甘やかす
リクエスト:高校生の甘々溺愛
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俺の恋人は、俺を甘やかす。
惨いことにそれが天然だから、正直もう、陶酔してしまっている。
放課後の教室からグランドを見下ろして、その姿を探す。それが俺の習慣で、そして楽しみ。
「颯太ー、走れ〜」
太陽の陽を浴びて汗を光らせて、かっこいいけど、ムカつく。けど仕方ない、良い男だから。背が高いとか、顔が男前とか、頭がいいとかじゃない。そういうことじゃなくて、颯太は良い男なのだ。
「よし!打て打て打て!!」
使い込まれたサッカーボールを追いかけて、砂ぼこりをあげて、土にまみれて、暑苦しいほど元気で。そういうの、俺とは縁のないものだと思っていた。もっとも、今も縁があるわけではないけれど。そういう人に惹かれてしまったのだから、同じようなものだろう。
俺がそんな姿を眺めていることをわかっているのかいないのか、恋人である颯太は、時おりちらりとこちらを見上げる。たぶん、見えてはいないだろうけど。
帰りのホームルームが終わってから、彼の所属するサッカー部が練習を終えるまで約二時間半。その間、俺は何をするでもなく教室に残って、窓枠に肘をついてグラウンドを見下ろす。たまに、居残りで課題やらされてるクラスメイトを手伝ってやったり、電車待ちの数人と話をしたり、日誌書いてる日直にちょっかいをだしたり。
そうして、二時間半を過ごす。
「よーし、クールダウンしろー。一年はボール拾ってこーい」
そろそろ終るだろうかというところで、いつも教室を出る。
ゆっくり階段を降り、中庭で花壇の手入れをしている教頭に挨拶をして、昇降口で靴を履き替える。
「ふっは、疲れた〜」
「今日島田機嫌悪すぎじゃね。俺グランド何周したー?」
「お前、今日群を抜いて走らされてたよな」
「やっぱー?もうくたくただわー」
「仕方ねえよ。お前昨日の帰り、島田先生に彼女とちゅーしてんの見られたんだろ?しかも濃いやつ」
「そうだよ、まじ最悪。あいつ、自分が独身で彼女もいないからって僻んでんだよ絶対。だから女といちゃついてる時間あったらもっと練習しろとか言うんだって」
するとだいたい、良いタイミングでサッカー部が部室へと撤退していく。それを見送ってから昇降口を出る。
「まー、言われるのは仕方ないけどうちじゃ通用しないよな」
「それ。名門とか強豪とか言われてんなら気を付けるけど。…って、あれ、颯太は?」
「もう着替え済ませて出てったけど」
「はー?相変わらず早いなー」
そしてものの数分で、颯太は俺の前へ駆け寄ってくる。今の今まで部活をしていたと思えないほど爽やかな顔で。汚れた顔や手足を豪快に水で洗い、無臭の制汗スプレーを全身にかけて、香水を手首にひとかけして。それでもどうしても残ってしまう運動後独特の空気を、颯太は全く漂わせない。
「お待たせ、圭斗!」
「ん、お疲れ様」
「日が長くなってきたから、待たせる時間のびちゃったね。そろそろ暑いし、待ってるのしんどくない?」
まだ水で濡れている髪をタオルで拭きながら、颯太は少しだけ眉を下げて問うた。確かに、寒さなら建物の中に入れば緩和されるし、膝掛けを用意してあるから苦にはならないにしても、暑さはしのげない。ただ、俺と颯太が付き合い始めたのは、ほんの二ヶ月前。寒い時期の待ち時間なんて、俺はまだ知らない。
「大丈夫だよ」
それでも二時間以上待つことをやめない俺は、相当颯太に惚れているんだと思う。これだけ部活に熱心なのだから、付き合っているとはいえ当然一緒にいられる時間は長くない。放課後も、休日も。
だから、少しでも、並んで歩いていたい、のかもしれない。俺が。
「平気」
「そ?俺は嬉しいけど、無理はしちゃダメだよ」
「うん」
それから自転車置き場へ行き、颯太は自転車を引いて俺の横へ並んでまた歩き出した。一度、二人乗りをして帰ったことがあるけれど生徒指導の先生に見つかって注意されて以来、それはやめようということになった。処罰を受けることはなかったにしても、確かにこれで怪我でもしたら颯太に申し訳ないし、無駄なペナルティの所為で部活に支障が出るのもダメだから。
「圭斗」
だから、颯太は自転車をひいて歩く。俺の家までの25分を。
「ん?」
「明日バイト何時から?」
「三時」
正直、颯太の印象は俺の嫌いな感じだった。サッカーに関して熱血で、勉強は怒られない程度できて、一生懸命で、友達が多くて女の子にも普通に好かれていて、教師からの評判も良い。明るくて元気で、暑苦しい。
自分とは違うそんな彼を、遠くで見て、話したこともないのに嫌いだと感じた。今思えば、それはたぶん僻みとか妬みだったんだろう。一年生の時はクラスが違ったのに、そう感じるくらいには、颯太は目立っていた。
