩むように、彼の声が所々途切れて聞こえた。それでもなんとか聞き取れた音は、“シナ”だけ。それが本当の名前なのか分からないけれど、女みたいな名前だと思った。

「俺は、杉本、ひょう─」

「ヒョウ?かっこいい名前だね」

小さく微笑んだシナは、もう一度自分に言い聞かせるように“ヒョウ”と、呟き。本当はまだ言い終わっていないのに、「よろしく、ヒョウ」と目を細めるから…その瞬間、時間が止まったような錯覚に陥った。彼の微笑みと、揺れた真っ白な髪に、まるで自分が異次元にいるようだと感じたのだ。俺を射抜く青みががかった瞳も、“日本人”離れしていて。
アニメや漫画のキャラクターのような、どこかの国の王子さまのような。

とにかく俺のなかに残った“シナ”は、強烈で、そしてやっぱり純白だった。


その日からしばらく、俺とシナの密会は続いた。
けれど、俺はシナの学年もクラスも知らないまま。住んでいる場所も、出身中学も、部活も、なにも知らない。ただ、その日の天気の話をして、好きな食べ物の話をして。
シナは晴れが嫌いで、いつも口の中には飴を含んでいた。それはイチゴ味だったり、レモン味だったり、毎回違った。

笑ったときにちらつくその色が、シナを飾る唯一の色のようだった。

「ヒョウ、飴あげる」

「おお、さんきゅ……って、全部ハッカかよ」

「嫌いなんだ、ハッカ」

シナは相変わらず白く、そして綺麗で。一度だけ、その肌に触れてみたことがある。寝ているシナの柔らかそうな頬を、撫でたのだ。
本当にそこに存在しているのか不安になって、俺は夢でも見ているんじゃないかと疑ってしまって。

触れた、一度だけ。

滑らかな肌は確かにそこにあり、低いながらも体温を感じ、俺は胸を撫で下ろしていた。

気づけば、梅雨入りしたばかりだった空からは雨雲が消えて。抜けるような青い空と、ギラギラと照りつける太陽がそこに現れていた。梅雨が明けた、夏が来た、俺も周りもみんなそう悟った。
悟った直後、シナが姿を消した。

「嫌だな、夏」

「晴れ、嫌いだもんな。……でも、なんでそこまで嫌なわけ?」

「俺ね、太陽アレルギーなの」

「ははっ太陽アレルギーって…」

最後に顔を見た日の、最後の会話だ。
なんだよ、太陽アレルギーって。そう言って笑った俺に、シナは確かに笑い返してくれた。笑い返して、「そろそろ行きなよ。俺はもう一眠りするから」と言って、ベッドに潜り込んだ。

俺は「おやすみ」と、声を落としてそこを出た。それが最後。

なにも知らない俺は、夏休みが始まるまで毎朝そこでシナを待った。待つしか術はなくて、一度担任に「シナって生徒居る?」と聞いてみた。答えには期待していなかったけれど、案の定「さあ、居ないと思う」で。

そんなモヤモヤを抱えたまま終業式にでた。
もしかしたら、さすがにその場にいるかもしれないなんて、期待して。


茹だるような暑さ、体育館は密度の高さに比例するように温度を上げていた。それだけでもうんざりするというのに、俺はシナを見つけることもできなくて、余計に苛立った。
いい加減に抜け出したいと思った頃、式の司会が突然口にした名前。


「白城、雪南」


何かの表彰の途中だったか、生徒会だか委員会の話だったか…何故その名前が呼ばれたのか、全然分からなかったけれど、それでもその名前だけはクリアに聞こえて。相変わらずその名前は毎朝聞いていたからか、自然と聴覚が覚えていたのかもしれない。

「はい」

そう、覚えて…

「登壇してください」

その瞬間、空気は揺れて、そしてピタリと動きを止めた。
あの、何度見たって見慣れない白い髪と、透き通るような白く華奢な体。俺が、ここ最近待ち続けていた、あの純白。それが今まさに、校長の立つ壇上へ向かっている。ざわつくことさえ忘れた館内、“シナ”は悠然と、表情ひとつ変えないで、そこに立った。

表彰だった。
生物研究部という名の、代表として。

だけど内容は全然頭に入ってこなくて、その場にいる誰もが、白城雪南…いや、“シナ”に好奇の目を向けている。暑さも、日の光も嫌いなシナ。旧校舎の保健室に一人でひっそりと居たはずのシナ。

賞状を受け取り、頭を下げた彼はそのままこちらに向き直り、またひとつ礼をした。持ち上げられた顔、そこには俺の知っているシナの表情はなく。ふっ、と体が揺れた。

周りが再びざわつき始めるより先に、俺は彼に向かって走り出していて。

「シナ!」

ぐらりと前のめりになって、そのまま壇上から落ちてきたシナを抱き止めた。何人か教師が駆け寄ってきたけれど、そんなものは無視で、俺はシナを担いであの場所へ向かった。日の当たらない方のベッド、シナの定位置。

「ありがとう、ヒョウ。……でも、バレちゃったね。俺の正体」

具合が悪そうにしていたはずの彼は、けれどいつもの調子で言葉を紡いでいる。

「隠してたのか」

「そんなつもりはないよ。でも、ヒョウは俺を知らなかったから。俺は知ってたのに。俺の後ろの席の、“杉本豹真”くんだって」

「え…」

「ごめん、俺ね、病気なんだ。太陽アレルギーの。だからほとんど学校には来れなくて。入退院を繰り返してて。だから、去年は来ても保健室登校。代わりに、自分の体についてレポートまとめたりね、してて」

つまりは、この白さは“病気”ということか。
異様なこの白さは、やっぱり異常だったということか。

それでも俺の中で、彼の純白は保たれている。

「今度はちゃんと言うね」

カラリ、シナの口の中で音をたてた黒いのど飴。それはまるで、俺がその口に咀嚼されているようで。白に飲み込まれた黒は、そのまま彼の声に存在を消された。

「白城、雪南」

“色素を持たない、病気”

俺はそれを、“アルビノ”と呼ぶことを知った。




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