「俺明日の土曜日練習昼からなんだ。だからさ、今から俺んち、来ない?帰るの遅くなっても大丈夫、なら」
「へ、あ…うん、行く」
「昨日、DVD届いたんだ。ほら、圭斗見たがってたやつ。ネットで見つけたからさ、一緒に見よう。あ、帰りは家まで送るよ」
「えっ、いや、それはいいよ。男だし、大丈夫」
「いーの、送らせて」
ね、と言い聞かせるように微笑んだ颯太は、俺の家へ続く道に右折することなく直進し、自宅へと向かった。
颯太を好きになったことに、きっかけはなくて、二年生で同じクラスになってその存在が少し身近になった。そして自分が颯太へ抱いていた劣等感や嫌悪感が、全て羨望からきているのだと気付いてから、自然と惹かれていた。そんな時颯太が告白されている現場に遭遇してしまって。慌てて隠れたけど、見つかって、「恥ずかしいとこ見られちゃった」と眉を下げられた。ちなみに、俺と颯太が挨拶以外に言葉を交わしたのは、その時が初めて。挨拶だって、颯太は不良から地味なクラスメイトまで全員にするような人だから、交わしたことがあっただけだけど…
その時、「これ、内緒ね、圭斗くん」と言われ、名前を知ってもらえていることに驚きすぎて声がでなかった。その次の瞬間には、「好き、」だなんて言っていて。それが告白だってことに気付いたのは、颯太が顔を真っ赤にしてからだった。
「お邪魔します」
「上がって上がって。あ、お茶とオレンジジュース、どっちがいい?」
「あ、お茶が…いい」
「了解。先上がってて」
たった今、女の子を振ったんだ。俺の告白がどうにかなるなんて、そんなはずないと思った。思ったのに、颯太は赤い顔で、真面目な目をして「考えさせて」と答えた。それから数日後、颯太の方から直々にお付き合いの申し込みをしてきたのだ。
はっきりとした理由は、今でもわからない。颯太が俺みたいな奴を好きになったとは思えないし、けれど好奇心でこんな関係になろうとする人でもないから不思議で、そして不安だ。俺は好きな人と付き合えて幸せだけど、颯太はどうなんだろう、って。
「けーと、氷入れたけどよかった?」
「うん、ありがとう」
口の中に氷を入れているのか、片頬を小さく膨らませながら颯太はDVDを再生させた。それから俺の隣にぴったり肩を寄せて座ると、そっと手を重ねてきた。外で手を繋いだことはないし、こうして家にあがったのだってまだ数回目。免疫なんて出来てない俺は、熱くなった顔を隠すように俯いた。でも、この胸の音とか、手の温度とかは、隠せない。
深爪気味の指先に、甲に浮き出る血管。ああ、やばいな、ドキドキしすぎておかしくなりそう。
「圭斗の手って、綺麗だよね」
「っ、そんなこと…」
「俺ずっと、綺麗だなーって思って見てたよ」
「えっ、見て…」
動揺して思わず顔をあげたら、「やっと顔見れた」と、颯太の顔がグッと近づいてきた。
「顔真っ赤」
「だ、って」
「俺も、赤いと思うけどさ」
「……うん、赤い」
「だって緊張してる」
颯太は得意の爽やかな笑みを浮かべて、繋いだ手を自分の胸に押し当てた。その途端に感じた鼓動に、早さに、俺はまた赤面して、俯く。嬉しいのと、恥ずかしいのと、それからどんどん大きくなる気持ちに苦しいのと。
「圭斗、顔あげて」
「、」
ふ、っと陰ったと思ったら、柔らかいものが頬に触れた。えっ、と思いつつも、そのままそれは唇へ。俺の唇と、颯太の唇が、重なった。初めて触れたそれはひどく柔らかくて、暖かくて、少しだけかさついていて。
「好き、圭斗」
「えっ、」
「大好き」
「あ、……れ、も…俺も、」
“好き”
「もう一回キスしてもい?」
「き、聞くな、そういうこと」
不安が大きくなる中で、けれど愛されているなってことはちゃんと感じている。
このDVDが見たいと言ったのは、一回だけ。それを覚えていてくれたこと、それをわざわざ探してくれたこと。別に特別病弱な訳じゃないけど、待ってることを心配してくれたり、氷さえも気にしてくれること。男だから夜道なんて全然平気なのに送ってくれること。
握られた手から伝わってくる優しさと、暖かさ。濁りのない目が真剣に俺を見てくれること、一生懸命で一途な人だから、これは嘘じゃないと思わせてくれること。
まだ知らないことばかりの中で、それでも膨らむ“好き”を、これから二人で大事にしていけたらいいと思う。
(見てたよ、ずっと。学年一位の圭斗、隣のクラスでも知ってたその名前。綺麗な手、賢そうな目、落ち着いた動き、俺とは違うその姿が、どうしても目についた。恥ずかしくて、まだ言えないけど…)
君より前から、きっと君のことが好きだったよ